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第60話 陸と空、そして……

「来るぞ――ッ!」


 最初にブルホーンの群れとぶつかったのは両翼の先端。

 そこに牛型の魔物――ブルホーンが赤い目を光らせながら、突っ込んでくる。 

 魔法師たちが、絶妙な場所――壁の端にブルホーンの角が突き刺さるように、【氷壁アイスウォール】や【石壁ストーンウォール】を張る。


 壁に角を突き立て、動きが止まったブルホーンに向かい、銀証冒険者が躍り出る。

 【剛力パワー】、【頑強パワフル】などで己を強化し、一トン超の巨体を躊躇なく斬り伏せる。


 そこにさらに、別のブルホーンが突撃――

 だが、その進路の先には、新たな壁が出現。

 隣との壁の隙間は一メートル弱。


 巨体ゆえに狭間を通れず、ただの的となったブルホーンを、銀証冒険者たちが次々と屠っていく。

 この瞬間ばかりは、自慢の肉体が仇となるのだ。


 だが、この芸当ができるのは、銀証冒険者のみ。

 銅証冒険者では、あの分厚い筋肉を斬り裂くことすら難しい。

 

 そこで空中から援護射撃。

 【風絨毯エアリアル】に乗った魔法師たちが、風・火・雷の魔法を次々に放つ。


 土と水を得意とする魔法師たちは後方に残り、防衛線を維持するために【氷壁アイスウォール】と【石壁ストーンウォール】を絶え間なく唱え続けていた。 



 そして――


 ついに俺たちの正面、鶴翼の底にもブルホーンが迫ってきた。

 他とは違い、ここには壁がない。


 そう、ここは凌ぐ場所ではなく、狩る場所だからだ。


 先陣に立つ五人の銀証冒険者たちが、ほぼ同時に詠唱する。

 【剛力パワー】、【加速ヘイスト】、【頑強パワフル】――

 肉体を極限まで強化し、圧倒的な暴力を迎え撃つ構え。


 地を揺らす咆哮とともに、怒涛の如く突っ込んでくるブルホーンの巨体。

 その巨躯に五人が次々と白刃を立てる。


 彼らには、自らを守る【壁】がない。

 安全な立ち位置などどこにもなく、一歩間違えれば即死。

 そのため、無意識のうちにマージンを取る者も現れ、二列目にまでブルホーンの巨体がなだれ込む。


 そんな中、リンの五メートルほど前、明らかに様子の違う一人がいた。


「うぉぉぉりゃあああああッ!!」


 全力で振り抜かれた一太刀。

 まるで、俺にはお前の角など届かねえと言わんばかりの割り切った攻撃。


「ゲルド殿! 無理はするな。後ろに通してもらっても構わんぞ!」


「バカ言え! こんな雑魚を通すとか、冗談じゃねぇ!」


 五人の前衛のうち、ただ一人――底の左端を守るゲルドだけが、一体も通さないと言わんばかりに、気迫むき出しで前に出る。

 だが当然、全力の一撃には隙が生じる。


 その穴を見事に埋めたのが、フリードだった。


「【氷針アイスニードル】!」


 杖の先から放たれた氷柱つららが、ブルホーンの巨体――ではなく、支えとなる細い脚を正確に射抜く。

 たとえどれほど巨躯でも、脚を一本折られれば、その場に崩れ落ちるしかない。

 その重量を己の力で持ち上げることは、できないだ。


 他の魔法師たちの援護も手厚く、戦況は比較的安定している――そう思いかけた、その矢先だった。

 リンが俺に小さく声をかける。


「……そろそろ、出番が来るぞ」


「えっ? でも、まだ――」


 言いかけた言葉が喉で止まる。

 周囲を見渡して、ようやく気づいた。冒険者たちの様子が変わってきている。


 さっきまで余裕そうだった者たちの皮鎧に、徐々に血が滲みはじめていた。

