第72話 拒絶の境界
北領の東に伸びる街道は、進むにつれて轍が深くなり、馬車の揺れが大きくなっていった。
手入れの行き届いた北領の畑地を抜けると、風景は一変する。削られた山肌と石ころだらけの荒地が広がり、風に舞う土埃が白く視界を遮った。
「ひでえ道だな……。これじゃ荷車を一台通すだけでも一苦労だぜ」
御者台で手綱を握るテオが、眉をひそめて呟く。後ろの馬車には、耐寒性の高い種もみや腐葉土、干し肉、それに最小限の医療資材が積み込まれていた。
「王都が計画を放り投げて以来、路面の補修すら行われていないようです」
隣に座るルークが羊皮紙の帳面から目を上げ、外の地形を観察しながら言った。
「傾斜と土質を計算すれば、簡易的な側溝を掘るだけで水はけは劇的に改善します。要するに、最初から誰もまともに頭を使っていなかったということです」
「理屈は分かっても、住んでる奴らにとっちゃ地獄だったろうな」
テオの言う通りだった。
やがて前方に見えてきた「東部開拓村」は、村と呼ぶのも躊躇われる惨状だった。泥を塗り固めただけの薄暗い小屋が肩を寄せ合うように並び、人影はほとんど見当たらない。
村の入り口には、先端を尖らせた丸太の柵が置かれ、進路を塞いでいた。
馬車を止めると、柵の陰から数人の男たちが飛び出してきた。手にしているのは、使い古した鍬や先を削った木突槍だ。
「そこまでだ! これ以上入ってくるな!」
先頭に立つのは、日焼けした皮膚に深い刻みのある小柄な男だった。服は継ぎはぎだらけで、痩せこけた体からは強烈な警戒心が滲み出ている。
「俺たちは自警団のテオだ。怪しいもんじゃねえ。北領から支援の物資を持って――」
「北領だか何だか知らんが、帰れ!」
男はテオの言葉を遮り、手にした鍬を構え直した。その瞳には恐れと怒りが混ざり合っている。
「どうせまた新しい税を取るための調査だろ! 『開拓の補助』だの『王室の恵み』だのと言って、役に立たん石灰を押し付け、冬の食料を奪っていった役人どもと一緒だ!」
柵の後ろから、子供を抱えた女性や老人が恐る恐るこちらを覗き込んでいるのが見えた。どの顔にも、深い諦めと不信が張り付いている。
「話を聞く気すらないわけね……」
馬車から降りた私に、エレナがそっと寄り添う。
「無理もありませんわ、リーゼちゃん。彼らにとって、外から来る『お偉方』は自分たちを苦しめる存在でしかなかったのですから」
「ええ。押し付けの善意ほど、不気味なものはないわ」
私はテオを制し、柵の手前まで歩を進めた。ルークが静かに私の斜め後ろへつく。
「私は北領の領主、リーゼロッテ・フォン・アルテハイムです。税を取りに来たのでも、何かを義務付けるために来たのでもありません」
「領主だと……!? そんな若い娘が騙せると思うな!」
男は唾を飛ばして吐き捨てた。
「あんたら貴族の戯言なんてうんざりなんだ! 俺たちはここで勝手に飢えて死ぬ! だから放っておいてくれ!」
取り付く島もない拒絶。
だが、ルークは動じず、眼鏡の奥から男の手元と足元を冷静に見つめていた。
「そちらの代表者の方。……右足の足首に、酷い腫れがありますね」
唐突なルークの指摘に、男が一瞬身を硬くした。
「な、なんだと?」
「土留めの作業中に崩れた石に挟まれたのではありませんか。そのまま放置すれば、この冬を越す前に歩けなくなります。……そこにある馬車には、痛みを和らげる薬草の軟膏と、清潔な包帯を積んでいます」
ルークは声のトーンを変えず、淡々と事実だけを口にした。
「信用していただく必要はありません。ただ、あなた方が拒絶しているのは貴族の権威ではなく、自分たちの生存に必要な選択肢です」
ルークの言葉に、男たちの構えが微かに揺らいだ。
怒りで誤魔化していた痛みが突かれたのか、代表の男が顔を顰める。
「交渉の第一段階としては、これで十分でしょう」
ルークが私に向かって静かに頷く。
「リーゼロッテ様。一気に押し込む必要はありません。まずは相手の警戒の枠組みを、少しずつ外側から崩します」
固く閉ざされた扉を前に、私たちの最初の対話が始まろうとしていた。




