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霧中のアンネーム  作者: 薪原カナユキ
第三幕 ???

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101/102

101.cry werewolf(6)

 灰混じりの雨は降り止まない。

 うめき苦しみ、負傷した右腕を押さえて地面へ転がるラルフに、警官は拳銃片手に思案していた。


 濡れる一方の彼が頭を悩ませているのは、今後のこと。

 今の彼はあくまでも私用で動いている上に、すぐに目当ての犯人に出会えるとは思っていなかった。

 手錠を持ち合わせておらず、かといってこれ以上痛めつけてしまうと、気絶では済まされない。


 謹慎の無視と独断専行、無断で拳銃を持ち出して発砲。そこに犯人への過剰な加害まで及べば、免職で済まないことは粗暴な彼でも理解できる。

 しかしこのまま通報を受けた他の警察が来るのを待つのは、手柄とするには不足であると否めない。


 折角の機会。違反行為の打ち消しを越えた成果を欲する警官だったが、面倒くささが勝って足が出そうになったろことで、彼の神経に障る声が背筋を撫でた。


「それぐらいにしておきなよ。今の銃声、外まで聞こえてた。それ以上やったら、市民にもっと嫌われる」

「チッ、うっせえな。あの程度の運転でへばってたお偉いさんが、何ほざいてんだ」

「心証良く。貴族の立ち回りは警察も覚えておいた方がいい。……ただキミのいう通り、今の僕には何もできないから、忠告以外はしないさ」


 雨音でも怪しさを誤魔化せない作り笑いの青年ザック。

 そんな彼が言葉だけで警官を止めに入るも、その体はひどく揺れていた。


 原因は下宿へ急いで向かうために用いた蒸気自動車。

 運転手は付き添っていた使用人が務めるも、なりふり構わないとザックが許可を出したことにより、車は暴れ馬と変身した。


 結果、想定よりも早くここへ着いたものの、無事だったのは使用人ふくめてパーシヴァルと警官の三人。

 残るザックだけが、乗り物酔いに襲われることとなった。


「危ないからと、ライトと先生を置いてきて正解だった。……ああ、気にしないで。キミは命令を全うしたんだ。後は、もう一人と一緒にあの警官同様の見張りを。三人もいれば逃げないはずだ」


 不甲斐ない体たらくに警官が憎まれ口を叩いているが、聞こえないフリをしてザックは使用人たちへ指示を出していく。

 運転手を務めた者も、下宿でアンナたちの警護についていた者も、緊張の糸を切らないまま頷いた。


 アンナたちの警護についていた者は、ザックと顔を合わせるや否や深々と頭を下げ、苦々しい表情を残したまま警官の下へ。

 ラルフへの警戒を怠り、警護対象を危険にさらしてしまった。その心を汲みとったザックは、まだ地面が揺れる感覚に囚われつつも、離れていく背中に言葉を投げかけた。


「いい機会じゃないか。もう見逃さないだろう?」

「──そうしてくれると助かる。しかし彼も気の毒だな。あれを警戒しろというのは、ウサギをオオカミだと思えと言っているようなものだ」

「フォレスターさん、こっちに来ていいんですか」

「問題ない。貴方も言っただろう、三人いれば逃げないと。それよりも彼女たちだ」


 ラルフの身柄は既に抑えられている。そう判断したパーシヴァルがふらつくザックと合流すると、二人の視線は(そろ)って下宿の中へ向けられる。

 まだ状況の整理がついていないアンナとカメリアを視界に収めると、次に見ていくのは怪我と表情。


 流れる赤はなく、顔色も青や白が一面ではない複雑な色相。

 混乱しているだけでひとまずは無事だと確認した二人は、それぞれ何かが切れた感覚を覚えた。


 ザックは嘘くさい笑みが薄れ、パーシヴァルは咥えた紙巻煙草を握りつぶす。

 そんな安心を見せていく二人に、探偵は表情を崩さず声をかけていった。


「二人とも平気のようだな。見たところ、包丁で襲いかかったところをあの警官が発砲したようだ。迷いのなさと銃の腕は称賛できる。──しかしだ、お客人。彼女の髪はいったいなんだ?」


