99.cry werewolf(4)
ふとカメリアが窓の外へ目を向けると、霧混じりの薄暗い空模様が青色をこぼし始めていた。
時刻は四時を過ぎ、早ければ聞きこみに出かけた男性たちが帰ってくる頃合い。
帰りはまだかと窓越しにカメリアが一度外を見渡すも、長身の影一つなく。
濡れて帰ってくることを考えた夫人は、両側にある圧を抑えるように立ち上がった。
「雨が降って来たようですので、少々席を外します。どうぞ、お客様はそのままお待ちを」
「あっ、いえ。お構いなく」
「ではアンナさん。帰ってくる人たちのためにタオルを用意しますので、お手伝いをお願いします。──シエナさん、よろしいですね?」
雨具の用意なく出かけていることは知っているので、まずは玄関に多めのタオルを。
その手伝いを片側にいるアンナへ頼むカメリアの意図は、言うまでもなくもう片方にいるシエナが理由だった。
とにかくアンナと遊びたがる赤い少女は、悩ましそうにしている父親なんて意に介さず、気に入った年上の子の周りにしがみついたまま。
彼女は外での遊びを提案するも、アンナはそれを拒否するどころか関わりたくない様子で、長時間の拮抗状態ができていた。
どちらかが折れるか、それともこのままか。
二人はそう思っていたのだろうが、見かねたカメリアが折衷案として出したのが、室内で遊べるカードゲーム。
夫人を交えて三人で行ったのは、オールドメイドに神経衰弱。
アンナが多くの勝利を挙げた状態の今、席を外そうとする二人にシエナは不満を露にしていく。
「……えー。まだお姉さんと遊びたいんだけど」
「すぐ終わります。続きはその後で」
「わたしはもういい」
「ヤダ。せめてあと一回、お姉さんに勝ちたい。もう、なんでやればやるほどお姉さんに勝てなくなるかなあ」
シエナは駄々をこねていくも、淡々とかわしていくカメリアは静かに部屋から姿を消す。
小走りでその後を追うアンナは、あからさまな疲労の色を見せていた。
カードゲームの勝敗は、抜きんでたアンナは置いて夫人とシエナがほぼ同率。
特に神経衰弱に関しては無双に近い成績をアンナは残し、ルールを把握した途端にカードの位置を全て把握して得点を稼いでいた。
しかしオールドメイドはややシエナが優勢。最後のクイーンを巡る読み合いと騙し合いは、赤い少女に軍配が上がっている。
だからこそオールドメイドで勝ちを取りたいシエナだったが、もう彼女の相手をするのに疲れ切っているアンナは、そもそもゲーム自体に消極的。
夫人が相手では満足できないと騒ぐ少女を背に、二人は乾いたタオルが仕舞われたクローゼットへ向けて、足を進めていく。
「お相手お疲れさまです、アンナさん」
「……つかれた」
「随分と気に入られたようですね。彼女、友人が少ないようには見えませんが、きっとアンナさんのような方が珍しいのでしょう」
「珍しいであんなに来られても、迷惑。ミアなら、そんなことなかったのに」
明るく振る舞い、自分へ光を当てる少女。
そんな部分を友だちのミアに似ていると初めは思っていたアンナだったが、今ではすっかり真逆の印象に。
ミアは決して、アンナのペースを無理に乱そうとはしなかった。自己本位ではなく、側にいて手を取るのを待っていてくれる。
いなくなってしまった彼女を近しい者としての理想とするなら、シエナはあまりにも踏みこみすぎていた。
ミアは勿論。ザックやブリジットも例に漏れず、第一印象は悪い方だったが男爵令嬢のヴィクトリアだって一定の心の距離は保っている。
それに対して距離感という概念が希薄なシエナは、アンナにとって天敵のようなものだった。
「その子はちゃんと貴女を見ていたのですね。──そうですね。アンナさんにはまだ縁がないかもしれませんが、女性に対して似たように迫る殿方は存外多いものです。これは覚えておくといいでしょう」
