第19話 市街戦
「まるで……飛んでいるみたいだ……」
俺の腕に抱かれたまま、リンスがぽつりと呟いた。
大きく見開かれた瞳が、遥か遠くまで続く雲の切れ間を映していた。
自由落下はすでに始まっている。
けれど、【風纏衣】による斜め下から吹き上がる風が、俺たちの身体を柔らかく包みこみ、空を滑るような感覚を保たせていた。
推進力は失われていない。まっすぐ、ビーゼルの街へ。
「リンスさん、もうすぐ着地です。このままなら、街中まで届きます」
「……ああ、すまないな。こんな暑苦しい思いをさせて。だが、もう少し我慢してくれ」
リンスはそう言って着地の衝撃に備えるべく、さらに強く俺の首にしがみついた。
相変わらず、自己評価が低い。
(……こんな美人を抱えながら空を飛べるなら、それだけでもう報われたようなもんだな)
そんな呑気な思いが頭をよぎる――が、束の間だった。
「……っ!? あれを見てください、リンスさん!」
俺は声を張り上げ、東門を指差した。
灰色の煙が、空へ向かって不吉に立ち昇っている。
「なに――ッ!? もう落ちたのか!?」
「いえ、まだギリギリ持ちこたえてるようです! でも時間の問題! リンスさんは東門の防衛を! 俺は街に潜り込んだ《蛇咬団》を叩きます!」
「分かった! 女将を頼んだぞ!」
リンスは、俺の着地方法について一言も訊いてこなかった。
俺の力を、信じきってくれている――ならば、応えるまでだ。
「【頑強】!」
身体強化とともに、【風纏衣】で落下速度をコントロール。
風が俺に浮力を与えながらも、地面が迫る――
ドン、と足が地をとらえた。
一歩、二歩、着地の衝撃に足がもつれかける……が――
「【加速】!」
ならば、もつれる前に加速すればいい!
風と魔力を脚に集中。地を蹴り、そのまま駆け抜ける。
俺は街の中心と東門の中間あたり……ほぼ狙い通りの位置に着地した。
リンスは一度も振り返らず、東門へと駆けていく。
その身のこなしは、まるで風のように軽やか――まさに【風纏衣】を纏ったかのような疾さだ。
体力はなくとも爆発的なスピードは持ち合わせているということか。
身体がついてこないだけなのかもしれない。
その背中を、もう少し見ていたかった――が、俺にもやるべきことがある。
リンスは、俺を信じて走っていったんだ。
ならば、俺も応えなきゃ男が廃る!
まだ土煙の残る地面を振り返る。
紫の外套を纏った連中が、通りの人々や店に容赦なく襲い掛かっていた。
――五人。
中には果敢に立ち向かった住人もいたが……すべて返り討ちにされている。
そして、今まさに視界の端で、紫の外套を纏った一人が住民に対して剣を振り上げ、もう一人が店の扉を蹴破ろうとしていた。
間に合え――ッ!
「**【火弾】**!」
「**【雷撃】**!」
咄嗟に詠唱し、魔力を解き放つ。
弾丸のような火球が、住人に迫る賊の側頭部を撃ち抜いた。
凄まじい衝撃に吹き飛ばされた体は、空中でねじれ、地面に叩きつけられる――その顔面は既に炎に包まれ、やがて全身が焼け落ちていった。動かなくなるまで、わずか十秒。
続けて走った閃光は、店へ突入しようとしていた賊の首筋を正確に貫く。
電撃が一瞬で神経を焼き、そいつの体は痙攣しながら崩れ落ちる。
首筋には、かすかに赤く浮かぶ雷の痕跡――リヒテンベルク図形。
――残り三人!
そのうちの二人が、こちらを見据えたまま突進してくる。
抜き放たれた刃が陽光を弾き、目には殺意が帯びている。
くそ……【風纏衣】はすでに消えている。
【石纏衣】で防御を固めるか――否。
囲まれる前に、距離を取って潰す!
俺は右手を構え、駆ける敵に魔法をぶつけた。
「**【氷撃】**!」
「**【石撃】**!」
氷と石が、音を裂いて飛ぶ。
だが――
「……っ、受け止めた!?」
一人が氷を、もう一人が石を、それぞれ手にした武器で防いだ。
衝撃で剣は大きく弾かれ、二人とも吹っ飛ぶ。
得物はひしゃげ、もはや使い物にならない。
だが、連中は諦めない。
血走った目に浮かぶのは、ただ俺を殺すという殺意のみ。
ダメージなど意に介さず、なおも詰め寄ってくる!
「っ、少しも怯まないのか……!」
実体を持つ魔法は、こうも弾かれてしまうのか。
ならば――
「【雷撃】! 【雷撃】!」
叫ぶと同時、空気を裂いて雷光が奔る。
双雷は一直線に走り、間合いを詰めていた二人の胸部へと叩き込まれた。
バチィッ――! という音と共に、焦げた臭いが鼻をつき、二人はその場で崩れ落ちる。
【雷撃】は非力な魔法と言わているようだが、大きな真円を描けば、その限りではない――。
が、これでもう位階魔法を唱えられる魔力はなくなってしまった。
あとは【ストック】してある魔法と、基礎魔法くらいしか唱えることができない。
――と、そのとき。
「あんたらなんかに渡す金なんてないよ! さっさと帰りな!」
聞き覚えのある声が響いた。
振り返ると、女将さんがフライパンとお玉を手に、店の従業員たちの先頭に立っていた。
そして、その正面にいるのは、紫の外套を纏う大柄な男――
他の《蛇咬団》の連中とは違い、その外套の背中には、蛇が人の腕に噛みつく刺繍が入っている。
(……こいつが、頭目か!?)
男は口の端を吊り上げ、薄ら笑いを浮かべた。
「くっくっく……威勢だけはいいな。じゃあ――お前には、しっかり苦しみながら死んでもらうか」
言うが早いか、男は右手を高く掲げた。
(――ヤバい、魔法だ!)
反射的に俺も右手を構え、詠唱に入る!
「【毒矢】!」
「**【風撃】**!」
詠唱は、ほぼ同時。
だが、俺の魔法は【ストック】済み!
展開速度が段違いだ!
さらに【毒矢】は第二位階魔法のようだ。
魔法陣が二つ描かれるその前に、俺の【風撃】が突風となって男を包み込む!
空気が唸りを上げ、狙いは大きく逸れた!
一気に決める!
「**【火撃】**!」
叫ぶと同時に、火球が一直線に男へと迫る!
だが――
「【風撃】!」
男も即座に魔法を発動。
【火撃】の弾速が遅い分、男の【風撃】が間に合ってしまった。
結果――放たれた突風が火球の進路をわずかに逸らし、直撃は避けられた。
だが、完全には防ぎきれない。
熱風が男を襲い、燃えた髪の毛がハラリと地に落ちる。
「……貴様、何者だ!」
焦げた髪を乱暴に払うと、男が鋭く俺を睨みつける。
そう言いながらも、男の判断は速かった。
魔法の威力、発動の速さ。
互いの力を見極めた上で、奴は遠距離戦では分が悪いと見たのだろう。
一気に踏み込んできた――!
だがそれは、俺にとっても望むところだ。
【ストック】している遠距離魔法はもうない。接近戦で決めるしかないのだ!
俺もまた、男に向かって――一直線に駆けた!




