第62話 ワイバーン
「で、でけぇ……」
「これは……いつでも逃げられる準備をした方がいいな」
目の前に迫るマッドベアを前に、冒険者たちは身じろぐ。
すでに先ほどまでの突進をやめ、俺たちの目の前――数十メートルの距離で四肢を踏ん張り、ゆっくりと立ち上がる。
体長は三メートルを優に超え、なかには四メートル級も混じっている。
全身を覆う体毛は燃え立つような深紅。
血走った眼がギラリと光り、牙の間から垂れ落ちる涎が地面に落ちるたび――
シューッ……
まるで毒でも混じっているかのように、白煙を立てて蒸発する。
まさに殺意の塊……それが、十体。
威嚇するように雄たけびを上げながら、ゆっくりと近づいてくる。
一方で、俺たちの先頭に立つザンクが、ついに覚悟を決めたのか――クレイモアを鞘から引き抜く。
「なんだ……? あの剣……?」
俺は思わず声を漏らしていた。
大剣であることは分かっていた。だが……刀身が、金属じゃない?
確かに輝いている。だが、それは鉄や鋼の光沢とは違う。
もっと硬質な、岩のような、乾いた輝き。
そのとき、隣のフリードが低く呟いた。
「あれはな、岩竜の鱗でできた剣だ。背から尻尾までの鱗を一枚一枚加工して鍛えた代物。そこらの金属じゃ太刀打ちできない」
「……岩竜の鱗……」
「ああ。硬さも重さも段違いだ。恐らくはオーダーメイド。あれは金があってもそう簡単に手に入る代物ではない」
この話を聞くと、 さっきまで頼りなく見えていた背中が、急に大きく見えた。
そんな彼にフェイルが近づきながら、小瓶の液体を一気に煽った。
淡いピンク色の魔力回復薬――カタリナが渡したものとは違く薄い。それを飲み干しながら、ザンクに声をかける。
「ザンク、頼んだぞ! 【風纏衣】!」
その言葉と同時に、フェイルの杖の先に三重の魔法陣が展開され、風の魔力がザンクの全身に纏いつく。
「任せろ……こいつらを倒せば……ようやく金証だぁ!!!」
雄叫びと共に、クレイモアを地を引きずりながら、ザンクが先陣を切る。
燃えるような毛並みのマッドベアの群れに、たった一人、真正面から突っ込んでいく!
その後を追うように、フリードから【水纏衣】の恩恵を受けたゲルドが叫ぶ。
「オッサン! 俺も続くぞ!」
二人の背中に続くように、銀証冒険者たちが駆け出す。
まだ、駆けだしていないのはリンだけ。
彼女の肩に手を置く。
「リン! ワイバーンがすぐ近くを飛んでいるから気をつけろよ!」
「うむ。レオも無理はするな」
一瞬、視線が交差し、お互いうなずきあう。
同時に一気に魔法を唱える。
「**【魔力増強】**!」
「**【風纏衣】**!」
「**【水纏衣】**!」
「**【石纏衣】**!」
すぐにリンも戦場へ舞う。
すると、後方で待機していた冒険者たちがざわめく。
「お、おい……あいつ、一人であれだけの第三位階魔法を!?」
「しかも、瞬時に四つ!?」
「さっき【火爆】も使ってただろ……?」
どこからか、誰かが言った。
「――まさか、虹魔法師……!?」
そんな声をかき消すようにザンクの咆哮が、戦場に響いた。
「うおおおおっ!!」
巨大なクレイモアを肩に担ぎ、マッドベアの懐に斬り込む。
振り下ろされた一撃――空気を切り裂く摩擦音と共に、マッドベアの肩口から血飛沫が上がる。
だが、マッドベアは怯まない。怒りに満ちた咆哮を上げ、腕を振り下ろしてくる。
その巨腕がザンクを押し潰そうとした、その瞬間――
「オッサン、下がれっ!!」
ゲルドが割り込むように突っ込み、剣で攻撃を受け流す。
衝撃でゲルドの膝が沈むが、ギリギリ持ちこたえる。
銀証冒険者たちも各々のマッドベアに応戦するが、明らかに力負けしていた。
一撃を受けるたびに吹き飛ばされ、何度も地に転がる。
「くそっ、硬すぎる!」
「斬っても斬っても止まらねぇ!」
「魔力が切れたら、後退だ! 基礎魔法なしで攻撃は受けられない!」
傷を受け、魔力も削られ、それでも彼らは食らいついた。
その中で、ただ一人、異彩を放つ存在がいた。
リン――
その身に宿す強化魔法を全身に漲らせた彼女は、まさに戦場の希望だった。
紅の毛皮を纏うマッドベアの足元をすり抜け、背後に回り込み、
そして――斬る。
「【花舞剣流・花風斬】!」
閃光のような軌跡と共に、剣が走る。
その軌跡に残された魔力の花びらが舞い、マッドベアの脚が崩れ落ち、機動力を奪う。
斬られたマッドベアは振り返りながら、大木のような腕を振り回すが、すでにリンはそこにはいない。
斬ったらすぐに、跳ぶ――
空中で身を翻し、風に乗って別のマッドベアの背中へ。
斬る、跳ぶ、舞う、駆ける。
その動きはまるで疾風。
「うわ……あいつ、本当に人間か……!?」
「一人だけ別の次元にいる……!」
誰もが目を奪われていた。
強さに、華やかさに、美しさに――
俺にも、できることがある。
いまならまだ【魔力増強】の効果が残っている。
ならば、撃ち尽くすまで!
