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婚約破棄された誓約鑑定令嬢は、沈黙の辺境公爵と偽りの王国を縫い直す  作者: 乾為天女


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17/22

第17話 偽造された反逆誓約

 レオンハルトが反逆罪で拘束されたのは、ユリウスとの会談から二日後だった。


 場所は契約裁判所の大審理室。


 王妃ヴァレリアは、新聞記者まで入れた公開手続きの場で一通の契約書を提出した。


 「グラーツ公爵レオンハルトが、北境の国境銀鉱山を外国へ譲渡する契約です」


 ざわめきが走る。


 国境鉱山。


 外国への譲渡。


 それだけで、単なる財産処分では済まない。


 国境防衛に関わる土地を、外国勢力へ渡したことになる。


 リーゼロッテは証拠台の上へ置かれた文書を見た。


 署名。


 グラーツ公爵家の印。


 契約相手の外国商務使節名。


 そして本文。


 『北境銀鉱山および周辺警備路の恒久使用権を譲渡する』


 視界に、赤い亀裂が走った。


 署名そのものではない。


 真正な署名と印章が、別の文面へ移されたときに見える亀裂。


 「偽造です」


 声が出た。


 審理室の視線が一斉に集まる。


 ヴァレリアは落ち着いていた。


 「また、あなたにしか見えない色ですか」


 リーゼロッテは唇を閉じた。


 そのとおりだ。


 誓印視は入口にはなる。


 しかし、それだけでレオンハルトを無罪にはできない。


 裁判官が文書を確認する。


 「グラーツ公爵。署名と印章について異議は」


 レオンハルトは筆記板を受け取った。


 『署名の形は私のものに見える』


 次。


 『この契約へ署名した記憶はない』


 「印章は?」


 『公爵家の正規印に見える』


 審理室がさらにざわつく。


 王妃側の法務官が立った。


 「本人が署名と印章の真正性を否定できない以上、登録契約として審理すべきです」


 「登録番号を」


 リーゼロッテが言った。


 裁判官が彼女を見る。


 「何ですか」


 「文書下部の登録番号を読み上げてください」


 法務官が番号を読む。


 リーゼロッテは一瞬、記憶を探した。


 違う。


 仮面舞踏会の夜に王宮文書庫で見た四一二九ではない。


 もっと新しい番号。


 だが、見覚えがある。


 「オスカー」


 傍聴席の後ろにいたオスカーが顔を上げる。


 「北境から持ってきた三年前の軍需契約控えはありますか」


 「あります」


 彼は革鞄を開いた。


 王都へ戻る際、重要契約の当事者控えをいくつか持参していた。


 北境の防衛契約。


 軍需品。


 街道。


 鉱山。


 王妃側に北境の契約を動かされた場合へ備えたものだ。


 その中から一冊を取り出す。


 『国境防備物資契約』


 三年前。


 北境守備隊へ弩弓部品、冬用外套、馬具、乾燥食料を納入するための契約。


 リーゼロッテは末尾を開いた。


 登録番号。


 「同じです」


 審理室が静まり返った。


 裁判官が二つの番号を確認する。


 「確かに一致している」


 王国契約石では、一つの登録契約に一つの番号しか発行されない。


 同じ番号を、別の契約へ再利用することはできない。


 「この反逆契約が真正なら」


 リーゼロッテは言った。


 「三年前の国境防備物資契約のほうが偽物でなければなりません」


 王妃側の法務官がすぐに反論した。


 「逆でしょう」


 「逆?」


 「グラーツ公爵家は、反逆契約が露見した場合に備えて、自家保管の当事者控えを書き換えた可能性があります」


 オスカーが立ち上がりかける。


 リーゼロッテは手で制した。


 反論は腹立たしい。


 だが、裁判上はあり得る主張だ。


 今ここにある三年前の控えは、グラーツ公爵家が自分で保管してきた文書。


 自家で改竄していないことを、自家の控えだけでは証明できない。


 「契約裁判所の登録控えを照合してください」


 リーゼロッテは裁判官を見る。


 「さらに、王国契約石の登録記録を」


 裁判官が頷く。


 「中央登録室から取り寄せる必要があります」


 「今すぐには?」


 「この審理室に契約石本体はありません。登録控えも保管庫です」


 王妃が静かに言った。


 「では、それまで被告人を自由にするわけにはいきませんね」


 レオンハルトの周囲へ、裁判所執行官が立つ。


 リーゼロッテの胸が冷たくなる。


 「待ってください」


 「反逆容疑です」


 王妃の声は穏やかだった。


 「国境領土を外国へ譲渡した契約が真正なら、彼を自由にしておく危険は無視できません」


 裁判官も苦い顔で頷く。


 「最終照合まで、グラーツ公爵の身柄は契約裁判所拘置所で保全します」


 保全。


 その言葉だけなら、中立だ。


 実際には拘束だった。


 レオンハルトの手に拘束具が付けられる。


 リーゼロッテは立ち上がった。


 彼がこちらを見る。


 何も書けない。


 筆記板を持つ手も塞がれている。


 それでも、目だけで分かった。


 動くな、ではない。


 諦めるな。


 そう言われた気がした。


 リーゼロッテは一度だけ頷いた。


 「証拠保全を申し立てます」


 裁判官が顔を上げる。


 「対象を述べてください」


 「四点です」


 リーゼロッテは息を整えた。


 「第一。王妃殿下が本日提出した、外国への国境鉱山譲渡契約原本」


 書記官が記録する。


 「第二。グラーツ公爵家が保管する、三年前の国境防備物資契約の当事者控え」


