第46話 マジックスライム
「ここのボスはジャイアントスライムという大きなスライムです。冒険者の天敵とも呼ばれていますが、魔法師が三人もいれば問題ありません。行きますよ!」
カタリナが気合いを込めて扉を押し開けた瞬間、冷気を含んだ空気の奔流がこちらに吹きつける。
目の前に現れたのは、まるで宝石のように水色に輝く異形の巨体。
高さは五メートル、横幅も五メートルを優に超えるその姿は、まさに壁そのものだった。
……これがジャイアントスライムか?
と、俺がそう思ったのも束の間。カタリナが声を上げる。
「違います! これはマジックスライムです! 第二位階魔法――【水弾】を複数同時に撃ってきます! 気を付けて!」
警告と同時に、カタリナは右手を掲げ、即座に魔法を唱える。
「【石壁】!」
地面に広がる灰色の魔法陣が一つ、そしてさらにもう一つ展開し、轟音と共に厚い石壁が立ち上がった。
続けてミザリーも右手を前に突き出す。
「【風刃】!」
緑色の二重魔法陣が宙に煌めき、そこから放たれた風の刃が音を切り裂いてマジックスライムへと奔る。
風の斬撃が巨体に鋭く突き刺さり、その表面を抉った。
しかし、それも束の間。ブツリと切れたはずの傷口は、ぬるりと粘液が流れて即座に元通りに。
再生――!
驚愕する間もなく、マジックスライムの周囲に楕円形――いや、もっとぐにゃぐにゃした水色の魔法陣が浮かび上がる。
しかも、一つや二つではない。五つ……いや、それ以上!
それらは、いずれも二重魔法陣――第二位階魔法の発動を意味する。
まさか、同時に五発以上の魔法を……!?
しかも、第二位階魔法を――!?
そんな真似、人間には到底できない芸当だ。
「皆さん! 私の【石壁】の裏に隠れて!」
カタリナの指示が飛ぶと同時に、マジックスライムの周囲に浮かび上がった二重の魔法陣が一斉に輝きを放つ。
――発射。
次の瞬間、凄まじい水圧を伴った【水弾】が一斉に飛び出し、石壁へと殺到する!
ドンッ! ドドドンッ!
轟音と共に壁が揺れ、水飛沫が辺りを白く染める。
狙いは定まっていないが、無差別かつ凄まじい弾数が放たれており、俺たちの周囲はまるで嵐の中のようにびしょ濡れになっていく。
カタリナは必死に【石壁】を唱え続ける。
一枚が砕ければすぐさま次の壁を――だが、それも追いつかない。
魔力の消耗が見てわかるほど激しい。
(このままじゃ、押し切られる――!)
「カタリナさん! 僕も前に出ます!」
「え!? でも今レオさんが攻撃したら、注意がそちらに向かってしまいます!」
その懸念に、すかさずリンが割って入った。
「心配無用だ、カタリナ殿――レオは、私が守る!」
【石壁】の陰から、身を外へ。
瞬間――マジックスライムから無差別に放たれた【水弾】が飛来する!
だがその刹那、俺の目の前に滑り込んだのはリン。
抜かれた剣が、【水弾】の軌道を滑らかに逸らす。
まるで、水流そのものを操るかのような見事な捌き。
水飛沫が横へ散る中、俺は右手を前に掲げた。
(まずは距離と威力の確認。どこまで通用するか……!)
「**【火撃】**!」
火球がマジックスライムを目指すが、即座に【水弾】に相殺される。
が、これは想像以上の結果!
第一位階魔法で第二位階魔法を相殺できるのであれば御の字だ!
「ここからだ! **【魔力増強】**!」
三重魔法陣が俺を包むと――
「【火撃】!」
「**【火弾】**!」
続けざまに放った【火弾】が、前の【火撃】を喰らい、さらに威力を増す――
空気を焼く音とともに、【水弾】をすれ違いざまに消滅させながら、【火弾】がスライムの表層を激しく抉る。
――ズガァンッ!
