↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された誓約鑑定令嬢は、沈黙の辺境公爵と偽りの王国を縫い直す  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/22

第20話 忠誠を返された公爵

 処刑予定日まで、残り四日。


 朝の契約裁判所前には、開門前から人が集まっていた。


 商人の荷車。


 巡回司祭の馬。


 新聞社の使い。


 女性相続人の互助会から来た使者。


 それぞれが抱えているのは、同じ大きさの書類束だった。


 リーゼロッテは石段の上で、息を止めた。


 「来た……」


 北境を発つ前から各地へ散らしていた書類。


 各村。


 各軍部隊。


 領主個人への忠誠誓約を終了し、領地法を守る市民誓約へ切り替えるための構成員同意記録と解除申請書。


 王妃側に目的を悟られないよう、商人便と司祭便へ分けた。


 王都で女性たちの被害を集め始めてからは、被害者支援者や王都の協力者たちにも運搬経路が広がった。


 それが今、同じ日に契約裁判所へ集まっている。


 「全部ですか」


 ミーナが訊く。


 オスカーが一覧表を開いた。


 「確認するまでは全部とは言えない」


 「そうですね」


 リーゼロッテも頷く。


 期待で数を増やしてはいけない。


 裁判所の受付が始まる。


 一束ずつ。


 村名。


 部隊名。


 現在の契約主体。


 現職の村長、部隊長。


 構成員の同意記録。


 旧辺境忠誠誓約の登録番号。


 新しい市民誓約案。


 書記官たちが受領印を押していく。


 昼前。


 最初の集計が出た。


 「不足があります」


 リーゼロッテの心臓が沈む。


 「どこですか」


 書記官が三件を示した。


 一つは、十年前の登録簿にある村。


 だが現在の行政台帳には存在しない。


 雪崩被害のあと隣村へ統合され、旧村そのものはすでに廃止。


 二つ目は、国境守備の旧小隊。


 三年前の軍制改編で解散。


 三つ目も、鉱山警備の臨時部隊。


 契約期間満了で消滅している。


 「つまり」


 「現行の契約主体ではありません」


 書記官は言った。


 「登録上すでに失効しているものです」


 オスカーが一覧を指で追う。


 「では、現に存在する村と部隊は?」


 「全て揃っています」


 ミーナが小さく息を呑んだ。


 リーゼロッテはすぐには喜べなかった。


 「申請が届いた、だけですね」


 「はい」


 契約裁判所の書記官も頷く。


 「次は、各契約主体の同意が有効かを確認します」


 構成員の人数。


 同意数。


 署名者が現職か。


 同じ人物が複数の名義で署名していないか。


 旧忠誠誓約の登録番号と申請対象が一致するか。


 確認は一日では終わらなかった。


 リーゼロッテたちは、裁判所の小会議室を借りた。


 窓の外が暗くなっても、書記官の読み上げは続く。


 「北西第三村。構成員八十四名。同意七十六名。規定数を満たす。現職村長署名一致」


 「旧登録番号は?」


 「一致」


 「次」


 「北境第二守備中隊。構成員百十二名。同意百一名。現職中隊長署名一致」


 一件ずつ。


 数十件。


 数字の確認だけなのに、リーゼロッテには一つ一つが顔に見えた。


 穀物が戻った日に温かい食事を受け取った村人。


 銀鉱山の危険な坑道から帰った子供たち。


 給与を一か月待てば家族の生活が揺らぐ兵士たち。


 その全員が、十年前に知らないうちに「公爵が沈黙を破れば罰を受ける契約」の側へ結ばれていた。


 今回の署名は、その鎖から自分たちの名を外すためのものだ。


 途中で一件、署名の日付がずれていた。


 構成員の同意を集める前に、村長が先に申請書へ署名している。


 「これは無効ですか」


 ミーナが訊く。


