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第47話 迷宮必須アイテム――それはレオ

 目の前に現れたジャイアントスライムは、マジックスライムに勝るとも劣らない巨大さだった。

 その不定形の巨体が、ぬるりと蠢き、粘性のある波を立てながら存在を誇示する。


「リン、剣じゃ核に届かないだろ。どうやって倒すつもりだ?」


 俺の問いに、リンは笑顔を見せる。


「……では、このジャイアントスライムは私が倒そう。もっとも、こいつと対峙するのは私も初めてだがな」


 そう言って、リンは迷いなく剣を抜き、構えたまま、一歩、また一歩とスライムへと歩を進める。


 その瞬間――


 ジャイアントスライムの巨体が、ぬるりと波打ち、覆いかぶさるように倒れ込んできた。まるで獲物を呑み込もうとする捕食者のごとく。


 だが、リンの剣が閃光のように走る。

 その一閃で、ジャイアントスライムの一部が切り裂かれ、分断される……が、切り落とされた部分が粘性を保ったまま、再びスライム本体へと這い戻ろうとする――!


 即座に、リンは剣の腹でその塊を叩きつけるように弾いた。

 勢いよく吹き飛ばされたスライムの破片が、迷宮の壁面にぶつかった瞬間、水飛沫をあげて消滅する。


「……なるほど」


 見ていて気づく。

 ああやって切り剥がし、壁に叩きつければ再生を阻止できるんだ。

 少しずつ分離させていき、最後に核を露出させて狙う。それがこの魔物への対処法。


 リンの動きに無駄はなく、的確だった。

 スライムの巨体は次第に小さくなっていき、そして――


 剥き出しとなった核が姿を現す。

 次の瞬間、銀光が走った。


 一閃。


 それだけで十分だった。斬撃が核を正確に薙ぎ、ジャイアントスライムの身体は波のように崩れ、音もなく床に溶けるように消えていった。


 始まりから終わりまで、わずか一分。


「では、休憩とするか」


 そう言って剣を鞘に収めたリンの額に、汗は一滴も浮かんでいなかった。


 次の出現まで約八時間。

 その間に、食事と仮眠をとって、万全の状態を整えておく必要がある。


「リン、寝る前だし、軽くスープだけにしておかないか? 朝にしっかり食べればいい」


「……そうだな。今がっつり食べても体が重くなるだけだ」


 彼女の頷きを得て、俺は 【収納ストレージ】からずんどう鍋を取り出す。

 蓋を開けた瞬間、ふわりと立ちのぼる湯気と香りが、迷宮の空気にほのかに満ちる。


 ああ、やっぱり温かい飯っていいな。

 そう思いながらスープをよそおうとしたとき、感じる熱い視線。


 ちら、と顔を向けると、携帯食を片手にしたカタリナとミザリーの二人が、スープに目を奪われていた。

 目は口ほどにものを言う――というやつだ。これはもう聞くまでもない。


「お二人もどうですか? ちょうど温まりますよ」


「えっ!? 本当にいいんですかっ!?」


 カタリナが声を跳ねさせた。

 その隣ではミザリーが、子犬のような目で鍋を覗き込んでいる。


「私、野菜スープには目がなくて……!」


 目が合うと、思わず俺も笑ってしまう。

 まぁ、これから一か月、共に迷宮で過ごす仲間なんだ。

 食料はたっぷり用意してあるし、俺と女性三人――この程度の胃袋なら、何の問題もない。


 簡素な食事を終えると、俺はそっとリンに声をかけた。


「リン、また【洗濯ウォッシュ】を使えるけど、やっておくか?」


 すると、リンの目がぱっと輝く。


「本当か!? ぜひ頼む! これがあると、体の芯から癒されるのだ」


 ――前回使ったのは、ちょうど八時間ほど前。

 そのとき残っていた魔力は『30』程度だったが、分割【ストック】しておいたからな。

 【火弾ファイアバレット】に充てるか一瞬迷ったが、初回のボス戦でこの程度なら、そこまで無理をする場面もないだろうと判断したのだ。


 いつものように、俺はリンと向かい合い、右手を真上に掲げる。

 その瞬間――後ろから声が飛んできた。


「あ、あの! 私たちも……その、同じ恩恵を受けていいでしょうか……?」


 振り向くと、カタリナが少し頬を赤らめながら手を挙げていた。

 その横でミザリーも、勢いよくうなずく。


「もちろん、報酬は払います! あの表情……見ていたら、どうしても一度は体験してみたくて!」


 まぁ、リンのあの恍惚とした顔を見てしまったらな。

 興味が湧くのも無理はない。


「構いませんよ。ただし、この魔法は……範囲がとても狭いんです。なので、少し密着してもらうことになりますけど」


 ちらりと二人の様子を窺う。

 警戒心の強そうだった彼女たちにとっては、かなり勇気の要る選択のはずだ。

 しかし、その表情に迷いはなかった。


「お願いしますっ!」

「リンさんを見ていたら、もう我慢できませんでした!」


 すると、リンがまさかの行動に出た。


「うむ。では二人とも……レオに、ぎゅーっと抱きつくのだ」


 は? と一瞬思考が止まった次の瞬間。


「レオ、すまないが少し辛抱してくれ」


 ――ぐいっ。

 リンが俺を引き寄せ、俺の顔はすっぽりと、彼女の柔らかな胸の谷間へ。

 さらにリンの両腕が俺の背中に回る。


「こうしていれば、密着できて、全員がしっかり範囲に入るだろ?」


 心地よい甘い香りが鼻をくすぐる。

 口から入ってくる空気すらも極上の味。

 その柔らかさに、理性が飛びそうになる。

 そこへ、左右から別の温もりが――。


「レオさん、失礼しますっ……!」

「んっ……ぎゅっ……こ、これで魔法、入りますよね……?」


 カタリナとミザリーが遠慮がちに、でもしっかりと俺の腰に腕を回し、そっと身を寄せてくる。


(や、やばい……これ……幸せすぎて、もう死んでもいい……)


 窒息死の未来がちらつくが、それすらも至福。

 魔法発動前から、もはや魂が天に昇りそうだった……。


 ――いやいや待て待て!

 俺にはまだ、やるべきことが山ほどあるんだ!


