第96話 冷徹な出迎え
雪を跳ね上げる重々しい車輪の音が、北領主館の中庭に響き渡った。
馬車から降り立ったのは、仕立ての良い官服を纏った男――王都財務庁の特別監査官、ヴァルターだった。その背後には数人の書記官と、王都の威光を傘に着た護衛の兵士たちが付き従っている。
「案内はいらん」
ヴァルターは出迎えたアルフレッドさんの挨拶を横柄に遮ると、一切の躊躇もなく館の執務室へと足を踏み入れた。
執務室の机では、私とルークがすでに静かに腰を下ろして待っていた。
「あなたが北領主代理、リーゼロッテ・フォン・アルテハイム殿だな」
ヴァルターは品定めするような鋭い視線を私に向けると、懐から金箔の押された羊皮紙を取り出し、机の上に叩きつけるように置いた。
「王都財務庁より派遣された特別監査官ヴァルターである。北領および周辺領地における不当な物流独占、ならびに王都への上納金を阻害する不法な経済干渉の疑いにより、これより直ちに査察を行う」
高圧的な宣言。ヴァルターの口元には、「地方の若き領主代理など容易く威圧できる」という確信めいた冷笑が浮かんでいた。
「また、調査が完了するまでの間、北領から出入するすべての物流の一時停止を命じる。異論は認めん」
流通を物理的に止め、北領の経済を麻痺させることで折れさせようという、王都の定石通りの手法だった。
だが、私は動じずに静かに応じた。
「遠方よりご苦労様です、ヴァルター監査官。査察の受け入れ自体に拒否の意思はありませんわ。ただ……『不当な物流独占』という点について、誤解があるようですけれど」
「誤解だと?」
ヴァルターが不快そうに眉をひそめた瞬間、隣に座っていたルークが静かに立ち上がった。その手には、寸分の乱れもなく整理された三冊の厚い帳簿が抱えられていた。
「監査官殿。当領が関与している物流は、すべて王国商法および地方慣習法に完全準拠した民間取引です」
ルークは一冊目の帳簿を開き、ヴァルターの目前に滑らせた。そこにはハルシュタット領、カルナ村、東部開拓村との間で行われたすべての資材・食料の移動量、買い付け価格、および支払われた税額が、日付順に克明に記録されていた。
「ハルシュタットとの取引は、民間商会による事業投資の返還物資。カルナ村とは自治組織との正当な物品売買です。いずれも北領政府が直接命じた『行政協定』ではなく、民間の経済活動に過ぎません。北領が他領の行政権を侵害した事実は一切存在しません」
「くっ……口先だけの詭弁を!」
ヴァルターの顔がわずかに強張る。
「では、あの不自然なまでに統制された価格と品質の統一は何だ!? 一商会が周辺の市場を事実上支配し、王都の業者の立ち入りを拒んでいるではないか!」
「それについても、すでに回答は用意されております」
ルークは二冊目の帳簿――昨日、北部各地の代表者が署名した『北部共通取引規約』を広げてみせた。
「これは、北部で活動する事業者および生産者自治会が自主的に結成した『北部商人協議会』の共通規格です。度量衡の適正化と品質基準の明文化を目的とした民間内部の自主ルールであり、北領政府が強制したものではありません」
ヴァルターは示された署名欄に目を落とした。ハルシュタットの小作農代表、カルナ村の自治代表、さらには複数の民間商会の捺印が整然と並んでいる。
「王国法第百八条において、民間事業者が自主的に設ける品質基準およびギルド規約に対し、行政に不当な損害を与えない限り、行政が介入することは禁止されています」
ルークは眼鏡の端を指先で静かに押し上げ、感情の失われた冷徹な瞳でヴァルターを見つめた。
「もし、この健全な民間規約を『独占』と断じ、物流を一時停止させた場合――協議会に所属する全事業者の営業機会を不法に奪ったとして、当領は貴庁に対し、一日あたり金貨五百枚の損害賠償請求手続きを王都高等法廷へ提起いたします」
「な……ッ!?」
ヴァルターの顔から、完全に余裕の笑みが消え去った。
完璧な法的防壁と、隙のない取引記録。
威圧して屈服させるはずだった王都の監査官は、自分自身が張り巡らされたロジックの網にかかっていることに、ようやく気づき始めていた。




