第76話 北カリ村へ
翌日――
「村長、少々面倒をかけるが、よろしく頼む」
村の入口に立つサグマが、見送りに来た村長に声をかける。
「いえいえ、こちらこそ……周辺の治安を守っていただき、感謝しております」
頭を深く下げる村長に、サグマは頷く。
「うむ。私の信頼する護衛二人と、冒険者を二人置いていく。三日もすれば、バックスからギルド関係者か別の冒険者たちが来るはずだ。あいつらの引き渡しを頼む」
言うまでもなく、あいつらとはザンク率いる盗賊団のこと。
中には禁断症状でまともに会話もできない者もいるが、頭目のザンクだけは、【洗濯】の効果もあってか、正気を取り戻している。
さらに一番情報を持っているであろうザンクに死なれると困るのである程度は回復させたが、その体は萎び、もはや冒険者としての未来は絶たれていた。
――もっとも、あの男にどれほどの余生が残されているかは分からない。
♢
村人たちの見送りを受け、俺たちはチグリ村を後にする。
進路は南――北カリ村方面へ。
緩やかな下りとはいえ、森の中の道は足場が悪く、移動には時間がかかる。
魔物の気配を警戒しながら、俺は魔法を【ストック】しながら歩く。
リンはヤーラ村で保護した馬の手綱を引いていた。
馬は、今にも「乗ってくれ」と言いたげに彼女を見ているが、リンはまだ乗っていない。完全に脚が治りきっていない可能性を考えての判断だ。
この日は、森を抜けて五キロほど進んだ地点で野営することにした。
焚き火の明かりが周囲を照らす中、以前から気になっていたことを、俺はサグマに訊ねた。
「サグマ様、チグリ村でエイガーさんたちの到着を待つという選択肢はなかったのですか?」
するとサグマは、焚き火越しに顔をこちらへ向けて答えた。
「普段なら、そうする。だが、北カリ村は入村の条件が非常に厳しいのだ。もし到着が遅れれば、立ち入りを拒否される可能性すらある」
なるほど……それほどまでに厳格な村なのか。
ムスク伯爵家の血筋、四大伯爵家の一角に連なる存在ですら、例外ではないというのか。
北カリ村──
いったい、どんな村なのだろう。
興味を胸に眠りについた。
♢
バックスへ向かっていたエイガーたちと、チグリ村に残っていた隊商の護衛、冒険者たちが俺たちと合流したのは、チグリ村を出発して三日後。
ちょうど、フェーズ森林に差しかかる頃だった。
そしてその日は、俺がこの魔法を習得した日でもある。
「**【風絨毯】**」
リンとともに、風の絨毯に乗って空へ舞い上がる。
この魔法は、金証魔法師となったフェイルですら、扱いが難しいと評していたが、俺にとっては、水球の方がよほど手こずった。
効果時間は本来、一分程度とされている。
だが、俺が唱えた場合、その制限を超えて飛び続けられることがわかった。
ただし、高度には限界があるらしく、上昇できるのはおよそ十数メートル──
日本で言えば、五階建てのビルの高さ程度が限界のようだ。
それでも、偵察には十分な高さ。
冒険者たちの羨望の視線を背中に感じながら、俺とリンは二人でフェーズ森林の上空を進む。
「……空を飛ぶのって、ちょっと怖いな」
リンがぽつりと呟きながら、そっと背後から俺の腹に腕を回す。
そのまま、ぴたりと体を寄せ、背中に彼女の柔らかさと体温が伝わってくる。
心臓が、まるですぐ後ろで太鼓でも叩いているかのように鼓動しているのが、自分でも分かる。
「ああ……でも大丈夫。何かあったら【風纏衣】を使えば問題ない」
「そうだな……でも重量とか大丈夫なのか? 私は結構重いし……装備もそれなりにある。浮力が足りなくなったら……」
不安げな声を残したまま、リンはさらに強く俺にしがみついてくる。
「心配いらないさ。フェイルさんの【風絨毯】には、男四人が乗ってたくらいだ。俺たち二人なんて、余裕だよ」