 沸き上がる本能を無理やり押さえ込み、なんとか気を取り直す。

 そして、全身が女性たちに包まれたまま、名残惜しくも詠唱した。


「**【洗濯ウォッシュ】**!」


 瞬間、淡い光がふわりと四人を包み込んだ。


「す、すごい……っ! さっきまでベタついてた肌が、サラッサラ!」

「服も……靴も……え、嘘みたいにピカピカ……!」


 カタリナとミザリーが目を丸くして、自分の腕や服を触っている。

 その仕草がまるで、魔法を初めて見た子どものように純粋で、なんだか微笑ましかった。


 ふと視線を向けると、リンもどこか得意げに、満足そうに微笑んでいた。

 あぁ、ほんと……この魔法を覚えておいて良かった――心から、そう思えた。


 そして、マジックスライムの【水弾ウォーターバレット】の余韻で冷気と湿気が迷宮の床を這い始める頃、カタリナとミザリーが少し申し訳なさそうに言った。


「その……もし、迷惑じゃなければ……私たちも、テントで一緒に寝てもいいでしょうか……?」

「さっきの分も含めてお金はしっかりと払いますから……」


 カタリナとミザリーが大銀貨を三枚ずつ俺に手渡す。

 うん、気持ちはよくわかる。

 ここは迷宮。湿気と冷気のダブルコンボなんて、下手すりゃ命取りだ。

 その覚悟はあったとは思うが、目の前に安全な寝床があるのであれば、それを欲するというのは当然のことだろう。


「もちろん。テントは二人用だけど、荷物を【収納ストレージ】にしまえば、四人でも横になれる」


 そんな提案に、二人は顔をパァッと明るくし、何度も頭を下げてくる。

 少しでも万全で望んでほしいしな。

 荷物を片付けたテントの中、四人で並んで川の字になり、眠りについた。



 ♢



 翌朝――

 起きると、朝の支度をしてからごはん。

 食事が終わると、俺とカタリナ、ミザリーの三人は迷宮の壁面に描かれた魔法陣と再び向き合う。


 ジャイアントスライムの出現が近づけば、対応するのは俺の役目だ。

 リンのようにスライムの一部を斬り取ること自体はできる。

 だが、問題はその後――

 斬り離した粘体を壁に叩きつける前に、本体が絡みつき、戻ってしまうのだ。

 斬撃の速度はそこそこだが、どうやら戻りが遅いらしい。

 ボクサーのジャブが同じスピードでも、リカバリーで差がつくようなものか。


 とはいえ、基礎魔法を駆使して、どうにか撃破に成功する。


 その後、カタリナは壁の魔法陣を、ミザリーは魔法書に目を落とすこと二時間ほど。二人はボス部屋の外へと向かった。

 目的は雑魚敵からの魔石回収。


「バックスはね、こういうときにコツコツ稼ぐのが常識なのよ」


 そう言い残し、扉の向こうに姿を消す二人。

 確かにそっちの方が効率はいいな。


 一方の俺はというと、再び魔法陣を精読。

 疲れてきたら素振りを交え、次は【治癒ヒール】の魔法書を執筆。


 リンも隣で黙々と【誘惑テンプテーション】の魔法書を読みつつ、気晴らしに剣を振る。




 そんな生活が数日も続くと、カタリナとミザリーの態度もすっかり変わっていた。


 もう以前のような警戒心は一切感じられない。

 むしろ、リラックスした様子で自然に接してくれるようになっていた。


 その日も、俺はカタリナと並んで、壁面に描かれた【拘束バインド】を解読していた。


 すると、ふいに彼女が俺の横顔を見上げ、にやりと笑う。


「レオはこれから、きっと女の子たちに引っ張りだこになるよ」


 すっかり砕けた口調。もう敬語の気配もない。


「え、急にどうして?」


「だってさ、私たちがパーティメンバーを探すときって、まず何を見ると思う?」


「……戦力、じゃないんですか?」


「それもあるけどね。本当に大事なのは、水と清潔感よ」


 なるほどな。

 たしかに、毎日水が使えるってのは、命を守るだけじゃなく、快適さにも直結する。必須のスキルだ。


「じゃあ、水魔法師ってモテモテなんですね」


 何の気なしに口にしたその一言。

 だが、次の瞬間――


 カタリナの肩がぴくりと跳ねた。

 ほんの一瞬だったが、明らかに過敏すぎる反応。