 安全マージンを取っていたはずの立ち回りも、次第に距離感が甘くなる。

 ブルホーンの巨躯が脇をすり抜け、巻き込まれそうになる者。

 鋭い角がかすめ、血を流す者。

 ひとつ、またひとつと、小さな傷が確実に積み重なっていく。


 加えて、冒険者たちは常に基礎魔法の効果時間を気にし続けなければならない。

 斬る、避けるだけではない、精神の消耗。

 さらに、残りの魔力も気になるところだろう。

 彼らは魔法師ではないから、魔力は低いはず。

 極限の集中が、彼らの余力を奪っていく。


 そして――それは突然に起こった。


「やばッ――!」


 前衛の中央に立っていた銀証冒険者――

 この陣の中で最も老練な動きを見せていた男が、同時に突っ込んできた二体のブルホーンを捌ききれず、吹き飛ばされる。


 本来であれば、魔法師たちのサポートが入っていたはずだ。

 だが今、魔法師たちも一列目を突破してきた魔物の対処に追われており、援護が間に合わなかった。


 そのとき――


 俺たちの後方から、聞いたことのない、しかしよく通る低い声が響き渡った。


「一列目と二列目は、即座に入れ替われ! ソティス、ダメージを受けた者の回復を!」


 振り返ると、【風絨毯エアリアル】を操るフェイルのすぐ傍に、護衛のように立つ男――ザンクが、場を制するように声を張り上げていた。


 五分ごとの交代など、もう言っていられない。

 それほど戦線は逼迫していた。

 それを悟ったのか、リンが誰よりも早く動いた。


「レオ、これを持っていてくれ!」


 彼女は自らの新緑色の外套を脱ぎ、俺に差し出す。

 あのリンが、戦闘前に外套を脱ぐ。そんなことは、これまで一度もなかったことだ。それが何を意味するかは、想像に容易い。


「【加速ヘイスト】!」


 リンは地を蹴り、跳躍し、宙を舞う。


 そして――

 ゲルドに襲いかかろうとしていたブルホーンの頭上から、体重を乗せた一太刀が振り下ろされる!


 ズバッ――!


 空中からの一閃は、ブルホーンの巨躯を真っ二つに裂く。


 リンの登場に呼応するように、隊列のローテーションが一気に進む。

 負傷していた前衛の冒険者たちはすぐさま後列へと下がり、装備を白で揃えた女性――ソティスが、次々に【治癒ヒール】の魔法を唱えていく。


 致命傷を負った者はいないが、彼らの表情には、確かな疲労の色が滲んでいた。


 視線を前線に戻す。

 新たに前に出た者たちがブルホーンを捌いてはいるが、やはり中央――最も魔物の圧が集中するその一点が、最も苦しい。


 そこに、再びザンクの指示が飛んだ。


「一番左の女! 真ん中に行け!」


 素人目にも明らかだった。

 リンの剣が、群を抜いて疾く鋭い。

 だから、この指示は当然の判断――ただ、気がかりなのは彼女の体力だ。


 だがそんな懸念など一切見せず、リンはすぐに動く。

 そして、振り返りざまに後列へと叫んだ。


「無力化したブルホーンを何体か送るから頼む!」


 その言葉と同時に、彼女は精神を研ぎ澄まし、剣を構える。


「――【花舞剣流・花守】!」


 刹那。

 リンの剣とブルホーンの角が交差すると、彼女の剣先から溢れ出すのは、淡く輝く桃色の魔力残滓。


 それはかつて見た【花舞剣流・花風斬】と同じ、花びらのように舞う魔力の欠片。

 けれど今回は、ただ舞い散るだけでは終わらない。


 ひらひらと空を舞うと思われた花びらが、風を掴んだように一斉に加速し、目にも留まらぬ速さでブルホーンたちの脚部へと突き刺さる!


