第88話 過酷な現地へ
北領を出発した救援隊の馬車列は、寒風が吹き荒ぶ山道を西へと進んだ。
標高が上がるにつれ、路面にはうっすらと白く凍りついた霜が目立ち始める。岩肌のあちこちには漆黒の層――露出した上質な石炭の筋が顔を覗かせていた。周辺を囲む森も樹齢を重ねた豊かな大木が群生しており、天然の資源に恵まれた土地であることは一目瞭然だった。
だが、山間を抜けて視界が開けたカルナ村の光景は、その豊かな自然とはあまりにも残酷な対比をなしていた。
「……煙突から煙が、ほとんど上がっていませんね」
御者台の脇で手綱を握るルークが、低い声で呟いた。
立ち並ぶ木造の家屋は壁がひび割り、屋根の一部が歪んでいる。寒波が近づいているというのに、生活の気配を示す薪の煙はごく僅かしか見えない。村の通りには人影もなく、静まり返っていた。
「ライナーさん、村の皆さんは……?」
私が問うと、先頭の馬車から降りたライナーが、苦しげに唇を噛み締めながら答えた。
「……皆、家の中で体力を温存するために横になっています。体を動かせば腹が減りますし、薪を燃やせばあっという間に底をついてしまいますから」
馬車列の音を聞きつけ、いくつかの家屋の戸が細く開いた。
覗く顔、覗く顔のすべてが痩せこけ、肌は土色に沈んでいる。彼らは北領の紋章が入った幌馬車と大量の荷車を目にし、期待というよりも「また奪いに来たのか」という強い怯えの視線を向けていた。
「皆、出てきてくれ! 北領のリーゼロッテ様が、約束の食料と資材を運んできてくださったんだ!」
ライナーが声を張り上げると、戸惑いながらも村人たちがぞろぞろと這い出してきた。
「ライナー……本当なのか? また王都の業者の手先じゃないのか?」
「ああ! 俺たちの土地も収穫も奪わず、対等な取引として助けてくださるお方だ!」
ライナーの言葉と同時に、アルフレッドさんの指示で荷台のシートが捲り上げられた。
積み上げられた小麦粉の袋、干し肉、そして厚手の防寒布や毛布。
さらに、北領で改良された高効率の簡易ストーブが次々と運び出されると、村人たちの間に小さな動揺と息をのむ音が広がった。
ルークは村の広場の一角に置かれていた石炭の塊に歩み寄り、手袋越しにそれを手に取って検分した。
「炭素濃度が非常に高く、不純物が少ない……ハルシュタットの精製炭に匹敵する極上品です。木材の品質も申し分ない。これほどの資源を抱えていながら、なぜここまで困窮する事態に陥ったのですか」
ライナーが悔しそうに拳を握りしめた。
「前領主が夜逃げした後、王都の業者が『残された借金の回収』と称して押しかけてきたのです。俺たちが採掘した石炭や伐採した木材を二束三文で買い叩かれ、今年の秋には冬越しのための備蓄食料まで『金利の代わりだ』と根こそぎ持っていかれました……」
「典型的な不当搾取ですね」
ルークは冷静に、しかし冷ややかな怒りを込めて分析した。
「採掘と伐採の重労働を強いられながら、まともな食料も与えられず、暖を取るための燃料すら自分たちの手元に残させない。労働力を使い潰す前提の搾取構造です」
「これだけの宝の山の上に暮らしながら、飢えと寒さで殺されかけていたのね……」
私は胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えた。
「アルフレッドさん、ただちにスープの炊き出しを始めてください。それと、すべての家に毛布と保温資材を行き渡らせて」
「かしこまりました、お嬢様。すでに鍋の準備は整っております」
広場に設置された大きな鍋から、温かなスープの湯気が立ち上り始めた。
スープを受け取った子どもたちが、震える手で木匙を握り、夢中で口へ運ぶ。一口味わうごとに、青白かった頬にほんのりと血色が戻っていった。
「うまい……うまいよ、お頭……!」
「温かい……こんな温かいもの、何ヶ月ぶりだろう……」
泣きながらスープを飲む村人たちの姿を見つめながら、私はルークに向き直った。
「一時的な救助はこれで足りるわ。でも、根本的な解決はここからよ」
「ええ」
ルークが手帳を開き、鉛筆を走らせる。
「彼らが自らの手で石炭と木材を効率よく産出し、北領からの食料と正当に交換できる仕組み――現場の生産プロセスの最適化に着手しましょう」
過酷な環境に置かれていたカルナ村で、奪われた人々の尊厳を取り戻すための実地の改革が、今まさに始まろうとしていた。




