103.cry werewolf(8)
半月以上は音沙汰がなかったアイザックは、黒い少女が言葉を発する前に辺りをざっと見回す。
手短に、かつ現状を把握するために必要なものは拾って。
そうして、ここが自身の知る場所でないことと、外へ叩きだした何かが敵であることを理解した彼は、何も言わずアンナの声を待っていた。
「アイザック……だよね」
「他者に見えるとしたら話にならん。前置きも確認も不要だ。外にいるアレと、彼が何かだけを話せ」
「えっと、外のシエナ……じゃなくて、怪物は人を……人を──」
「事情は分かりませんが、私が代わりにお答えします、アイザック殿下」
ザックが致命傷を負ったことで、怪物アイザックと入れ替わった。
長寿の錬金術師に会ったときを思い出すアンナだったが、希望が見えたと同時に心が揺れて、口が回らないほどの気持ち悪さを覚えてしまう。
アンナの胸に湧き出るのは、これまで押し潰されていた感情の数々。
しかし多色のあまり、表現が得意ではない少女には荷が重く、色を分けることも混ぜきることもできなかった。
言いたいことはたくさんある。アンナはそれを目で訴えかけるも、アイザックには届かない。
そんな少女の隣で、彼が欲するものは情報とだと理解したカメリアは、アンナが答えようとしていたことを引き継いでいく。
「外にいる怪物は敵で間違いございません。殿下のお隣にいる彼は……」
外へ叩きだされた人狼は敵であると断言できる。
しかしアイザックのもう一つの問いに対して、カメリアは言葉を詰まらせてしまう。
様子が変わった王子の隣にいる、真っ黒な人型の何か。
大柄な男性で筋肉質。アイザックに合わせて人狼を攻撃し、それ以前にも包丁を持った今は亡きラルフから、アンナとカメリアを彼は庇っている。
味方なのは間違いない。しかし正体が分からないし、守られる理由も思いつかない。
どうしてこの存在は私たちの下へ現れたのだろう。そう考えるカメリアは、黒い人型を注視していく。
「彼は……いえ、まさか。そんなはずは……」
「明確に発言しろ。この者は誰だ。貴様の知る死者に近い者がいるのか」
夫人の知る死者の中に、黒い人型と似ている人物がいる。
そんな世迷言を口にすることをアイザックが許容したことにより、黒い人型を捉えるカメリアの瞳の色が変わっていった。
毛髪から足のつま先。衣装と体格の造詣に、立ち姿。全てが黒に覆われていようと、彼女の凍えた記憶の中にあるものと、それはなぜか一致している。
カメリアは知っているのだ、彼の名前を。
「──デューク。デューク・カメリア。私の、夫だった人です」
「そうか」
アンナが気を許す女性の夫。ならば敵と見なす理由がない。
承知の意として黙したまま歩きだしたアイザックは、そのまま外に黒い霧の人狼へ向かっていく。
合わせてデュークと思われる黒い人型も一度は外へ顔を向けるも、思い出したかのように彼はカメリアへ向き直った。
声はなく、聞こえてくるのは火花の音だけ。表情も分からず、笑っているようにも悲しんでいるようにも見える。
そんな彼は口を開くも、パチンと明るい音だけを残してアイザックの後を追っていった。
「ねえ、カメリア」
「何でしょうか」
「あの人、なんて言ってたの?」
「行ってくる。……最期に聞いた言葉と同じです。ああなっても、あの人は変わらないんですね」
パーシヴァルとともに出かけて、探偵しか戻らなかったあの日と同じ背中。
それを見届けるしかないカメリアは、自然と顔を伏せてアンナを抱き締める力を強めた。
あの人たちとの関係は変わらない。カメリアはただ、彼らの帰りを待つだけ。
「アンナの力で再現された亡霊、名はデュークか。先の攻撃は見事だった。恨みか、詰まらぬ正義感かは知らぬが丁度いい。貴様には役立って貰う」
アイザックとデュークの協力関係に、言葉は必要なかった。
一方的に青年が話し、カメリアの夫はただ頷くのみ。アンナたちを守るという、ただそれだけの目的で動く彼らは、油断を見せずに再び黒い霧の人狼を捉えた。
雨が止まない霧の中。不意を突いてくると予想していたアイザックたちだったが、意外なことに人狼は体を起こしただけで動く気配すらにじませていない。
「ああ、ビックリした。初めてだなあ、殴られたの。今のボクに触れられる奴がいたなんて驚きだよ」
「無傷か。外見通りの怪物だな」
「それはこっちの台詞だよ、お兄さん。いや、あのお兄さんじゃないね。誰なの、いったい。致命傷がもう完治しているっておかしいよ」