 下宿の中は荒らされた様子もなく、アンナたちの傍には包丁が静かに落ち、遠い壁には弾痕が一つ。

 部屋の扉に隠れて外を呆然と見ている赤い少女に探偵の目は捕まるも、彼女の外見と様子から推測を立て、ふいと別の場所へ視線を移した。


 アンナよりも幼さを感じる少女は、あえて聞くまでもなく犯人の血縁。

 となれば、カモフラージュとして連れて来られたと考えるパーシヴァルは、眼前にある最も不可思議な現象を注視する。


「赤く発光している。夫人が平気な様子であることから、熱は帯びていないのか。昨日まではなかったが、お客人はこれを承知しているのか? ……聞くまでもないようだ」


 廊下全体に薄っすらとにじむ黒い汚れのような物も気にはなるが、それよりも目を引くのはアンナの髪。

 これはなんだと問いただす探偵に対してザックの反応は、肩をすくめるだけで否定をしない。


「納得がいった。お客人が私に依頼したいことは、これが関係するようだ。人体の一部が発光する。なるほど、確かに怪物めいている」


 人間にはあり得ない現象。そして依頼のために来訪した際、ザックが告げた医者を探しているようなものという言葉。

 安直につなげれば、アンナの身に起きているこの現象を無くしたいという考えが受け取れ、不審さを承知で訪れたのも頷ける。

 怪物と称されるような存在でなければ、これを治すことも不可能だということも、彼の医療の知識からでも察せられた。


 ──本音をいえば興味が尽きず、まずは観察を。

 そんな燃え上がる心がありつつも、残り半分のパーシヴァルの理性は、黒い少女の異常よりも探偵としての義務を訴えた。


「魅力的な謎ではあるが、この場でそれを解き始めるのは収まりが悪い。現に夫人たちは理解も納得もいかないまま、立つことすらままならない。であれば、そちらを解くのが先決だ。そうは思わないか? お客人」

「犯人の動機と、どのような犯行に及んだのか。それは整理しておきたいところですね」


 殺人鬼ことラルフが歩んだ犯行の旅。

 その旅程を推測混じりでも紐解こうと告げたパーシヴァルは、改めて廊下全体を見回した。


「夫人を襲った過程は単純だ。彼女たちの目を盗み、忍びこんだキッチンから包丁を持ち出して凶器を振るった。あの少女は親子を装うためだと考えるが……カメリア夫人、彼らはどういった経緯でここに来たのか分かるかな?」

「……貴方に依頼があると、お昼前この下宿に。ただの親子だと思ったので、リビングでお待ちいただいていました」

「依頼人。そうかなるほど、有効な手だ。実際の血縁や関係性はさておき、探偵の私に用があるとして子連れで彼女に近づく。見事な一手だ」

「褒めるものじゃないと思いますよ、フォレスターさん」

「彼を褒めた覚えはない。そしてこれまでの殺人鬼の傾向と貧民街で聞いた話を合わせれば、夫人を狙ったものであることは間違いないな」


 包丁が離れた場所に落ちているため、現状ではアンナを狙ったのか、カメリアを狙ったのかは推測でしかない。

 油断しているカメリアの背中を狙ったか、アンナを狙ったところで夫人がかばい、彼女の背中へ向かったのか。


 どちらにせよ、事前情報をかけ合わせればカメリアを狙うことは間違いなく、まだ夫人の胸の内にいる黒い少女が首を縦に振ることで、探偵の言葉に重さが足された。


「赤い衣装を身にまとう、二十代から三十代の女性。これまでの被害者は夜の職に就く都合、美女に類する者が多く、夫人も世間的にはこれに該当する。よく聞かされたものだ。選んだ得物も包丁と、切ることができる物だ」


 ここまでが巷で噂される殺人鬼の特徴。

 切り裂き魔と称された犯人が好むシチュエーションと合致し、唯一違う点はこれまでの被害者とカメリアの職業だけ。


 なぜ急に下宿の主が狙われたのか。

 それは貧民街の住民たちの話によって、つながらないはずの動機の糸が結ばれる。


「だが夫人とこれまでの被害者には、それ以上の共通点がない。そう考えてしまうが、少年の紹介で知り得た情報を統合すると、美女というのがキーワードになる。……古来より、妬みの理由には美が含まれる。自身より優れたものを許せない。その心理は普遍であり、私にも覚えがある」

「自分より優秀な人に思うところはないかと言われれば、僕にだってありますよ。姉さんを恨むとかは流石にしませんが」

「そうだろう。ここは私の推測だが、被害者が恨んでいた相手を次のターゲットにする。この動機付けの心理としては、こういったものだろう。──それほど恨まれている人なら、消えても問題がない。むしろ喜ばれる。そういう考えはなかったか?」


 話を進めていく内に、パーシヴァルの視線は犯人であるラルフへ向けられた。

 つられて足も動きだし、他者の言葉に応えつつも意識は雨で濡れる見知らぬ誰かへ。


 名前すら知らない犯人にもう一度迫ろうとする探偵は、彼にも声が聞こえるところまで近寄ると、声を一段と冷たくして放った。


「答えを聞こうか、殺人鬼」

「……僕が彼女たちをやった理由、ですか? 恨まれてるからやった? 少し、違いますよ」


 右腕の痛さも熱さも引く気配はなく、地面へ転がったままのラルフは、どうにかという様子で震えた声を上げていく。


 向けられる銃口、油断ならない気配の私服の二人。そして自信を投げ飛ばした探偵。

 この四人を前にしたラルフが打ち明けるのは、怯え混じりの嘆きだった。


「彼女たちがいなくなればいいと思って、やったんです。あんな人たち、いなくなった方がいいに決まっている。実際いたでしょう、あの人たちがいなくなって助かった人が。あんな人たちは早く消さないといけないんです」

