第67話 感謝祭前夜の静けさ
感謝祭を翌日に控えた夜、北領は静かな熱気に包まれていた。
窓の外に広がる街は、昼間の賑やかさが嘘のようにひっそりとしているが、街道沿いに灯る提灯の柔らかな光が、明日の祭りを待つ人々の胸の高鳴りを静かに物語っている。
今夜ばかりは執務室の書類をすべて片付け、私たちは領主館の小さなサロンに集まっていた。
「明日は朝一番で広場の設営チェックだろ? 楽しみすぎて、今夜はちゃんと寝られるか怪しいぜ」
特注の果実茶を一口飲んだテオが、ソファで腕を組みながら苦笑する。その隣では、エレナが嬉しそうに目を細めていた。
「ふふ、子供みたいなことを言いますのね、テオ殿。でも、お気持ちは分かりますわ。街の皆様が作られた飾り付け、本当に素晴らしい出来栄えですもの」
「お二人とも、明日は体力を使いますから、今夜はしっかりお休みになってくださいね」
アルフレッドさんが温かい焼きたてのスコーンをテーブルに並べ、穏やかな手つきでお茶を注ぎ足してくれる。
湯気が立ち上るカップを両手で包み込みながら、私はふと、かつての記憶に思いを馳せていた。
前世では、新プロジェクトのリリース前夜は、決まって殺伐とした泥沼の残業だった。
冷えた缶コーヒーとパソコンの明かりだけが頼りの暗いオフィス。誰もが疲弊し、互いを気遣う余裕すらなかったあの孤独な夜。
今世で王都を追放された夜も同じだった。
身一つで馬車に押し込められ、凍えそうな暗闇の中で未来への絶望に震えていた。
(……でも、今は違うわ)
目の前には、自分たちの手で作り上げた暖かな部屋と、心から笑い合える仲間たちがいる。
過去のトラウマや冷たい傷跡は、この温かい湯気とみんなの笑顔の中に、跡形もなく溶けて消えていた。
「リーゼロッテ様」
静かな声に振り向くと、隣に座るルークが、眼鏡の奥の瞳を和らげて私を見つめていた。
「どうかされましたか? 少し遠い目をしておられましたが」
「ううん。ただ……幸せだなと思って。前世のことも、王都でのことも、全部この場所に出会うための道のりだったんだなって」
私が小さく微笑むと、ルークは一瞬だけ目を見開き、やがて愛おしそうに口元を緩めた。
「ええ。あなたの歩んできた道は、何ひとつ無駄ではありませんでした。明日、街中に満ちる人々の笑顔が、それを証明してくれます」
ルークの手がそっと私の手に触れる。その確かな体温が、胸の奥をじんわりと満たしていく。
「明日は、あなたが主役の日です。どうか、誰よりも楽しんでください」
「ええ。最高の思い出にしましょうね」
窓の外では、明日を待つ静かな星空が、北領の街を優しく見守っていた。
満ち足りた静寂の中で、私たちは穏やかに前夜のひとときを噛み締めていた。




