第87話 奪わぬ契約
差し出された羊皮紙を、ライナーがおそるおそる手にとった。そこには複雑な法的用語ではなく、明確で簡潔な三つの条件が記されていた。
一、北領は緊急の資材、食料、技術ノウハウを提供し、現地での指導を行う。
一、提供された資材の対価は、将来産出される指定の特産物(カルナ村の場合は上質な石炭と木材)をもって、三年の分割で返済する。
一、村の自治権および土地の所有権は、すべて村側に帰属する。
ライナーは何度も目を擦り、何度も同じ行を読み返した。息を呑む音すら、静かな応接室に響くほどだった。
「……これ、だけですか? 土地も取らず、無茶な金利もつかないのですか? 収穫の半分を取るわけでも……」
信じられないといった様子で声を震わせるライナーに、私は静かに語りかけた。
「北領は、困窮につけ込んで他人の土地や成果を奪うような真似はしません。それに、収穫の半分なんて取ったら、あなたたちの村は結局また立ち行かなくなるでしょう?」
「ですが……それなら一体、北領にはどのような得があるというのですか……! 我が村は何も差し出せないのですよ!」
ライナーの困惑に、ルークが眼鏡の奥の瞳をわずかに和らげた。
「僕たちが欲しいのは、あなた方の土地でも奴隷でもなく、安定して供給される上質な燃料です。あなた方の村が健全に自立し、豊かな生産拠点になってくれることこそが、北領にとって最大の利益なのですから」
一方的に与えるだけの援助は依存を生み、奪い取るだけの搾取は絶望しか生まない。対当な価値の交換があって初めて、長続きする関係が築ける。
ライナーの膝の上にポタリと涙が落ち、羊皮紙の端を濡らした。
「ありがとうございます……! 奪われることばかり覚悟していたのに……まさか、こんな風に人間として扱っていただけるなんて……!」
ライナーは泣きじゃくりながら、差し出されたペンを震える手で握り締め、固く己の名を署名した。
長年、搾取と絶望の鎖に繋がれてきた貧村が、初めて自らの足で立つための「対等な契り」が交わされた瞬間だった。
「アルフレッドさん、ただちに救援物資第一便の手配を。食料と防寒用資材、それと暖炉用の燃料を優先して積み込んでください」
「かしこまりました、お嬢様。すでに輸送隊には待機を命じてございます」
アルフレッドさんが深々と礼をして辞すと、私はルークに向き直った。
「書類上の契約は結べたわ。でも、現地での寒波と王都の業者による取り立ての影が残っているはずよ。ルーク、私たちもすぐカルナ村へ向かいましょう」
「はい、リーゼロッテ様。現地での採掘効率の最適化と、不当な圧力を跳ね返す準備を整えて向かいましょう」
命を繋ぐための対等な仕組みを手に、私たちは雪の予感漂うカルナ村へと動き出した。