「えっ、殿方って男があんな風に……? そういう人、嫌いだ」
「ハッキリといいますね。まあ、人のことを言えませんが」
男性に言い寄られた経験と、それを真っ向から切り捨てた記憶。その二つを暗に漏らすカメリアに、アンナは感心の色を見せていく。
夫人のような女性だとそういうことが多いと知ったアンナが思い浮かべるのは、ブリジットとヴィクトリア。
アンナからすればカメリアと同じ大人びた印象の彼女たちは、似た経験があるのではないか。
そう考えた彼女は、次に会ったときに聞いてみようと心に留めていく。
「では思い切って、アイザック殿下でしたらどうでしょう? 彼でも苦手に思いますか?」
「ザック? ……うーん」
知っている女性たちはどうなのだろうとアンナが考えていると、少女が人との距離感に悩んでいると見たカメリアは、一番近しい異性ならどうだと話を振る。
少し意地悪かもしれないと思うも、人として好意があると分かっている彼なら、目の前の少女はどう感じるのか。
それが気になったカメリアは微笑みながら答えを待つと、アンナの口から出たのは想像の外にあるものだった。
「絶対にやらないから、むしろ見てみたい」
「あら、意外ですね」
「でも本当にやってきたら、嫌いになりそう」
アンナの心境を考えず、笑顔で自分勝手に振り回そうとする青年。
ザックだろうと、怪物アイザックだろうと。少女にはそんな振る舞いをする彼らを想像できないし、違和感以外を覚えられない。
むしろザックがそれをやって来た場合は、何か裏があるとしか思えず、自分の気持ちがどうこうは初めには浮かばなかった。
実現したら。その想像が上手くできないため断言できないアンナを見たカメリアは、つい頬が緩んでしまう。
「嫌いになりそう、ですか。私もそうかもしれません。──では、アンナさん。こちらを。玄関まで持っていくのですが、持てますか?」
「別に、平気」
「良かった」
そう話している間に、二人は目的のクローゼットへ到着した。
流れるように乾いた小さめのタオルを複数枚取りだしたカメリアは、そのままアンナへ手渡すと、自身は次にバスタオルを手にしていく。
濡れた髪や服の雫を拭きとる準備も、冷えた体を温めるための入浴の準備も、これですんなりと進められる。
合わせてアンナの気疲れも和らいだことを確認した夫人は、今度も二人で玄関まで向かっていった。
歩く速度は遅く、流れる時間はゆっくりと。
束の間の休息として廊下を歩く二人の距離は、母の手伝いをする子のそれに近い。
玄関にある棚の上へタオルを重ね、これで濡れて帰ってきた者たちへの下準備はお仕舞いとなったとき、アンナの足は重くなっていく。
これで戻れば、またあの子が待っている。
そう考えると心がカメリアへ寄っていき、しかし戻りたくないと口にすることが黒い少女には難しかった。
夫人に我がままを言っていいのか。ザックにすら躊躇いを見せていたアンナにとって、カメリアはさらに遠い存在。
何も言えずに俯いたままでいると、少女に差した影の色を見たカメリアは、膝を曲げて目線を同じにしていく。
「アンナさん。少しの我がままくらい、私は気にしませんよ」
両手で少女の頬を撫で、いつもは冷たい表情に花のような温かみの色を散らす。
声音は人肌の熱を持ち、アンナに触れる手は羽毛のように優しくて、下を向いていた深い紫の瞳にはアイスコーヒーの瞳が添えられた。
──あの子と同じ、手を差し伸べて待ってくれている。
それを理解できたアンナが、胸の内で言いたい言葉を必死に並べていると、少女の視界の端に人影が映りこむ。
カメリアの背中側。そこへ向かって何かを握りしめて迫っていく、リビングルームから出た男性の姿が。