あらゆる理不尽をなす人狼、致命傷であれ無に帰すもう一人の王子。
どちらが怪物かと問われたら、どちらもと答えるのが常人であり、それを告げる者はこの場にはいない。
ここからどうしようかとその場に留まる人狼だったが、アイザックばかりに意識を向けたせいで、人狼はもう一人の存在を逃してしまう。
「おっと、危ない! 痛いのはヤダなあ」
霧散と結合。人狼と同じく黒い霧で体を構成されているデュークは、アイザックの背後から瞬く間に消え、人狼の背後へと出現した。
そこから間髪入れずに拳を突き出すも、触れるまでのわずかな時間で察知した人狼は、体の霧をねじることで相手の攻撃をかわす。
そこからは一進一退。人狼の爪牙はデュークを砕くも、黒い霧が集まれば再生され。デュークの徒手空拳が人狼を追うも、ゆらめく黒い霧は捉えられない。
どちらも決定打がなく、アイザックも機をうかがいはするも混沌とした黒い霧たちには隙がない。
傍観するのは無駄だとアイザックが彼らに近寄っていくと、雨音の中から怪物ではない声が通り抜けた。
「──君は、デューク……か?」
刃が突き刺さったように、聞こえてきた声によってデュークの足が止まる。
ふと三人がそちらへ意識を向けると、頭から出血しながらも体を起こし、黒い霧の渦を瞳に収めるパーシヴァルの姿があった。
視界は最悪、意識だって痛みが占有している。だというのに、姿形が変わりすぎている彼の名前を告げた探偵へ、デュークは振り返ってしまう。
「ああ、なんだ。お前、あのときの警察か。食べたのに出てくるなんて、面白い奴。だったら今度はお前が見てる? こいつが食べられるところ」
視線を外した。それが仇となり、デュークは人狼の姿が霧散するところを見逃してしまう。
どこへ行ったのか、先の言葉はどういう意味か。彼がそれを理解する前に、人狼はパーシヴァルの真上へ出現した。
そのまま大口を開けて、探偵を一気に胃の中へ。黒い霧に包まれることが消失と同義の状況になるも、パーシヴァルは動けない。
雨粒だけを通す黒い霧。それを見上げる探偵の表情は、一年前のデュークが消えた瞬間と重なり──
「相棒を食べる? させるかよ。俺がいる限り、できると思うな」
黒い影もまた、パーシヴァルの瞳に重なった。
聞こえるはずのない雄々しい男性の声。人狼と探偵の間に立ち、勇ましい両腕で開かれた大口を受け止め押さえたデュークは、黒い人体のひびが増えるほどに力をこめる。
「デューク、本当に君はデュークなのか。なんだ、その姿は。どうしてここにいる。どうしてお前がそれと戦っている」
先に聞こえた声は二度も響かず、返ってくるのは火花の散る音だけ。
赤い光を漏らすひびがニコリと笑うも、パーシヴァルの頬を伝うのは雨粒以外なかった。
「そんな姿で、力を得たとでも言うつもりか。夫人を置いて、強くなったつもりか」
嘘みたいな姿となって自分たちの前に現れることが、正しいはずがない。
例え正義の心が残っているのだとしても、望んでいた人を守る力を手にしたのだとしても。
人でなかったら、それは君であると言えるのか?
「君は間違っている、デューク」
「それは私も同意しよう。人でないことを誇るのならな。……だが、彼は違う」
デュークが人狼を捕まえた。それが隙となり、冷たい青年の声が黒い霧たちを貫く。
赤い三日月──人狼の目に相当する部分へ振るわれたアイザックの拳は、通り抜けることなく打ちこまれ、空気の破裂音とともに人狼の体が飛んでいった。
「貴様たちを守るために現れたのなら、彼は人だ」
力だけの人物ならば、近しい人だろうと守らない。心があるから、こうして体を張っている。
そうパーシヴァルへ告げながらも、アイザックは攻撃の手を緩めない。
二度目だとしても効果は期待できず、相手が音を上げるまで攻撃を続けようと止まらなかったアイザックだったが、三度目を打ちこんだ瞬間に人狼の体は霧散した。
いたはずの場所には誰も、何もおらず。残されたのは男女の区別がつかない幼い声だけ。
「何それ、悪いことをしたなら人じゃないよ。あー、最悪。嫌な予感が当たるし、痛いし、もうやってらんない。もう帰る。……はあ、お姉さんともっと遊びたかったなあ」
不満だらけの幼い声は、黒い霧を連れて雨音に消されていく。
そう告げながらも、下宿にいるアンナたちを狙うのではとアイザックが視線をやるも、屋内にあるのはアンナが生みだした黒い霧だけ。
数拍。夢のような存在が消えた世界は、時が止まったように霧と雨だけが満ちていた。




