第68話 出発
一週間後――
「レオ、これがいい! あと、あれも……あっちのも絶対にだ!」
東門へと向かう途中、リンは朝の露店で完全に足を止めていた。
炭火で炙られたハーブソーセージの香ばしさが鼻をくすぐり、スパイス入りの焼きチーズの焦げ目からは、ほんのりナッツの香りが立ち上る。
「うむっ……この匂い、反則だな!」
目を輝かせながら、リンは次々と香りに釣られて露店を巡る。
バターと蜂蜜をたっぷり染み込ませたパンケーキ、肉汁が滴るローストターキーの切り売り、ほのかにラム酒の香る焼きリンゴ――そのどれもが食欲を刺激する逸品だ。
もちろん、宿の永楽荘からはすでに三十キロ分の野菜スープや鹿肉のロースト、豆とベーコンの煮込み、摘みたて果物を詰め込んでいる。
だが、リンの買い足しはもはや遠出をするときの恒例行事。
「ふふ……これで当分は、食事に困ることはなかろう」
両腕いっぱいに袋を抱え、満足げに微笑むリン。
ようやく香りの誘惑から解放されたのか、袋を俺に預け、彼女は東門へと視線を向けた。
やはり、俺たちが一番乗りだった。
どんな依頼であろうと、早く着くことは俺たちのポリシーだ。
特にリンが匂いに釣られる買い物を挟む日は、なおさら早く出発する必要がある。だが、それでも早すぎたとは思わない。
彼女と過ごす朝の時間に、無駄なんてひとつもない。
まだ誰も来ないとみるや、朝の街角で木剣を手に打ち合う。
リンとの手合わせは、いつだって真剣勝負だ。
もっとも、結果は、毎回俺がボコボコにされるのだが。
最近ようやく、銅証冒険者の上位層とは互角に渡り合えるようになってきた。
鼻が少し伸びていたのも確かだ。
だが、その鼻をへし折ってくれたのも、やっぱりリンだった。
「レオ、その剣筋、悪くはない――むしろ、私の好みに合っている。だが、まだ力が足りぬ。もっと喰らえ、もっと鍛えろ。残心を意識しすぎて、手打ちになっている。動きの流れが断たれている。遠心力を殺すな。魔物の皮は柔くはないぞ。その薄刃では、肉も骨も断てぬ」
上達すればするほど痛感する――リンとの絶対的な差。
けれど、それでも、強くなりたいのなら避けては通れぬ道だ。
今日も最後はボッコボコにされて、鼻を擦っていると、集合時間となる。
ちょうど、サグマたちの馬車が東門に到着。
馬車は三台編成。重装の木製車体は旅慣れた造りで、御者を務めるのはサグマが連れてきた護衛たち。
俺たち、護衛班は馬車の周囲を警戒しながら徒歩で並走する。
ただ――リンだけは例外だ。
彼女はサグマと同じ馬車に乗っている。
というのも、リンは体力がない。
剣技こそ神がかっていても、遠出の徒歩は向いていないというのは、本人が一番よく分かっている。
護衛たちが不満を抱くことのないよう、俺はエイガー――隊商のリーダーにだけ、リンの素性を打ち明けた。
「なるほど、それなら納得だ。それに何かあったとき、サグマ様の近くにリンス様がいるのは心強い」
どうやら、エイガーもフローラル伯爵家の実力を知っているらしく、話はスムーズに進んだ。その言葉に甘える形で、リンには馬車に乗ってもらい、いざ出発。
馬車はゆるやかな速度で東方へと進んでいく。
冒険者たちは互いに視界が届く程度に間隔を保ちながら、慎重に散開。
俺はというと、隊商護衛のリーダー、エイガーと並び、先頭を進む馬車の前を歩いていた。道の先に目を向けながら、彼に訊ねる。
「そういえば、バックスの街に入ってきたとき、馬車は一台しかなかったはずですが……今回は三台なんですね?」
「……元々は三台あったんだよ。だが、バックス近辺で盗賊に襲われてな……二台は略奪された。雇っていた冒険者たちも、戦って死んだ者もいれば、逃げ出した者もいた。俺たちは、サグマ様の馬車だけを死守して、他は……置いてきた」
そういえば、ギルドの受付嬢――リリアが同じことを言っていたな。
自分の記憶力の低さに呆れてしまう。
だが、聞いてしまった以上、もう少し踏み込んでみた。
「では、かなりの損害が?」
俺がそう問うと、エイガーはふっと息を吐いた。
「……まぁ、白金貨にまでは届かないだろうが、決して軽くはない。ただ、不幸中の幸いかもしれぬが、王都からバックスに来るまでに、かなり売りさばいたからな。それに王都から持ってきたほとんどをサグマ様の馬車に乗せていたしな」
「でも、仕入れた物もあるのでは?」
「多少はあるが、大きな仕入れは王都に帰還しながらだからな……だから、これからが問題なんだ。チグリ村でのヒールウッドの樹液と北カリ村での最高級の魔力回復薬……この二つだけで白金貨数十枚分の価値はある」
とんでもない金額……。
それに、知らない名前を頭にインプットするかのように、無意識に呟いていた。
「ヒールウッド……?」
「そうだ。回復薬の原材料になる木だよ。樹皮を傷つけると、透明な樹液が出る。精製すれば回復薬になるのだ」
なるほど……それは貴重。
この任務、銀証じゃなくて金証に警備してもらう方がよかったのでは……?