凄まじい威力と熱量――それに飲み込まれるようにして、マジックスライムの巨体が一気に蒸発していく。
ゴォォ……プシュー……
まるで湯気を上げる鍋のように、蒸気が濛々《もう》と立ち上るなか、水色の肉体はみるみる縮んでいった。
つい先ほどまで天井に届かんばかりだったスライムは、もはや俺と同じくらいの背丈にまで痩せ細っている。
それでも、なお大きい。だが。
もはや形勢は、完全にこちらのものだ。
もがくように、スライムの核が明滅し、水色の魔法陣が描かれかけている。
しかし、その構築は遅く、円と呼ばれる形を成していなかった。
俺は右手を突き出し、魔力を込めて詠唱する。
「【火弾】!」
放たれた灼熱の弾丸が、一直線に走る。
火線は迷いなくマジックスライムの中心を貫き――核を直撃。
核が砕け散った瞬間、マジックスライムの巨体を構成していた液体は、一気に蒸気と化して消え去った。
残されたのは、淡く光を放つ魔石――そして、その傍らにぽつんと佇む一冊の魔法書。
さらに、迷宮の壁面には淡い光を帯びた【拘束】の魔法陣が浮かび上がっていた。
「た、倒した……んだよね……?」
カタリナの声は震え混じりの安堵に包まれていた。
「そ、そうね……でも、全部レオさんがやってくれたけど……」
ミザリーもようやくその場に膝をつき、カタリナと並んで地面にへたり込む。
だが、その地面は、さっきまで【水弾】が容赦なく降り注いでいた場所。
冷たい水気が、衣服を通して一気に肌を襲う。
「「ひゃっ……!?」」
思わず小さな悲鳴を上げた二人が同時にお尻を押さえて跳ねるように立ち上がる。
ローブも、魔法衣も、ぐっしょりと濡れていた。
俺は魔石と魔法書を手にしながら、二人のもとへ歩み寄る。
「よかったら、【乾燥】で乾かしますが?」
申し出ると、カタリナは小さく頷き、ローブを脱いでそっと差し出してきた。
ミザリーも続くように魔法衣を脱ぎ、恥じらいがちに視線を逸らしながら手渡してくる。
「あ……いえ……その、じゃあ……お願いします」
【乾燥】を展開し、二人の衣を温風で丁寧に乾かす。
布地がふわりと軽くなっていくにつれ、二人の表情も少しずつ和らいでいった。
そんな中、部屋を一周していたリンが、こちらに戻ってきて手を差し出す。
「レオ、今のうちに私がテントを張っておこう。テントの素材を出してくれ」
「分かった。頼むよ」
「うむ。今回は魔法陣から遠い場所に設営しよう。スライムの粘液が届かない位置に」
俺がリンの設営しやすい場所に道具一式を取り出すと、彼女は手慣れた動きでさっそくテントの設営に取りかかる。
その横で、俺は二人の濡れた衣服に【乾燥】を当てながら、ふと思いついた疑問を口にした。
「あの……マジックスライムが落とした魔法書――【水弾】のことなんですが、これって、どうやって分けるんですか?」
カタリナが少し首を傾げながらも、すぐに答えてくれる。
「ええと、事前に取り分は決めてましたよね。今回は魔法書を売却して現金化し、それを分け合う予定です。たぶん私たちの取り分が大銀貨六枚、レオさんたちが九枚になると思います……それで大丈夫でしょうか?」
確かに潜る前に4:6の割合という約束をしたからな。
でも――俺には別の提案があった。
「それを……僕が、買い取るっていうのはダメですか?」
不意の申し出に、カタリナの目がぱちくりと瞬いた。
「え? ぜ、全然構いませんけど……本当にそれでいいんですか? あんなに頑張って倒してくれたのに……むしろ、レオさんたちの戦利品じゃないですか」
カタリナ自身、自分の提示した取り分が吹っ掛けたと感じているのだろう。
彼女の顔には、申し訳なさがにじんでいる。
だけど、それは違う。
「はい、それでお願いします! じゃあカタリナさんたちの取り分……大銀貨六枚をお支払いしますね。僕、金貨一枚しか持ってないんですけど、大銀貨四枚、おつりありますか?」
俺が差し出した金貨を見て、カタリナは目を瞬かせた後、こくりとうなずいた。
「ええ、あります。少々お待ちを……はい、こちらが大銀貨四枚になります」
彼女からおつりを受け取りながら、俺の心はちょっとした達成感に満ちていた。
(よし……! これで【水弾】の魔法書、ゲット!)
第二位階の魔法をたったの大銀貨六枚で手に入れられるなんて、まさに破格だ。
実戦で性能も確認できた上、収穫まであるなんて最高すぎる!