 その瞬間、重戦車のような巨躯が、ドスンッ! と音を立てて膝を折る。

 脚部を貫かれたブルホーンは、そのまま前のめりに崩れ落ち、巨体を震わせながら地面を揺らした。

 もがくように角を突き出してくるものの、 勢いを失ったブルホーンに、恐れるものはない。


 無力化したブルホーンであれば、俺でも倒せる。

 二列目の背後まで滑ってきたブルホーンを一閃――ブルホーンの首を刎ねる。


 リンはその場の戦況を見極めながら、絶妙に動く。

 二列目が押されていれば、己の力で即座に仕留める。

 後列に余裕が見えれば、無力化した魔物を送り、効率的に戦力を分散させていく。


 だが、三分を過ぎた頃だろうか。

 その剣筋に、ほんのわずか、ほんの一拍分の遅れを感じ、俺はすぐさまリンの背後に立ち、迷わず魔法を詠唱。


「**【風纏衣シルフィード】**!」


 リンの身体が、疾風の如く風を纏う。

 外部からの魔法強化により、彼女の動きはさらに軽やか……まさに風そのもの。


「助かる!」


 リンの剣が閃くたびに、ブルホーンがひとつ、またひとつと倒れていく。

 その速度は明らかに加速していた。


 彼女が先陣を切り、周囲の士気が一気に上がる。

 今まで手一杯だった冒険者たちも、ようやく顔を上げ、周囲に目を向ける余裕が出てきた。


 鶴翼の両翼――そこはすでに戦線が押し込まれ、翼の中腹部分からは、疲労困憊の冒険者たちが何人も後方へと退避している。


 一方で、ブルホーンたちの足元には見事に氷が張られ、まるで導かれるように鶴翼の底、俺たちの陣へと向かってくる。

 地を滑らせ、中央へと魔物を誘導するための【氷結アイスバーン】と【石壁ストーンウォール】の巧妙な連携――それが戦術の肝だった。


 だが、その全体戦略を揺るがす存在がもう一つ――空からの脅威。

 スカルレイブンの群れが、漆黒の帯となって空を覆い、各所に突撃してくる。


 魔法師たちは【火爆ファイアバースト】、【雷撃ライトニング】で応戦するも、数があまりにも多い。

 そのため、あちらこちらで悲鳴が上がり、魔力切れ、負傷、戦闘不能の報告が次々と飛び交う。


 ――それでも、前線は崩れなかった。


 土壇場で踏みとどまるのは、銀証冒険者と銀証魔法師たちの奮戦。

 彼らが限界ギリギリのところで粘り、押しとどめているからだ。


 戦場は今、臨界点に近いはず!

 だが、見えてきた――勝機!


 残るブルホーンは――およそ五十体!

 この勢いのまま、次のローテーションで――倒しきれる!


 そう――思った、その時だった。


 ドゥゥゥン――ッ!

 突如として地面が揺れた。


「地震か――ッ!?」


 誰かの叫び声が飛ぶが……違う。

 この揺れ方は、あまりにも局所的。そして近い!


「リン! こっちに跳べ!」


 反射的に口をついて出た言葉だった。

 その声に、リンは一瞬の迷いもなく応じる。

 【風纏衣シルフィード】の力を最大限に活かし、後方へと大きく跳躍――。


 直後、リンがいたその地面が、破砕音と共に弾け飛ぶ。

 そこから現れたのは、巨大なミミズのような魔物。


 その体躯は完全に常軌を逸していた。

 人間三人分はあろうかという太さ。長さは視界に収まりきらない。

 大きく開かれた口の内側には、鋸状の歯が何重にも並ぶ。

 あんなものに噛まれれば、一瞬で八つ裂きだ。

 リンの跳躍が一秒でも遅れていれば、間違いなく彼女は今この世にいない。


 そして、それは一体では終わらなかった。


 次々と地面が破裂するようにして、魔物が現れる。

 どれも同じ、地を這う巨大なミミズのような異形。

 地中から這い出し、開いた口で冒険者たちを喰らわんと蠢く。


「下だ! 足元だッ!!」


 誰かがそう叫ぶが、もう遅い。

 足元に意識が向きすぎたことで、ブルホーンの突進に気づけなかった。


「くっ――!」


 フリードが咄嗟に【氷壁アイスウォール】を展開し、なんとか被害を最小限に抑える。

 しかし、戦線は一気に崩れかける。


 前方へ押し返せないままでは、鶴翼の陣形が破綻してしまう!