 「現状では受理できません」


 法務官が答えた。


 リーゼロッテはその村の書類を見た。


 遠い。


 通常便なら往復で数日。


 残り四日しかない。


 「確認だけ取り直せませんか」


 「現職村長が、構成員同意を確認した後で改めて署名した事実が必要です」


 オスカーが立つ。


 「軍の伝令を使う」


 「公爵家の軍便で?」


 「一番速い」


 リーゼロッテは考えた。


 王妃側から見れば、北境公爵家が自分への忠誠を捨てさせるために軍を使った、と攻撃する余地がある。


 「伝令は使います。ただし、署名を求める命令書にはしません」


 「では?」


 「不備通知だけを届けます。署名するかどうかは村長本人に任せる」


 公爵家の軍便が運ぶのは、裁判所で不備が見つかったという事実だけ。


 再署名を強制しない。


 翌朝。


 残り三日。


 北境から返書が届いた。


 『構成員同意記録を確認後、改めて申請する』


 新しい日付。


 村長本人の署名。


 これで一件埋まった。


 最後に残ったのは、軍部隊の一つだった。


 構成員数が、同意記録と現行軍籍で一人だけ違う。


 「昨日、退役した兵がいます」


 オスカーが軍籍を確認した。


 「同意を取った時点では在籍。申請受理時には退役済み」


 「どちらを基準にしますか」


 書記官が裁判官へ確認へ行く。


 戻ってきた答えは簡潔だった。


 「申請時点の現行契約主体で判定する」


 退役者を除いて再計算。


 必要数を満たしている。


 受理。


 昼過ぎ。


 全現行契約主体について、形式確認が終わった。


 リーゼロッテの前へ、二つの束が置かれた。


 終了する辺境忠誠誓約。


 新しく登録する市民誓約。


 その文面には、レオンハルトの名はない。


 『領地法を守り、領民の生命、財産および国境の安全を保全する』


 『領主個人への無条件服従を義務としない』


 『法に反する命令について、異議申立ての権利を持つ』


 オスカーが黙って読んでいる。


 「寂しいですか」


 リーゼロッテが訊いた。


 「少し」


 正直な答えだった。


 「公爵閣下へ忠誠を誓ってきた兵は多い」


 「ええ」


 「昔、あの人が十七で公爵になったときも、領民の前で『私に従え』とは言わなかった」


 オスカーは遠くを見るように言った。


 「ただ、逃げるなら先に領民を逃がせ、と兵へ命じた。それで皆、あの人に付いていった」


 リーゼロッテは新しい市民誓約を見る。


 「だからこそ、契約で縛る必要はないのですね」


 「そうだな」


 北境を発つ前にレオンハルトが書いた言葉。


 『人ではなく法に誓え』


 『私が間違えたとき、止められるように』


 リーゼロッテは頷く。


 「忠誠を捨てるのではありません」


 「契約の形だけ返す」


 「はい」


 好きだから従うことと。


 契約で従わされることは違う。


 支持したい者は支持すればいい。


 離れたい者は離れられる。


 その選択を王妃が人質に使える形では残さない。


 午後。


 登録切替が始まった。


 各辺境忠誠誓約の終了。


 新しい市民誓約の登録。


 一件ずつ契約石の支部記録へ反映される。


 旧誓約が終了するたび、台帳の欄へ終了印が押される。


 その下へ、新しい登録番号。


 村ごとに違う。


 部隊ごとに違う。


 一つの主君へ束ねる番号はもうない。


 最後の一件が処理されたのは、日が沈みかけたころだった。


 「現行の辺境忠誠誓約は」


 書記官が台帳を見直す。


 「ゼロです」


 リーゼロッテは目を閉じた。


 十年前。


 全村と全部隊に付けられた同じ連結番号。


 馬車襲撃の際に熱を帯びた忠誠台帳。


 十年前の売却台帳を追う中で見つけた一斉登録変更。


 廃礼拝堂で見つけた母の手帳。


 ようやく一本に繋がった。


 「次です」


