第18話 空を駆ける
西門を抜けた俺たちの目に飛び込んできたのは――すでに丘の上に陣を敷いた《尖鼠団》の姿だった。
まぁ当然か。高所からならこちらの動きなんて丸見えだ。
そして、騎士団が斜面に取りついた瞬間。
降ってきたのは――魔法でも、矢でもなく、予想通りの石だった。
よく見れば、彼らの近くには台車のような物に積まれた石の山。
その石を手当たり次第に投げ下ろしてくる。
中には、リンスの言っていた通り【剛力】で筋力を強化し、拳大の岩を砲弾のようにぶつけてくる猛者もいる。
騎士団の重装兵たちは盾で応戦するが、威力が異常だ。
盾が凹み、砕けた石の破片が飛び、冒険者たちの腕や頬を容赦なく裂いていく。
こちらが石を投げ返そうにも届かないし、たとえ届いたとしても、勢いは皆無。
ダメージなんて、与えられるはずもない。
魔法師と冒険者は、騎士団の分厚い盾の陰に身を潜めながら前進を続ける。
だが、それでもすべてを防ぎきれるわけじゃない。
一人……また一人と、仲間が石に叩き伏せられ、呻き声とともに地面に崩れ落ちていく。
対する俺はというと、リンスの指示通り、彼女の背中にぴたりと張りつくようにして進む。
しかし、予想外だったのは、その行軍速度だ。
リンスは、ゆっくりとした足取りで斜面を登っていく。
自然と、俺たちは隊列の最後尾に。
慎重な足運びで進む彼女の背中を追っていると、空から、石が数発飛んできた。
が、リンスはまったく動じない。
剣を抜いたその瞬間、飛来する石が、風を切る音とともに次々と斬り落とされた。
すごい……!
剣先が、見えない。
この人……やっぱりとんでもなく強い……!
前方では、騎士団の重歩兵たちが石の嵐に足を止められ、なかなか前進できずにいる。
そんな中――リンスだけは、淡々と同じ速度で丘を登り続けていた。
やがて彼女は、重装兵たちを追い抜き、そのまま最前線へと躍り出る。
当然、《尖鼠団》の注目は彼女に集まる。
「おい! あの新緑の外套の女……この前、俺たちをコケにしたヤツだ! ぶっ潰せッ!」
怒号とともに、石の雨が再び降り注ぐ。
だが、それでも、彼女は止まらない。
剣を抜いたまま、ずっと同じリズムで進み続ける。
彼女の後ろは、完全なる無風地帯。
飛んでくる石は、すべて斬り払われる。
それを目にした冒険者たちは、まるで風の後ろに吸い込まれるように、次々とリンスの背後に滑り込んでいく。
スリップストリームならぬ、リンスストリーム――そこが唯一の安全地帯だった。
やがて騎士団の前衛も、自然と彼女の動きに歩調を合わせ始める。
その陣形は、まるでリンスが部隊を率いているかのようにすら見えた。
が、いつまでも防御だけをしているのでは、削られていくだけ。
「ゼルトさん! まだ反撃はしないんですか!」
俺は、近くで盾を構えるゼルトに叫んだ。
「ここから届く魔法なんてあるのか!?」
「あります! 僕が一番槍でも構いませんか!?」
「構わない! 一瞬でもいい! 隙を作ってれ! それを合図に俺たちは全力で突っ込む!」
――なるほど。届かないと思っていただけか。
ならば、俺が突破口を開いてやる!
「リンスさん、隣に立ってもいいですか? 魔法を撃ちます」
「……分かった。飛んでくる石は、すべて私が斬る。安心して集中しろ」
はじめて並び立つ、リンスと俺。
そして、右手をすっと前に掲げ、唱えるはこの魔法――
「**【火爆】**!」
一瞬にして、赤い真円の三重魔法陣が出現。
その中心から放たれた火球は、唸るような音を立てて《尖鼠団》たちへと発射。
連中もさすがに気づいたか、散り散りに回避行動を取る。
だが――それでいい。
俺の狙いは、命中ではない。
火球が奴らのすぐ近くに達した、その瞬間――
「爆ぜろ!」
握った拳に呼応するように、火球が一度だけ脈動し、そして――
ドンッ!!!