 そして、何よりも重要なのは、この瞬間だけ――

 地中から出てきたばかりのミミズ型の魔物たちは、身体の大半を露出しており、最も無防備な状態。


 ならば――!

 叩くなら、今しかない!

 考えるより先に体が動いていた。


「【雷球ライトニングスフィア】!」


 俺が放った帯電する水の球体が、弧を描きながら、【氷壁アイスウォール】の向こう側へと放たれる。


 ――バチィィィンッ!!


 閃光とともに、水に触れた魔力の稲妻が炸裂。

 氷の奥で、ミミズのような魔物が激しく痙攣するのが見えた。

 巨体がのたうち回り、身を捩りながら地を打つ。


 ……効いた!


 しかし、同じ場所にいたブルホーンは、動きを一瞬止めただけで、すぐに【氷壁アイスウォール】の向こうからギロッとこちらを睨みつけてきた。


 ブルホーンには効果的ではなかったが、ミミズを倒すのは今しかない!


「皆さん! ミミズは感電しています! 今のうちに倒しましょう!」


 けれど、その場の空気は一瞬凍りつく。


(なぜ、こんな小僧の命令を――)


 そんな雰囲気が、確かに流れた。

 しかし、その張り詰めた空気を、打ち破ったのは、この二人だった。


「分かった! 【氷壁アイスウォール】を解除する! 【氷針アイスニードル】で援護するから冒険者たちは突っ込んでくれ!」

「任せろ! 休みが長くてうずうずしていたんだ!」


 フリードが即座に【氷壁】を解放すると、

 その向こう――まだ電撃に痺れてのたうつミミズたちに向かって、ゲルドが一直線に突っ込む!


「おぉぉおおおおッッ!!」


 剛剣が、しびれて動けないミミズの頭部を捉え、一閃!


 ザクリ、と。

 切り裂かれた肉の中から、濁った体液が噴き出す。


「くそっ! 今はガキのいうとおりだ!」


 最前線を張っていた銀証冒険者がゲルドの後を追い、次々と戦線へと雪崩れ込む。

 その中には、もちろん――リンの姿もあった。


 だが、俺の目は見逃さない。

 他の誰が気づかなくても、俺だけは彼女の異変を見逃すわけにはいかなかった。


「リン、こっちに!」


 一瞬、彼女の動きが鈍ったその瞬間に、俺は声をかけていた。

 彼女は表情を崩さず、気丈に振る舞ってはいるが、明らかに限界だ。

 左の腕には浅く鋭い裂傷、右肩には打撲の跡。そして何より、凛とした表情の中にも疲労感が窺える。


 俺は迷わず、リンの手を取り、引き寄せる。

 彼女は驚いたように目を見開くが、すぐに表情が緩み、俺に身体を預けた。


 このまま、永遠に……とは言っていられない!

 当然、唱えるはこの魔法――!


「**【洗濯ウォッシュ】**!」

「**【治癒ヒール】**!」


 みるみるうちに、その顔から疲労の影が薄れ、肌には赤みが戻り、癒しの光がリンの傷をなめるように塞いでいく。


「……やはり、私にはこれが一番だな」


 双眸は俺を俺をとらえ、優しく微笑む。

 しかし、それは一瞬のこと。

 リンはすぐに俺の手から離れ、踵を返し、戦線に復帰する。


 ここを抑えれば、残るはマッドベアとワイバーン――

 戦局は、もうすぐ山場を迎える。


 俺は再度気合を入れ、リンの背に続くように、その混沌の渦へと足を踏みいれた。

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