と、思ってみたものの、地上にこそ戻ってきてはいるものの、バックスにいる金証たちは、全員バックス辺境伯家の後継者争いに参加中。
バックス辺境伯の命令もあり、彼らはほかのクエストを受けることができない。
奴らもそれを知っているからこそ、好き勝手暴れているようだが。
しばらく東に向かって進んでいると、今度はエイガーが口を開いた。
「レオの後ろに浮かぶ水の塊はやはり魔法なのか?」
「ええ、【水撃】の魔法陣をちょこっと弄った水球です」
俺は歩きながら、自分の背後に目を向ける。
「僕は魔力量が低いんです。だから、満タンになった魔力はこうして水球にしておくんですよ。これには他の魔法を込めることができます。今は【治癒】、【解毒】、【雷撃】を三つの水球に込めていて、残りひとつはまだ空っぽです」
三つまでは余裕で制御できるが、四つ目になると、コントロールが怪しくなる。
が、これは水球を増やしていく過程ではいつものことで、慣れていくしかない。
「そんな器用なことが出来るやつなんて見たことがない……頼りにしている」
エイガーが拳を握って俺の前に差し出す。
「サグマ様には多大な恩があります。精一杯頑張らせていただきますので、こちらこそよろしくお願いしますね」
突き出された拳に拳を合わせ、俺たちは一路東を目指した。
♢
バックスを発って十時間――
日が傾き始め、目の前の森が赤く染まっていく。
その先にあるチグリ村は、野盗や魔物対策のため、夜になると門を閉ざす習わしらしく、今夜の宿は諦めるしかなかった。
馬車から降りたサグマが、皆に向かって声を上げる。
「本当は今日中にチグリ村に入りたかったが、今夜は森の入口で野営する。冒険者諸君、周囲の安全確認と野営地点の選定を頼みたい!」
平地か森の中か――選択は悩ましいが、今回は森の中が最適だろう。
平地は見通しがいい分、こちらの存在も目立つ。風雨にも無防備で、落雷のリスクも高い。
一方、森の中は視界が悪く、待ち伏せなどの危険もあるが、木々に囲まれていれば発見されにくく、自然の盾にもなる。突然の天候変化にも対応しやすい。
……まぁ、虫の多さだけはどうしようもないが。
銅証十段の風魔法師が【風詠】を使い、森の入口付近を入念に調査。
魔物や不審な気配は確認されず、問題なしとの報告が入る。
俺が先頭に立ち、森へと足を踏み入れようとしたそのとき――
馬車から降りたリンが、すっと俺の隣に並んだ。
「野営のこと、私に任せよ。このような場での寝床の確保は慣れている」
「ああ、頼りにしているよ」
先頭をリンに譲り、しばらく歩くと――
「森からすぐ出られ、外からは見えづらい場所……それでいて、少し開けていて、木に登れるような場所……」
条件を呟きながら、リンは森の外周を滑るように進んでいく。
俺と、三人の冒険者がその背を追う中――
リンがふいに立ち止まった。
「どうした? 魔物でもいるのか?」
「……いや、足跡。それに……車輪の跡もある」
リンはしゃがみ込み、落ち葉に隠れた地面をじっと見つめた。
「最近、チグリ村と交易を交わした隊商が通ったか……あるいは――」
リンの目が細くなる。
「この前、サグマ殿らを襲った者たちが、馬車を奪い、この先へと逃げ込んだ可能性もあるな」
土に刻まれた車輪の跡と、混ざるように入り乱れた足跡――。
それらは、森の奥へと続いていた。