爆風は轟きを伴いながら丘を駆け巡り、瞬く間に土煙が立ち上る。
数名の敵が爆風に巻き込まれて吹き飛び、坂を転げ落ちる様が見えたが、俺の狙いはそこではない――。
それに気づいたのは、ある騎士の一声だった。
「石を積んでいた台車が崩れたようです! 投石のリスクが低い今が突撃のチャンスかと!」
ゼルトは、爆風の向こうに目を細めていた。
まるで信じられないものでも見たかのような視線を、ちらりと俺に向ける。
だが次の瞬間には、その顔から迷いは消えていた。
「全員! 突撃だ! ここで決めるぞ!」
ゼルトの咆哮が、仲間たちの士気に火を点けた。
騎士団だけでなく、冒険者たちもその声に呼応し、次々と魔法を詠唱する。
「「「【加速】!!!」」」
魔法の光が次々と灯り、駆け上がる者たちの身体能力を一時的に引き上げ、駆け上がる。
まさに全軍突撃の狼煙が上がった瞬間だった。
【加速】を使えない者たちも、ここぞとばかりに声を上げ、気迫でギアを引き上げる。
だが、そんな中でただ一人、リンスだけは速度を変えなかった。
彼女はヘイゼルの瞳をわずかに見開いたまま、俺が放った魔法の威力と精度を静かに見つめていた。
だが驚きに目を見張りながらも、その歩調はまるで乱れることなく、淡々と、一歩ずつ丘を登っていく。
そして――そんな俺たちの進撃を目の当たりにした《尖鼠団》は、完全に腰を抜かしていた。
「く、くそっ! やばいぞ! 引け、アジトまで引けぇッ! お頭が戻ってくるまで耐えるんだ!」
誰かが叫び、逃げ出したのを皮切りに、他の盗賊たちも蜘蛛の子を散らすように退却を始める。
もはや統率もなく、陣形も崩れ、負傷者など構っている余裕もない。
ただただ、自分の命を守ることだけを考えて走る姿は、まさに鼠そのものだった。
皆から遅れること、約三分。
俺たちもようやく丘の頂に辿り着いた。
そこに広がっていたのは――
石造りの、砦のようなアジト。
砦の上部からは、再び雨のような投石が降り注いでいた。
まるでこの展開を予見し、入念に準備していたかのように。
さらに、砦の周囲には無数の石壁が築かれていた。
遮蔽として使われ、こちらからの射線はほとんど通らない。
視界は遮られ、魔法も弓も通らない。
まさに、《尖鼠団》にとって圧倒的に有利な陣地だ。
しかし、ここが勝負どころと踏んだゼルトは、剣を高く掲げ、吠えるように号令を放つ。
「魔法師たちは、ありったけの魔法を砦に叩き込め!!」
その声に応じ、魔法師たちが次々と魔法陣を展開していく。
「【火撃】!」
「【氷撃】!」
「【石撃】!」
赤、青、灰色――
色とりどりの魔法陣が空中に輝き、放たれる魔法が砦を襲う。
砦の上にいた投石兵たちはその猛攻に体を晒すことができず、慌てて屋内へと退避していった。
そのわずかな隙を逃さず、騎士団を先頭に、冒険者たちが怒涛の勢いで砦へと駆け込んでいく。
懐に飛び込んでしまえば、あとは数の暴力で押し切れる。
――そのときだった。
不意に、視界の端に異様な動きが映る。
東の丘。
そこから、紫色の外套を身に纏った集団が、街へ向けて一斉に駆け下りていた。
「ゼルトさん! 東の丘に動きがあります! 街へ向かって……全員、紫色の外套を……!」
叫びながら指さすと、ゼルトは即座に振り向き――その表情が、凍りついた。
「――なっ……!? 《蛇咬団》……!?」
声を震わせたその瞬間、彼の目は怒りと焦燥に染まる。
