第69話 闇堕
森の入口近く、わずかに開けた場所に馬車を停め、野営の準備を終えた俺たちは、焚火を囲んで食事をとりながら談笑していた。
サグマをはじめ、冒険者たちにも永楽荘特製の野菜スープを振る舞う。
理由は単純――同業者からの評価は、時に剣や魔法よりも役に立つからだ。
実際、ワイバーン戦のときもそうだった。
俺たちの評価が高まったのは、彼らの証言があったからに他ならない。
ザンクは、こう主張した。
「俺がワイバーンを仕留めようとしていたところ、レオにクレイモアを奪われた。無断使用だ」
挙げ句、「あの剣があったからこそ倒せた。毎日きちんと手入れしていた俺の功績だ」とまで言い出した。
だが、その言い分は、冒険者たちの証言によってあっさり覆された。
結果――処罰を受けたのは俺ではなく、ザンクの方だった。
だからこそ、こういったクエストでは極力、波風は立てないに越したことはない。
もっとも、今回に限っては問題ないだろう。依頼人であるサグマや、リーダーのエイガーたちが、しっかりと見てくれている。
……とはいえ、好感度というのは、上げておいて損はない。
皆がスープを味わい、談笑に花を咲かせる中――
リンが、口を開いた。
「皆、少し話を聞いてほしい」
普段は必要以上に発言しない彼女の提案に、自然と場の空気が引き締まる。
誰もが、剣姫の言葉に耳を傾けた。
「これからの夜間警戒について、提案がある」
全員が彼女の実力を知っているからこそ、誰一人として異を唱えない。
「まず、サグマ様、および隊商護衛の方々は、今夜はしっかり休んでいただく。我ら冒険者が夜の見張りを任されよう」
焚火の揺らめきが、リンの瞳に映る。
「体制は――各時間、三人以上の交代制。八時間を二時間ごと、四交代で回す」
無言で頷く冒険者たち。
その提案が、経験に裏打ちされたものであると、誰もが感じ取っていた。
「各組には必ず、耳の良い者、夜目の利く者、あるいは索敵に長けた者を組み込む」
そう告げると、リンは背負っていた鞄を開け、銀の笛を取り出して首にかける。
「そしてこれ――見張り中は必ず首に下げておけ。敵襲時は躊躇するな。迷わず吹け……それが命を守る合図となる」
誰もが、その提案に異論などあるはずもなかった。
俺とリンは、最初のシフト、二十時から二十二時を担当。
本来なら、最高戦力は分けて配置するのが常識。
だが、俺の魔法――水球の維持には意識を保つことが必要で、眠ってしまえば消えてしまう。
であれば、連続して起きていた方がいい。
誰もがそれを理解していたし、何より俺とリンの並び――二人だけの組という点に疑問を持つ者はいなかった。
♢
「襲撃は来ると思うか?」
焚火を挟んで、背中合わせに警戒するリンへ問いかける。
「サグマ殿たちがバックスに来た時、手も足も出なかったと言っていたからな。同じ隊商だと思えば――必ず来るだろう」
彼女の言葉にうなずき、俺はもう一つ問いを投げた。
「リン。その首から下げてる笛、俺に渡してくれないか?」
「ん? これか? 構わぬが……レオより私が吹いた方が、役割分担としては理にかなっていると思うが?」
「うん、それは分かってる。でも……」
言葉を濁した。
本当の理由は――他の男に、リンが吹いた笛を使わせたくなかった。ただ、それだけ。
それが嫉妬だとしたら、俺はひどく独占的な気持ちで動いているのかもしれない。
だがリンは、何も言わずに笛を外すと、俺の手にそっと握らせた。
「……なら、レオが持っていてくれ。私に異論はない」
ほのかな温もりを首に下げ、警戒へとあたった。
♢
二十二時。予定通り、交代の三人がテントから現れた。
魔法師が一人、冒険者が二人――皆、眠気の残る顔をしているが、気は引き締まっている。
俺は首から笛を外し、それを魔法師の男に手渡す。
「何かあったら、ためらわず吹いてください」
「任せろ」
軽く頷きを交わし、リンと並んでテントに戻ろうとした――その時だった。
ピン、と肌が跳ねるような感覚。
静まり返った森の中。
木と木の間を、何かが、駆け抜けていく。
音はほとんどない。
だが、確かに気配がある。
しかも、一つや二つではない。
俺は咄嗟に足を止めた。
同時に、リンも気配を察知して振り返る。
「上だッ――!!!」
視線を跳ね上げると、月明かりを遮るように木々の上からこちらを見下ろす影――
猿に似た、だが明らかに異様な風貌の魔物たち。
魔法師が即座に笛を吹く。甲高い音が夜の森に響き渡り、冒険者たちが一斉に起床。隊商護衛はサグマの馬車を取り囲む。
だが、誰よりも早く、リンが動いた。
「【加速】ッ!!!」
風のように駆け、幹ほどの太さの枝へと跳ぶ。
抜き放たれた剣が月光を裂き、一閃――
頭上の魔物が、縦に真っ二つに裂け、無様に地面へと転がり落ちた。
「ナイトギボンだ! どんどん寄ってくるぞ!」
ナイトギボン――
テナガザルが魔物化した、夜行性の獣。
かなりの敏捷性を誇り、鋭利な爪で獲物を切り裂く。
奴らは夜を狩場とする魔物。
当然、こちらよりも圧倒的に夜目が利く。
対する俺たちは、月明かりと焚火だけでは、視界は心許なかった。
ならば、こっちも視界を確保するしかない。
「――行けっ、【雷球】!」
宙で操っていた雷の球を、ナイトギボンの群れの中心へ発射。
直後――
パァンッ!