 リーゼロッテは言った。


 「連結番号そのものを確認してください」


 十年前の登録記録。


 辺境忠誠誓約に追記された『国境保全誓約連結番号』。


 裁判所が中央登録へ照会する。


 そして、照合結果が届いた。


 書記官の顔が変わった。


 「一致しません」


 「何と?」


 「北境の忠誠誓約に記載された連結番号は、本来の国境保全誓約の登録番号ではありません」


 別の登録へ繋がっている。


 現在の登録名。


 『国境保全誓約』


 しかし、分類履歴の古い控えには別の名称が残っていた。


 『沈黙の誓約』


 リーゼロッテの背筋が冷える。


 「王妃側が分類を変えた記録は?」


 「あります」


 十年前。


 登録分類変更。


 国境保全誓約として再分類。


 その番号を、全ての辺境忠誠誓約へ連結した。


 「本来の国境保全誓約番号は別に存在します」


 書記官が二つの番号を並べた。


 違う。


 似てもいない。


 単純な転記ミスでは説明できない。


 「これで」


 リーゼロッテは言った。


 「連帯責任条項の対象になる有効な辺境忠誠誓約は、もう存在しません」


 法務官が頷く。


 「加えて、沈黙の誓約を国境保全誓約として登録した分類そのものにも重大な疑義がある」


 「強制力の停止を」


 「申請できます」


 ただし。


 即日ではなかった。


 「現在の連結先が全て失効したことの最終確認と、登録分類変更の適法性審査が必要です」


 リーゼロッテは時計を見る。


 残り三日。


 「どれくらい」


 「最短で明日。長ければ二日」


 処刑予定日まで、残り二日になる。


 「申し立てます」


 その日のうちに、強制力暫定停止申立書を提出した。


 理由。


 連帯責任条項が参照する有効な登録契約がゼロ。


 全現行契約主体が市民誓約へ切替済み。


 国境保全誓約として記載された連結番号が、本来の国境保全誓約番号と不一致。


 登録分類にも重大な疑義。


 証拠は全部、裁判所自身が今確認した記録だ。


 翌朝。


 残り二日。


 拘置所でレオンハルトに会った。


 彼はいつものように筆記板へ手を伸ばした。


 その瞬間。


 リーゼロッテは首元を見た。


 「待って」


 黒い誓約紋。


 消えてはいない。


 けれど。


 婚姻直後に初めて見たときより。


 馬車襲撃の犯人について彼が書こうとしたときより。


 明らかに薄い。


 レオンハルトも気づいたらしい。


 指で首元へ触れる。


 「まだ話さないでください」


 リーゼロッテはすぐに言った。


 彼が眉を寄せる。


 「暫定停止はまだ正式決定していません」


 筆記板へ文字が走る。


 『でも、変わった』


 「ええ」


 声が戻ったかもしれない。


 戻っていないかもしれない。


 試せば分かる。


 でも、試さない。


 北境の領民へ罰が飛ぶ経路は、登録上すでにゼロになった。


 それでも正式な停止決定が出る前に、危険を冒す理由はない。


 「十年待ったのでしょう」


 リーゼロッテは格子越しに彼を見る。


 「あと少しだけ、待ってください」


 レオンハルトはしばらく彼女を見つめた。


 そして書いた。


 『君がそう言うなら』


 「公の場で、あなた自身の声で話してください」


 彼の筆が止まる。


 「誰かに代わりに説明されるのではなく」


 王妃の文書でも。


 リーゼロッテの誓印視でも。


 母の手帳でもなく。


 レオンハルト自身が、十年前に何を選び、何を奪われたのか。


 それを話す日が来る。


 黒い紋はまだ残っている。


 拘束も解けていない。


 処刑期限も迫っている。


 けれど、北境の誰かを人質にしなければ沈黙を強制できなかった鎖は、もう繋がる先を失っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。