ちょうどその頃、【乾燥】の魔法で二人の服もすっかり乾いた。
カタリナとミザリーが礼を言いながら服を受け取っていると、向こうでは――
「ふう、設営完了だ」
リンがテントの前で小さく息を吐いた。
肩で軽く汗をぬぐうその姿には、目に見えて疲労の色が浮かんでいる。
「リン、こっちに来てくれ」
その声に、リンはこちらを振り向いた。
俺の顔を見て、すぐにふっと微笑み、足をこちらへ向けて歩いてくる。
吐息がかかるほどの距離まで近づいたところで、俺が魔法を唱えようとした、その瞬間――
「ちょ、ちょっと!? 二人とも何を始めようとしてるんですかっ!?」
カタリナの叫びが響いた。
頬は真っ赤に染まり、目はうろたえ気味に泳いでいる。
その隣のミザリーも、耳の先まで真っ赤になって固まっていた。
……あれ? まさか、誤解してる……?
釈明しようとしたが、それよりも早くリンが口を開いた。
「貴殿らも来るか? レオのは最高に気持ちいいぞ」
淡々と、実に真顔で言い放つリン。
もちろん他意などないことは、俺にはわかる。わかるのだが――
「な、な、なななな……っ!?」
「ちょっ……す、するのであれば、も、もっとあっちでやってください!」
二人は顔をさらに赤く染め、両手で顔を覆った。
……いや、指の隙間からしっかり見てるし、目、合ってるし。
完全に興味津々じゃないか。
だが残念ながら、俺とリンの関係はそういうのじゃない。
ここは、言葉で説明するよりも見せた方が早い。
俺は苦笑しつつ、右手を掲げた。
「**【洗濯】**!」
魔法陣が身体を包み、瞬く間に汗も、疲れも、服の汚れも、そしてスライムの粘液にやられた剣の汚れまでもが、すっかり洗い流されていく。
「ふふ、これだ。やはりレオの【洗濯】は格別だな」
リンはうっとりと目を閉じ、満ち足りた笑みを浮かべている。
彼女にとっては、ただそれだけのことなのだ。
カタリナとミザリーの方をちらりと見れば――
二人とも口をぽかんと開けたまま、固まっていた。
「……えっ、なにこれ……なにこの魔法……」
「……そ、想像と違った……」
おそらく、いろんな意味で。
「変な誤解をさせてしまって、すみません。この魔法は、効果範囲がとても狭いんです。だから、どうしても密着する必要がありまして……」
落ち着いた声でそう告げると、ぽかんとしていた二人の目にようやく光が戻った。
「そ、そうだったんですねっ! ああ、私ったら……ごめんなさい、変なふうに思っちゃって……!」
カタリナが頬を押さえ、恥ずかしそうに身をすくめる。
隣のミザリーも気まずそうに視線を逸らしたが、やがて首を傾げて尋ねた。
「……にしても、今の魔法、すごかったです。魔法陣が四つも重なって……もしかして、あれって第四位階魔法ですか?」
「うん。魔法陣を見ながら説明してもいいですか?」
俺が壁面を振り返りながらそう提案すると、カタリナとミザリーは表情を引き締め、真剣なまなざしでうなずいた。
♢
「へぇ……そうだったんですね……」
「たしかに、その年齢で第四位階魔法が使えるなんて、普通はちょっと信じられませんし……」
感心したように壁面の魔法陣を見つめながら、カタリナが呟いた。
壁面の魔法陣を精読しながら、【ストック】や【洗濯】のことを順を追って説明していく。
しばらくすると、ミザリーがふと視線を壁から外し、軽く肩をすくめた。
「うーん……私は【拘束】、たぶん無理ね。もし覚えられたとしても、実戦で使えるようになるまで何か月もかかりそうだし、威力もなさそう」
「まぁ、それは仕方ないよ。この手の魔法って、魔力診断紙じゃ適性が分かりづらいし」
カタリナの言葉に、ミザリーは小さく頷き、そっと鞄を開いて中から一冊の魔法書を取り出した。
「だから、こういうこともあると思って、【闇矢】の魔法書を持ってきてたの……二人は遠慮しないで、先に覚えちゃって」
やはり、ボス部屋に魔法書を持ち込むのは魔法師としては当然の判断なのだろう。
限られた時間を最大限に使って、少しでも強くなる。そういう気概が、彼女たちにもあるのだ。
俺は再び壁面に向き直り、魔法陣の細部に意識を集中する。だが、しばらくしてその光がふっと揺らぎ、淡く掻き消えた。
それと同時に、俺たちの背後で警戒に当たっていたリンが、懐中時計を確認しながら、声を張った。
「……どうやらこの迷宮も、周期は八時間みたいだな。レオ、構えろ。来るぞ!」
リンの言葉が終わると同時に、部屋の中心――迷宮核から淡い光が放たれ、その輝きが空間を貫いた。
そして――その光の中から、巨大な影がぬるりと姿を現す。
ジャイアントスライムがあらわれた!