 魔法書に目を落としていたミザリーも、そっと顔を上げ、視線をこちらに向けている。

 言葉を飲み込んだまま、その目が何かを訴えていた。


 ……俺は、なにか地雷を踏んだらしい。


「……そうね……でも、私たちはもう、男性水魔法師とは組まないつもりなの……」


 その言葉には、軽い冗談や笑いの一欠けらすらなかった。

 重たく、沈み込むような本音だった。


 異変に気づいたリンが、心配そうに腰を下ろす。

 カタリナの隣にそっと寄り添いながら、静かな声で言った。


「……辛いのであれば、無理に言う必要はないぞ?」


 カタリナは一度小さくうなずき、そして、迷うように唇を噛んだ。

 けれど、やがて覚悟を決めたように、まっすぐ前を向く。


「ううん……言っておくよ。冒険者としてバックスで活動するなら、絶対に知っておいた方がいいから」


 カタリナがリンに視線を向けた後、思い出すように遠くを見つめる。


「……バックスにはね、女の冒険者を狙う男がいるの」


 その言葉に、俺とリンは息を飲み、言葉を挟むこともできなかった。

 空気が急に重たくなる。


「……私たちもね。昔、男性の魔法師と冒険者と一緒にパーティを組んでたの。最初は、普通だった。紳士で頼りになって、よく笑う人たちで……」


 一拍、間を置いた。

 そして、声の調子が低くなる。


「でも、ある日……ボスを倒したあと……いつものように、魔法陣をこうやって読んでいたら……いきなり、迫ってきて。断っても、突っぱねても、諦めなくて……」


 カタリナの言葉が途切れた。

 隣にいたリンが、胸元に手を置いたまま、沈痛な表情を浮かべる。

 だが、すぐにカタリナが慌てて言葉を継ぐ。


「ち、違うの! な、何もなかったわよ!? 私も、ミザリーも……! でも、あいつら迷宮のボスが現れる直前に、私たちを置き去りにしたの。命からがら……ってわけじゃないけど、ボスを倒したわ。それでも……男の人が、怖くなった。信じられなくなったの。そりゃあ少しは私たちも悪かったこともあるかもしれないけど……それにしたって……」


 少し顔を強張らせたが、カタリナにも多少の罪悪感はあるようだ。

 何か悪いことをしたのか?

 そんな俺の疑問をよそに彼女は続ける。


「本当によかった。レオみたいな子に出会えて……正直なところね、子どもであっても男ってだけで拒絶反応が出るようになってたの」


 空気が少しだけ和らいだとき、彼女はふと空を仰ぐように呟いた。


「あーあ……もう帰らなきゃいけないってのに、結局私たちも目的を達成できなかったね」


 帰らなきゃいけない――何か事情があるのかもしれないな。


「目的ってなんですか?」


 少し気になったので、何の気なしに訊ねる。


「ん? 【治癒ヒール】を覚えることよ。あるいは、魔法書そのものを持ち帰ること」


 カタリナはさらりと言ってのけた。

 だが、その言葉に俺は思わず訊き返してしまった。


「え? お二人とも【治癒ヒール】の魔法書が欲しかったんですか?」


「そうよ。だから、わざわざバックスまで足を運んだの。でも……やっぱり、どこにもないのよね」


 カタリナは肩をすくめる。


「【治癒ヒール】さえ覚えられれば、年を取っても安泰なの。攻撃魔法は若いうちは役に立っても、歳を重ねればどうしても前に出られなくなる。でも【治癒ヒール】なら違う。誰かを助け続けられるし、街で医者としてもやっていける。それに、うちらの村には、【治癒ヒール】を使える人がいないの。誰かが怪我をすれば、外から薬師を呼ばないといけないくらいで……本当に、必要なのよ」


 今まで考えたこともなかった。

 けれど、確かに彼女の言う通りだ。

 長く人の役に立つのは、攻撃ではなく癒しの力かもしれない。


「えっと……ちょうど今、【治癒ヒール】の魔法書を作ってるところなんですけど……よければ、売りましょうか? 二人分――」


 ぴたりと沈黙が落ちた。

 次の瞬間、カタリナとミザリーが同時に俺の方へ勢いよく振り向く。


「「えっ!?」」


 あまりに見事なハモりっぷりに、思わず吹き出しそうになった。

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