俺の言葉に、ようやく安心したのか、リンの腕からわずかに力が抜けた。
「このまま真っすぐ進めば、フェーズ森林をかすめるように南下できます。その先には、魔物の気配も視えませんでした」
【風絨毯】による偵察を終え、周囲の状況を報告する。
【風詠】でも探知は行っていたが、やはり――直接目で見るというのは、それだけで確かな意味がある。
「ご苦労だったな……しかし、その【風絨毯】、本当に便利な魔法だな」
「はい。十分な魔力さえあれば、複数展開して皆を運ぶこともできるのですが……僕の魔力は、この魔法を覚えてようやく『90』を超えたばかりで」
「そうか。今度、余裕がある時にでも俺を乗せてくれ。王都でも、この魔法を使う者は見かけたことがない」
やはり、この魔法はかなりの希少性を持っているようだ。
だが、それ以上に――乗ってみて、俺は確かな手応えを感じていた。
【風絨毯】は、ただ空を飛ぶだけじゃない。
偵察はもちろん、空中からの奇襲にも有効。
さらに移動が困難な地形でも、ひとっ飛びできるのだ。
川だろうが、岩場だろうが、あるいは深い森の中でさえも──関係ない。
これが何を意味するか……それを心の中にしっかりと刻み、南を目指す。
♢
今日はフェーズ森林の東側で野営を張ることに。
夜、合流したエイガーにザンクたちの処遇について訊ねる。
「ザンクたちは、どんな処分を受けることになったんですか?」
「全部吐かせた後、フェーズ森林で磔刑にされるらしい」
「……フェーズ森林で、ですか?」
「ああ。この世で最も残酷な処刑法だ。魔物に食われればまだマシだが──ほとんどは蟲や野生動物に少しずつ喰われていき、じわじわと命を削られる。中には正気を失って発狂し、そのまま死んでいく者もいるって話だ」
……想像したくもない。
「じゃあ、口を割らなければ逃れられる可能性もあるんじゃ?」
「それなら、まず拷問だ。それでも口を割らなければ、今度は自白剤……まぁ結局は吐かされるから、奴らもすぐに口を割るだろう」
まぁ、こっちがどんな手段を取るかなんて、元銀証冒険者であれば察しがつくだろう。
「それと、レオとリンの昇格は確定らしいぞ。何せ、元銀証十段のザンクが薬を使用した上で、三十人規模の盗賊団を二人で制圧したんだ。リリアっていう受付嬢が、お前たちの功績に何度も拍手して喜んでたぞ?」
これは朗報だ。
少なくとも、来年の初めには金証魔法師にならなければならない。
第五位階魔法──【闇玉】が眠るあの迷宮に挑むためにも。
まぁ、昇格の前にはいろいろな試験があるらしいが……それでも道は開けた。
「それともう一つ。クレイモアについては、レオの好きにしろってさ。伝言、預かってきた」
──よし!
これも、不安の種の一つだった。
一つひとつ、確実に前に進んでいる。
すると、肩が触れ合うほど近くに腰を下ろしていたリンが、少し不安げな表情を見せた。
「まぁ、それも当然の結果だろう……にしても、クレイモアを本当に使うつもりか? もう少し成長すれば扱えるかもしれないが、今のレオが無理をすれば、体を壊しかねない」
「そうだな。そのあたりは、リンのアドバイスを受けながら慎重に見極めるつもりだ。ただ、俺には──ちょっとした考えがあるんだ」
そう言って、心配してくれているリンの耳元に、そっと俺の考えを囁く。
すると彼女は、目を細めてふっと微笑んだ。
「なるほど……確かに、それはレオらしいやり方だな。普通なら到底できないと思うが……レオなら、本当にやってのけそうだ」
リンを安心させることができたところで、俺は気持ちを切り替え、皆に今夜の警備体制を伝える。
「では、今日の見張り当番を発表する。二人一組の、二時間交代制だ。まずは――」
こうして、北カリ村へと進むのであった。