「くそっ……! あいつら……! 街が手薄になったのを見計らって……!」
その様子を見ていたリンスが、剣を鞘ごと握り締めながら、詰め寄った。
「おい、街の警備はどうなってる!? 残ってるのは誰だ!」
ゼルトは視線を逸らす。
一瞬、口をつぐみ、だが絞り出すように呟いた。
「……わずかだ。騎士団を数名だけ配置してあるが……長くはもたないだろう」
「……ってことは、ここを速攻で制圧して、一秒でも早く街に戻らなければ――」
リンスの声に、焦燥が滲む。
その言葉の途中で、騎士団員が駆け込んできた。
血相を変え、息を切らしながら叫ぶ。
「団長!! 《尖鼠団》の残党が砦の重門を閉じ、籠城に入りました! こちらの突入を阻むつもりです! 数は減らしましたが、まだ十名近く残っています!」
街を救えば、《尖鼠団》の残党を取り逃がす。
最悪の場合、こちらの背後を衝かれ、挟撃を受けることもあり得る。
だが、砦の攻略に手間取れば――主力不在の街が、《蛇咬団》に蹂躙されるのは時間の問題。
「くそっ……! この好機をみすみす逃すことは……しかし、街にはグレスト男爵もおられるし……」
ゼルトは歯噛みしながら、逡巡していた。
どちらかを選べば、どちらかが犠牲になる可能性――残酷な二択。
そのときだった。
「ゼルト殿! 我々に任せていただけないか!? 私とレオンで、街へ向かう!」
「な、二人で行く気か!? 無茶を言うな!」
焦り混じりの声で制止するゼルトに、リンスはきっぱりと頷く。
「問題ない! 少なくとも私が街門に辿り着ければ、その先に誰一人通させるつもりはない!」
そのまなざしは冗談一つ許さない、本気の決意に満ちていた。
そして彼女は、真っ直ぐに俺を見つめる。
「レオン、頼めるか!? 前のように――私を抱えて走ってくれ!」
「前って……あのときの?」
「ああ、私には走る体力がないんだ。詳しくは後だ! だが今は、信じてくれ!」
そうか、だから丘を登るのが遅れていたのか。
今さら、彼女を疑う理由などない。
「分かりました! ゼルトさん、僕たちが街に戻ります!」
ゼルトの返事を訊く前に、斜面へ向かって詠唱を開始した。
「**【氷結】!**」
青く輝く真円の二重魔法陣が、俺の前で煌めく。
放たれた氷の魔法が、斜面を丘の中腹まで一気に凍りつかせ、滑走路を作り上げていく。
「リンスさんも、僕を信じてくれますか!?」
「何をいまさら! ……女将たちが心配だ、頼む! レオン!」
リンスの瞳が、俺を射抜く。
その瞳に迷いはなかった。
俺は彼女の身体をしっかりと抱き上げる。
リンスもためらいなく、俺の首に両腕を回し、強くしがみついた。
一瞬、息が触れ合うほどの距離で視線が交錯し、どちらからともなく頷く。
「**【風纏衣】**!」
風の衣を纏い、俺たちは一気に氷の斜面へ飛び出した。
冷気が弾け、足元から霧氷が舞い上がる。
風が耳を切り、視界の端を凍てつく世界が流れ去っていく。
中腹。滑走路の終わりが迫る。
氷の斜面が尽きるその刹那、俺は足元に意識を集中し、風を一点に集束させた。
「――行きますよ! しっかりつかまっててください! 【剛力】! 【加速】!」
さらに自身を強化。
そのまま膝を深く沈め、一気に跳躍!
氷の斜面から空へと弾丸のように飛び立つ。
リンスを抱きかかえたまま、風を背に、俺たちは一直線にビーゼルの街へと空を駆けた。