「聞くに堪えないな。一連の犯行、私には楽しんでいるように見えたが」

「楽しむ? 気のせいでしょう。早く消さないと駄目なんです、あの子のために。あの子みたいな子が増えないために」

「おい、クソ探偵。この話聞く必要ねえだろ。イカレ野郎の妄言だぞ」


 被害者たちを早く消さなければいけなかった。

 それは恨まれていたからに通ずる部分があり、推測の方向性に間違いはないと踏んだパーシヴァルは続きを待つも、近くで聞く警官は無価値だとラルフの声を潰そうとする。


 警察なのに動機を聞かないのかとため息をつく探偵だったが、言葉を重ねるにつれてラルフの様子に変化が訪れた。


「あいつは僕からあの子を奪った。僕もあの子も愛していなかったくせに、突然現れては仕事をさせると連れ去って。挙句に壊れたとか言って捨てたんですよ! そんな奴も、同じことをしている奴も、皆いなくなるべきでしょう!」

「お、おい。何言ってんだ、お前。追いこまれたらイっちまう口か。めんどくせえな」

「思うでしょう! 自分の子どもすらただの道具としか見てない奴なんて、いなくなって当然だと。僕がやった奴らはそんなのばっかりだ。これのどこが悪いんだ」

「虚言かどうかはさておき、子どもを道具としたのは君もだろう。今、下宿にいるあの子ども。君と無関係とは想像できない。大方、これまでの被害者を呼び出す役目を与えていたといったところか」


 突然の事態に呆然とし、理解ができないと立ち尽くしているシエナ。

 彼女の現状からラルフの凶行を知らされていないと察したパーシヴァルは、見苦しく叫ぶラルフに不快の視線を向けていく。


 協力者でないとすれば、赤い少女に関して考えられるのはいくつかの選択肢だけ。

 何も知らない血縁者、身分を偽るためだけの子ども、無垢なままで使われた犯行に及ぶまでの餌。

 どれもラルフ自身の発言に反する行為であり、実際に被害者をラルフの下へ呼ぶために使っていたとしたら、彼の言葉は羽毛と同じ軽さになる。


 警官の言う通り、追い詰められたショックによって精神が病んでしまった。

 それで納得するパーシヴァルだったが、どうしても最後の見切りがつかず、探偵の視線は殺人鬼に縫いつけられてしまう。


「子ども……そうだ、子どもだ。あの子はもういない、いないんだ。愛しいシエナ、どうしていないんだ。どうしてあいつについて行ってしまったんだ。お父さんだけじゃ、駄目だったのか。なんで、どうして」

「シエナ、それがあの子の名前か」

「シエナが、あの子? シエナ……ああ、ああっ! 違う、違うんだこれは。違うんだ、シエナ。お父さんは、お父さんは……お前を愛している。だから、だから……」


 ふらふらと立ち上がり、汚れた赤褐色の瞳からは一片の光すら灯されていない。

 そんな状態のラルフは向けられている銃口すら意に介さず、赤と雨で濡れた左手を探偵へ伸ばしていく。


 症状としては違法な薬を常用する輩のそれ。幻覚すら見え始めたと警官は呆れるが、パーシヴァルは訝しみつつも彼の言葉を受け止めていた。


 シエナとは、下宿で立ち尽くしている彼の関係者の名前に違いないはず。

 だというのにラルフの言動は、シエナはもういないという風にしか捉えられない。


 まさか、同じ名前をつけた義理の子か?

 霧のように曖昧(あいまい)な言葉から推測をいくつも生みだしていくパーシヴァルだったが、ラルフが伸ばした左手で探偵の胸倉を掴んだ途端、これまで巡らせていた思考が晴れた日のように消えてしまう。


「──だから、助けてくれ!」


 無罪の主張ではない。むしろ被害者によく見られる救いの言葉を叫ぶラルフに、パーシヴァルは気圧されてしまった。

 霧のように隠れていた殺人鬼。これといった特徴がなく、残す証拠も限られるような手口で立ち回っていた彼が、ここへ来て灰混じりの雨に悲痛な涙を溶かしていく。

 まるで誰かから狙われているように。


 白い霧がまだ残る雨の中、殺人鬼の手を取るかパーシヴァルが迷う一瞬。

 探偵の背後から現れた黒い霧が、ラルフの全身を飲みこんだ。

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