雷光が弾け、闇を裂く閃光が一瞬、森を照らす。
数体のナイトギボンが痙攣し、木から落ちる。
同時に、リンの周囲に【火球】を展開。
赤々とした火の灯りが付近を照らし、立体的に影を浮かび上がらせる。
これでリンの視界は確保。
「【光明】」
生活魔法【光明】で淡く周囲を淡く照らす。
これで俺の周辺の視界も確保できた。
先ほど地上に落ちたナイトギボンは、すでに冒険者たちの手で葬られている。
しかし、魔物たちはまだ諦めていない。
木々の上から、馬車めがけて木の実や折れた枝を次々と投げつけてくる。
だが、届かない。
魔法師が放つ【風撃】と、冒険者たちの的確な迎撃によって、それらはすべて叩き落とされた。
「レオ、頼む!」
リンが地上に舞い戻り、俺の傍に駆け寄る。
「**【風纏衣】**!」
「**【石纏衣】**!」
風が、リンの全身を包み、石の魔力がその身を守る。
一瞬、ふわりと漂うフローラルの残り香――
そして右手には、リン専用の剣――翼竜剣。
かつては漆黒だったその鱗の刀身。
鍛冶師が叩き、リンが魔力を注ぐたび、黒は徐々に白へと変わり――やがて淡く、桜色の輝きを宿した。
一カ月。
火と魔力と技が交わり続け、生まれたのは、一振りの白刃。
魔力を込めれば、淡い桜光が刀身を包み、凛とした美しさを放つ。
もはや、リンにしか扱えぬ特別な剣だ。
重量、十キロ。
金属製のクレイモアが五キロとすれば、どれほどの異質かは明らか。
試しに俺も振ってみたが――肩が抜けるかと思った。
だが、リンはまるで箸でも掴むかのように翼竜剣を軽やかに扱う。
風を纏い、桜光を纏い――夜の森に、舞うように駆ける。
樹の上での戦いに、俺たちは手出しできない。
いや、正確には魔法で参戦はできるが、その必要はない。
俺たちは地上で馬車を守る。それだけで十分なのだ。
リンが空を裂くたび、樹上の魔物たちが次々に落ちてくる。
その刃は迷いなく、容赦なく、すべてを断ち切った。
気づけば、ナイトギボンの影は消えていた。
リンは剣を下ろし、静かに枝の上から俺たちを見下ろす。
地上では、冒険者や護衛たちが呆然と呟いた。
「一人でこれだけの数を……」
「手を出そうと思っていた時期もあったが……出さなくて正解だった」
「これだけ倒しても汗一つかいてないぞ……?」
近くの魔物はすべて片付いた――誰もがそう思っていた。
その安堵こそが、最大の隙だったのかもしれない。
ビュンッ!!
風を裂く音。
直感で首を傾けた――次の瞬間、俺の頭があった場所を一本の矢が掠め、死の風を残して過ぎていく!
ズブッ!!
「いっっってててぇぇぇ!!!」
矢は、 ナイトギボンの死体を見ていた冒険者の肩に突き刺さる!
「レオ、下がれ!」
リンが即座に木から飛び降り、俺たちの前に立ち塞がる。
襲いくる矢を、剣の鍔と刃で寸分違わず叩き落としていく!
「毒矢だ! この矢、毒が塗られている!」
冒険者の一人が、矢尻に鼻を近づけて叫ぶ。
矢は雁股――獲物の肉を裂き、抜けないように造られた残酷な形状。
だが、毒が回る前に抜くしかない。
「悪い……我慢してくれ!!」
俺は負傷した冒険者に駆け寄ると、矢を握り、力任せに引き抜く。
冒険者の絶叫が闇夜に響いた。
すぐさま、飛ばしていた【治癒球】と【解毒球】で回復を図る。
数秒後、冒険者の顔に血色が戻り、呼吸も整ってくる。
今も撃ち続けてくる矢の射手に近づきたい――だが、ここを離れるわけにはいかない。
最優先は、馬車――サグマの身の安全だ!
ならば、こちらから撃ち抜くまで!
「**【石破弾】**!」
瞬時に右手の先に展開される三重魔法陣。
そこから人の頭ほどの岩の塊が、いくつも射出される。
放たれた無数の岩が、矢の飛来方向へと怒涛の如く突き進む。
密集した木々をねじ伏せ、枝や幹を粉砕しながら進路を切り開いていく。
その向こうから、怒号が響いた――
「おい! 二人も撃ち抜かれた!」
「引けっ! 撤退だ――!」
その叫びは、明らかな動揺と混乱。
対して、こちらは先ほどまで浮足立っていたが、今は落ち着き、冷静さを取り戻している! 今が好機!
「皆さん! すぐに戻ってきます! ここで警戒を!」
【石破弾】が直撃したのなら、無事では済まない。
だが、木々や岩で勢いが緩和された可能性もある。命までは奪っていない――そう判断した俺は、生け捕りを狙うべく、すぐに地を蹴った。
すぐさま隣に並ぶ気配。
振り返らずとも分かる。リンもまた、迷いなく動いていた。
森を駆け、踏みならされた枝葉を踏み越えていく。
夜の帳が降りる中、わずかな光を頼りに、俺たちは追う。
やがて、視界の先に二つの影が現れる。
一人は肩を負傷し、もう一人がその身体を支えている。どちらも逃走中の敵。
そして、その背を守るように十名以上の男たちが木から下りてきた。
その先頭に立つ男は、巨大なクレイモアを無造作に肩に担ぎながら、俺たちの行く手を阻む。
元銀証冒険者十段にして、降格処分を受け入れずにギルドを後にしたその男――
ギルドに不満がある者たちを……街の南東のスラムをまとめた男――
ザンクが不気味な笑みを浮かべながら俺たちを睨みつけていた。