「**【毒矢】**!」
放たれた魔力の矢が、マッドベアの片目を抉る。
矢からは毒が回り、マッドベアの自由をどんどん奪っていく。
「**【水弾】**!」
続けざまに放った水弾が、味方の後方を狙っていたマッドベアに直撃。
膨れ上がった水圧が、巨体を無理やり地面に叩きつけた。
「次――ッ!」
「**【氷撃】**!」
「**【石撃】**!」
氷塊と石の塊が鉛弾のように、銀証冒険者と交戦中だったマッドベアの側頭部を撃ち抜く。脳を揺らされたマッドベアは、ふらつきながら崩れ落ちた。
その隙に、銀証冒険者たちが斬りかかり、とどめを刺す。
このまま押し切れる――そう思ったのも、束の間だった。
空を切り裂くように旋回する影が迫る。
その翼は片方だけで五メートルを超え、広げれば十メートル以上はあるだろう。
だが、真に異様なのは、その両翼に刻まれた魔法陣だった。
羽ばたくたび、魔法陣が薄く光る。
さらに全身を覆う漆黒の鱗が、ワイバーンの頑丈さを物語る。
顔つきは、猛禽に近い。
眼窩は深く、ぎらついた双眸がこちらを正確に見据えている。
鋭く湾曲した角、裂けた口元からは、爬虫類の舌がわずかにのぞき、垂れる涎が地に落ちるたび、ジッと音を立てて蒸発する。
そのワイバーンが、マッドベアと死闘を繰り広げる冒険者たちの頭上で、翼を激しく羽ばたかせた。
――バサァッ!!
瞬間、両翼に刻まれた緑の二重魔法陣が淡く輝き、次々と空間に展開されていく。
「上だっ! 【風刃】が来るぞ――!!」
叫びは届かない。
反応が一瞬遅れた冒険者の背に、空から無数の風の刃が降り注いだ。
――ズバッ!!
「ぐあっ――!!」
背中に深々と刻まれた裂傷。血が噴き、男は呻きながら地に崩れ落ちる。
そこに――マッドベアが咆哮を上げた。
圧倒的な質量を持つ腕を振り上げ、とどめを刺すべく振り下ろす!
動けない。
冒険者はその迫る死を、ただ見上げるしかなかった。
――だが。
バシュッ!
刹那、赤い噴水が空を裂いた。
冒険者の顔を濡らした血は――マッドベアの腕から噴き出たものだった。
「なっ――!?」
マッドベアの片腕が、肩からごっそり消えていた。
そこに立つのはリン。
「間に合った……」
ただ、彼女は限界だった。
マッドベアの首を刎ね飛ばした直後、リンは最後の跳躍で俺の隣へ。
「大丈夫か!?」
「あぁ……情けないことに体力が尽きた」
俺に身体を預けるようにして倒れこむリン。
【風纏衣】などの効果はまだ続いている。
この戦場でのリンの離脱は痛い。
だが、彼女は充分すぎるほど戦果を挙げていた。
一人ですべてのマッドベアの機動力を封じ、三体もの首を刎ね落としたのだから。
俺の戦果も上場。
【毒矢】で貫いた目から毒が回った個体は、その場で痙攣をおこし、もう身動きが取れていない。
【水弾】で吹っ飛ばした奴も、【氷撃】、【石撃】で脳を揺らした個体もすべて他の銀証冒険者がとどめを刺している。
ザンクとゲルドもそれぞれ一体を撃破。
残るは――足を引きずるマッドベアが二体と、空に舞うワイバーン一体。
こちらは、ザンク、ゲルド、フェイル、フリード、カタリナ、ミザリー。
人数では勝っている。
だが――問題はワイバーン。
あの空の暴君に、有効打が届かない。
カタリナの【石撃】。
ミザリーの【風刃】。
真上を狙って撃つが――
礫は届く頃には勢いを失い、
風刃にいたっては、かすり傷すら与えられない。
「風魔法は無駄だ。ワイバーンには通じない」
フェイルが、歯噛みするように言い放った。
では、どうやってワイバーンにダメージを!?
そのときだった。
ワイバーンが急上昇し、太陽へ向かって羽搏く。
そして――一転、翼をたたんで滑空!
「っ、来るぞ――!!」
殺意の塊が、音を裂いて急降下。
こんなもの喰らえば、ひとたまりもない。即死だ。
しかし、フェイルが目を細め、低く呟いた。
「……これだ。この滑空中なら、狙える……!」
フェイルが低く呟く。
その表情に浮かぶ確信と――焦燥。
「だが……ワイバーンの特性は、戦場で最も強い者を喰らい、力を増すこと……」
「つまり……奴が狙うのは?」
フェイルの視線が、俺たちを捉える。
「間違いない……上空からお前たちをずっと観察していたようだからな……悔しいが、ワイバーンの標的は俺やザンクではなく……」
フェイルの目が物語る。
そして、ワイバーンの血走った双眸が、獲物を逃すまいと食らいつくように俺とリンを捉えていた――