 オスカーが持つ文書。


 「第三。同契約について契約裁判所が保管する登録控え、および王国契約石の登録照合記録」


 王妃側法務官が口を挟む。


 「それだけなら本件に関係します。しかし四点目とは?」


 リーゼロッテはヴァレリアを見た。


 「王宮文書庫にある王国統治誓約の索引台帳と登録控えです」


 審理室が再びざわついた。


 「本件の反逆契約とは無関係です」


 王妃側法務官が即座に言う。


 「関係があります」


 「どういう意味です」


 「私は、複数の契約で登録記録が不自然に扱われている疑いを調べています」


 「疑いだけで王国の最高契約を封印するのですか」


 「疑いだけではありません」


 リーゼロッテは、被害を受けた女性たちから集めた資料一覧を提出した。


 摂政特別承認番号。


 異なる契約へ横断利用された同一番号。


 さらに、王宮文書庫で特定した「確認すべき簿冊位置」。


 ただし、非公式に見た内容そのものは証拠とは言わない。


 「王国統治誓約の正式な変更手続きと、現在の摂政権限が争点になっています。今回、王妃殿下提出の反逆契約でも登録番号に重大な矛盾が生じた」


 裁判官が資料へ目を落とす。


 「あなたは、同一の登録管理体系に対して複数の改変疑義があるため、関連記録の散逸を防ぎたい、と?」


 「はい」


 「王宮文書庫のどの資料を」


 「十年前の王国統治誓約索引台帳、同時期の登録変更・再認証に関する登録控え、およびそれらに対応する関連簿冊です」


 ここで、あの夜に記憶した番号が役に立つ。


 どこを押さえるべきかだけは分かっている。


 「持ち出しを求めません。裁判所執行官による現地封印と、認証写しの作成を求めます」


 王妃が初めて、はっきりリーゼロッテを見た。


 「ずいぶん準備がいいのですね」


 「準備しなければ、また消えるかもしれませんから」


 言ったあとで、室内が静まった。


 裁判官は長く考えた。


 「反逆契約に関する第一から第三は、直ちに保全を認めます」


 書記官の筆が動く。


 「第四については、王国統治誓約そのものの真贋を本件で確定するものではありません。ただし登録管理の信頼性が本件の争点となった以上、関連記録の現状保全には理由がある」


 リーゼロッテは息を止めた。


 「現地封印を認めます。閲覧は別途審理とする」


 「ありがとうございます」


 これで。


 仮面舞踏会の夜に非公式に見ただけだった欠番と承認欄を、裁判所の手で現在の状態のまま止められる。


 後から書き足すことも。


 抜き取ることも。


 少なくとも、今より難しくなる。


 王妃提出の反逆契約も、執行官の前で封印された。


 三年前の当事者控えも、オスカーの手を離れ、裁判所の証拠袋へ入る。


 王国契約石の登録記録と裁判所控えは、最終審理で突き合わせる。


 「被告人を移送します」


 執行官がレオンハルトを立たせた。


 リーゼロッテは近づけない。


 彼は振り返らなかった。


 それでも、扉が閉じる直前。


 一度だけ肩越しに目が合った。


 それだけで十分だった。


 審理室を出たあと、リーゼロッテは廊下の壁へ手をついた。


 膝が少し震えている。


 「お嬢様」


 ミーナが支える。


 「大丈夫」


 「大丈夫に見えません」


 「でも、止まれない」


 レオンハルトは拘束された。


 誓印視では赤い。


 登録番号もおかしい。


 それでも、まだ無罪にはならない。


 必要なのは最終照合。


 王妃の契約。


 公爵家の控え。


 裁判所控え。


 契約石。


 全部を同じ机へ置くこと。


 そこまで辿り着けば、色ではなく記録が答えを出す。


 「リーゼロッテ様」


 背後から声がした。


 振り返る。


 ノエル司祭だった。


 顔が青ざめている。


 「どうしてここに」


 「お話ししなければならないことがあります」


 彼の手は震えていた。


 「今でなければ、もう言えない」


 リーゼロッテは何も急かさなかった。


 ノエルが唇を開く。


 「王妃殿下は、あなたが王国統治誓約を追っていることを知っていました」


 「それは分かっています」


 「違います」


 ノエルは首を振った。


 「私が伝えました」


 時間が止まったように感じた。


 「……あなたが?」


 「あなたが北境で古い記録を見つけたことも。私と会ったことも」


 リーゼロッテは彼を見つめた。


 北境へ届いた最初の手紙。


 王都での再会。


 原本の場所を知っていると言った男。


 「なぜ」


 ノエルの顔が歪む。


 「申し訳ありません」


 答えになっていない。


 けれど、今の彼の顔には、裏切りを成功させた者の安堵はなかった。


 「理由を話してください」


 ノエルは一歩下がった。


 「今は、ここでは言えません」


 また秘密。


 また、言えない。


 リーゼロッテの中に怒りが湧く。


 それでも、彼を責める前に一つだけ確かめる。


 「王妃殿下は、私が何を見つけたか、どこまで知っていますか」


 「原本の場所までは知りません」


 「あなたは知っている」


 「はい」


 「それも伝えていない?」


 「伝えていません」


 ノエルは震える声で答えた。


 「そこだけは」


 リーゼロッテは目を閉じ、すぐに開いた。


 レオンハルトは拘束された。


 王妃はこちらの動きを知っている。


 そして、原本だけはまだ王妃の手にない。


 残された猶予が、急に狭くなった。


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