第97話 破られた算段
「一、一日あたり金貨五百枚だと……!?」
ヴァルターの声が上擦った。額には嫌な汗が浮き、手にした査察命令書を持つ指先がかすかに震えている。
「ふざけるな! 財務庁の正規の査察を妨害し、法外な賠償金を請求するなど認められるはずが――」
「法外ではありません」
ルークは間髪入れずに言葉を重ね、三冊目の帳簿を静かに開いた。そこには各拠点の流通量と、それに伴う課税実績が寸分の狂いもなく一覧化されていた。
「北領の物流を一日止めれば、ハルシュタットの鉱山作業、カルナ村の石炭搬出、東部開拓村の食料輸送のすべてが即座に不全に陥ります。それに伴う全事業者の損害および違約金を合算した試算です。当領はその請求代理人として、正当に法的権利を行使するまでです」
ヴァルターは必死に呼吸を整え、なおも権威で喰らいつこうと目を怒らせた。
「だが! ハルシュタットからの王都上納金が以前より減っているのは紛れもない事実だ! カルナ村の石炭も、本来なら王都の業者が回収して税に充てるはずだったものだ! お前たちが裏で糸を引き、王都の財源を不当に毀損している証拠だろうが!」
「……不当な毀損、ですか」
私はくすりと小さく微笑み、伏せていた視線をヴァルターへ向けた。
「監査官殿、王都に届いている前期の報告書しかご覧になっていないようですね。最新のデータをご確認なさってはいかがかしら」
ルークが差し出したのは、ハルシュタットとカルナ村の今期の税収予測と、王都へ納付予定の算出明細だった。
「ハルシュタットの年貢率は七割から五割へ下がりましたが、水路改善と労働意欲の回復により、全体の生産量は以前の二倍以上に膨らんでいます。結果として、今期に王都へ納められる上納金の絶対額は、以前の三割増しとなる試算です」
ルークの冷淡な声が、執務室に響く。
「また、カルナ村は旧領主の放棄により税収ゼロの棄民地でしたが、北領との正規取引により流通税が発生し、今期より新たに王都への課税対象地域として組み込まれます。毀損どころか、北領の取り組みによって財務庁の税収は純増しているのが客観的事実です」
「な……増額……だと……!?」
ヴァルターが絶句した。
王都の財務庁にとって、何より優先されるのは「税収の確保」だ。もしここでヴァルターが自らの保身や一部業者の利権のために北領の物流を止めれば、彼は「王都の税収増を自ら妨害し、さらに一日金貨五百枚の賠償請求を王都にもたらした無能な査察官」として、財務庁内部で失脚することになる。
自分が北領を追い詰めるために持ってきたはずの「王都の論理」が、そのまま自らの首を絞める絞首縄へと姿を変えていた。
「さあ、ヴァルター監査官」
私は肘を突き、静かに微笑みかけた。
「どうぞ、ご納得いくまで当領の帳簿をお調べください。ただし、調査のために物流を停止させるのであれば、ただちに提示した書類をもって王都高等法廷へ使者を発たせますが……いかがなさいますか?」
ヴァルターは青ざめた顔で書類と私、そして無表情でペンを構えるルークを交互に見つめた。
言葉を返そうと唇を動かしたものの、声にはならなかった。提示された数字と法的根拠の前に、彼が振るえる権力などどこにも残されていなかったのだ。
「……査察は……終了だ」
ヴァルターは絞り出すような声で吐き捨てると、机の上の書類を掴み取るように奪い返した。
「取引記録および税務処理に……形式上の不備は見当たらなかったと、報告書には記しておいてやる。行くぞ!」
監査官の一行は、出迎えた時以上の慌ただしさで、逃げるように執務室を立ち去っていった。
遠ざかる馬車の音を聞きながら、私は長く保っていた息をふうっと吐き出した。
「お見事でした、ルーク」
「いいえ。理不尽な圧力を退けられたのは、現場の人々が正当な成果を叩き出してくれたからです」
ルークは手元の大判帳面を静かに閉じ、眼鏡の端を押し上げた。
「これにて、王都財務庁からの介入も完全に封じ込めました。北領を中心とした新しい経済の仕組みは、もはや誰にも崩せない『確定した現実』です」
窓の外には、寒風を跳ね返すように力強く行き交う馬車列と、活気に満ちた北領の街並みが広がっていた。
法と知恵、そして現場の誇りによって編み上げられた網の目は、王都の圧力すら退け、さらに強固な確信となって北部の地に根づいていた。




