第77話 カリ山脈
翌朝──
「本当に、魔法師がそんな重そうなクレイモアを振ってるとはな……」
朝、俺がクレイモアを使って素振りしているところに、エイガーが近づいてきた。
「おはようございます、エイガーさん。振ってるというよりは……振り回されてる、って感じですけどね」
もちろん、今の時点で使いこなせるとは思っていない。
それに、俺は今、リンから剣技を教わっている身だ。
ここでクレイモアに乗り換えるなんて言ったら、さすがに失礼すぎる。
クレイモアを振っているのは、どちらかと言えば筋力トレーニングの一環だ。
これはリンにも相談したうえでの訓練。
前々から「もっと力をつけろ」と言われていたので、彼女も「良い鍛錬になる」とは言ってくれた。
ただし、無理をして体を壊さないように、素振りの回数にはちゃんと制限が設けられている。
そんな会話をしていると、斥候に出ていた風魔法師が血相を変えて駆け戻り、遠くから叫んだ。
「馬が一頭、こっちに向かって全速で走ってきてる! その後ろに――キラービーの群れだ! 戦闘態勢を整えろ!」
即座にクレイモアを背に戻し、【収納】から長剣を取り出す。
同時に、リンもヤーラ村で保護した馬から飛び降り、俺の隣に並ぶ。
「エイガーさん! 隊商護衛はサグマ様を! 俺たちは前に出て迎え撃ちます!」
俺とリンが先頭に立ち、襲来に備える。
やがて、報告通り一頭の馬がこちらへと駆けてきた。
その姿を目にしたエイガーが叫ぶ。
「あれは――うちの隊商の馬だ! ってことは、この先に馬を奪った連中が……盗賊団の残党が潜んでいる可能性が高い! 気を抜くな!」
馬が俺たちの脇を駆け抜けていった直後――
人の顔ほどもある、巨大な蜂の群れが現れる。
尾から突き出た針は、まるで剣のように長く鋭い。
あんなもので刺されたら……ひとたまりもない。
この後、盗賊団の残党と戦う可能性がある以上、魔力は温存すべきだ。
そう判断した俺は、前衛に立ちつつ、サポートに徹することを選んだ。
浮かべていた水球に魔力を込め──
「【雷球】!」
帯電した水の塊が、キラービーの群れへと放たれる。
雷を帯びた水が接触した瞬間、激しい電流が蜂たちの躰を駆け抜け──
感電したキラービーたちは、バタバタと地面へと落ちていく。
その隙を逃さず、冒険者たちがそれぞれの武器を振るい、落ちた蜂に刃を突き立てていく。
キラービーは群れてこそ脅威だが、数が減れば対処は難しくない。
それに、今回の同行者たちは銅証とはいえ、高段位の冒険者ばかり。
経験も勘も、俺よりはるかに豊富だ。
動きに無駄がなく、的確に蜂たちを仕留めていく。
「リン! 一緒に来てくれ!」
リンの手を取り、右手を空へと掲げる。
「**【風絨毯】**!」
風の絨毯に乗り、俺たちは空中へと舞い上がる。
そのまま、キラービーの群れの後列に向かって――
「【雷球】!」
帯電した水の塊を、今度は上空から撒き散らす。
空からの魔法攻撃。これはフェイルが得意としていた戦法だが、やはり効果は抜群だった。
キラービーたちも、飛行能力こそあるとはいえ、今は冒険者たちの激しい応戦に注意を引かれている。
俺の存在には、ほとんど気づいていない様子だ。
多数のキラービーが感電し、地上へと落ちていくのを確認したところで、俺たちはさらに先の状況を偵察するため、空を進んだ。
だが、すぐにリンがつぶやく。
「……レオ、もう……手遅れだったみたいだ」
眼下に広がる光景に、息を飲む。
そこには、キラービーに刺され、動かなくなった骸が十体以上。
その近くに、荷台だけがぽつんと取り残されていた。
俺たちは着地し、警戒を怠らずに荷台へと近づく。
中を確認すると──めちゃくちゃに荒らされていた。
すると、すぐにリンが反応を示す。
「ん? なんだ? このいい匂いは……」
俺も鼻を利かせてみたが、最初はリンのフローラルな香りしか感じ取れない。
だが、リンの後を追って荷台の中へと入ると──
とろっとした甘い香りが、ふわりと鼻先をくすぐった。
「……蜂蜜、か?」
匂いの正体に気づいてそう呟くと、割れた壺からとろりと流れる蜂蜜を見ながら、リンが静かにうなずいた。
「おそらくな。もしかすると、これがキラービーを引き寄せた原因かもしれない」
その時、背後から足音が近づいてくる。
キラービーの群れを制圧し終えたエイガーが、仲間たちを率いてやってきたのだ。
「レオ、荷台の中はどうなっている?」
「キラービーに荒らされていますが……中は安全です」
俺が荷台から降りると、エイガーが代わって中を改めた。
「……やっぱり。これは俺たちが引いていた荷台だ」
そこへ、サグマが隊商護衛たちを連れて現れる。
「こいつら……もしかして?」
傍らの死体を見下ろしながら、サグマが眉をひそめる。
「はい。恐らく、盗賊団の残党でしょう」
「そうか……ならば、これで盗賊団の脅威はひとまず去ったと見ていいだろう」
確かに、サグマの言う通りなのかもしれない。
だが、俺の胸には、まだ引っかかるものが残っていた。
それは、リンも同じだったようで──俺にだけ聞こえるほどの小さな声で、そっと囁いてくる。
「……レオ。ヤーラ村で遭遇した者。あいつは、ここにはいないと思う。あれだけの身のこなし……キラービーごときにやられるとは思えない」
「ああ、分かっている。森の中をあの速度で移動できるんだ。こいつらが追いつけるわけがない」
俺たちが気を引き締めているところにサグマの声が響く。
「よし! 早くこの場から立ち去るぞ! ここを抜ければカリ平原! 平原を越えれば目的地はすぐそこだ!」
隊商護衛や冒険者に出発を急がせるサグマが、俺のところまで歩いてくる。
「レオ、さきほど逃げてきた馬の治療を頼めないか?」
「ええ、もちろんです」
馬が一頭増えれば、移動速度も上がるし、
何より、有事の際にサグマを逃がす手段が増える。まさに一石二鳥だ。
警戒を続けながらの進軍ではあったが──
俺たちの不安とは裏腹に、隊商の行軍は順調に進んでいった。
♢
そして五日後――
突如として、目の前にそびえ立つ巨大な山が姿を現す。
山頂は雲に隠れ、その姿の全容さえ見えない。
「カリ山脈――こんなに大きな山であればバックスから見えてもいいはずだけど……ってか、どうして今まで見えなかったんだ?」
そのあまりの大きさに驚いていると、隣を歩いていたエイガーが口を開く。
「カリ山脈はな、魔力の霧に包まれてるんだ。だから近くまで来ないと、その姿は見えないんだよ」
なるほど……富士山やエベレストなんかは、三百キロ以上離れていても見えることがあると聞いたことがある。
でも、魔力の霧という特殊な存在が相手なら、見えなかったのも納得だ。
「標高はどのくらいなのですか?」
「一万メートルと言われているが、実際のところ誰も分からない。何しろ誰も登ったことがないし、誰にも登らせない。誰も登ろうとしないというのがカリ山脈だからな」
「誰にも登らせない?」
登ろうとするのを誰かが引き留めているというのか?
「ああ、北カリ村より上への登山が禁止されている。登れば一族郎党全員死刑。それほどまでにカリ山脈は触れてはならない場所として扱われているんだ」
そこまでして登山を禁じる必要があるのか……。
それほどに危険なのか、あるいは……。
魔力回復薬の原料となるカリの木が群生する場所だからなのか。
「それと、北カリ村は標高千メートルほどの位置にある。当然、そこまで馬に荷台を引かせるのは無理があるからな。麓にある集落で、冒険者たちと一緒に待機してもらう予定だ。ただレオとリンに関しては、サグマ様の身の安全のために同行してもらうつもりだが、これは村長が決めること。許可が下りなかった場合は、他の者と同じく集落で待機していてくれ」
この件については、事前に知らされていた。そして今まさに、エイガーが言っていたその集落が、視界の先にぼんやりと姿を現し始めていた。




