第50話 過去の清算と自立
使者が捨て台詞を残して去り、静まり返った応接室に春の柔らかな風が吹き込んできた。
床に散らばった伯爵家からの要求書の破片を、エレナが静かに拾い集める。その横顔には、もう恐怖や戸惑いの色はなく、すっきりとした晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「これで……本当に終わりましたのね」
「ええ。名実ともに、ヴァルハイト伯爵家との依存関係は失効したわ。私のシステムの中に、あの家のデータは一バイトも残っていないわ」
私がそう告げると、アルフレッドさんが誇らしげに目を細め、胸に手を当てて深々と一礼した。
「お嬢様。これより先、あなたは誰の庇護も威光も必要としない、真の『北領の領主』でございます」
「へへッ、ざまあみろだぜ! あんな威張った奴ら、最初からいらなかったんだ!」
テオが腕を組み、満足そうに鼻を鳴らす。
前世の社畜時代、身を粉にして働いた成果を上の人間に奪われ、ただ耐えるしかなかった日々。そして今世、不要品として冷酷に切り捨てられた追放の日の記憶。
胸の奥にずっとこびりついていたそれらのトラウマが、いま綺麗に上書き保存されたのを感じていた。
「リーゼロッテ様」
声に振り向くと、ルークが静かな足取りで近づいてきた。眼鏡の奥にある瞳が、どこか温かく私を見つめている。
「過去を完全に切り離せたこと、お祝い申し上げます。……これからの北領は、誰の理不尽な介入も許さない、完全な『独立経済圏』です」
「ええ。ルークが法とデータの裏付けを作ってくれたおかげよ。ありがとう」
微笑みかけると、ルークは微かに頬を緩め、声のトーンを少しだけ落とした。
「……あなたがもう過去の傷に囚われる必要がないと分かって、僕も心から安心しました。これからは、僕たちがあなたの未来を支えます」
その言葉と、彼が向けるまっすぐな情熱。
昨夜、テラスで彼の手が触れた瞬間の体温が蘇り、胸の奥が再び小さく跳ねた。
(……まったく、ロジックが乱れるわね)
私は自分の動揺を必死で隠し、平静を装って咳払いをひとつ挟んだ。
「……さあ、過去の清算はこれで終わりよ。余計な障害はすべて取り除かれたわ。残る課題はただ一つ――」
私は窓辺へ歩み寄り、両手で観音開きの窓を大きく押し開いた。
澄み切った北領の青空の下、新しく整備された街道がどこまでもまっすぐに伸びている。その周辺では、市場の開設に向けて領民たちが忙しく動き回り、活気ある声が風に乗って届いていた。
「『第一回・北領定期自由市場』の開幕よ!」
私が振り返って宣言すると、テオが威勢よく歓声を上げ、エレナとルーク、アルフレッドさんが力強く頷いた。
親の七光りでも、王都の庇護でもない。
自分の足で立ち、最高の仲間と共に築き上げた確かな居場所。
独立した経営者として、一人の人間として。
私の新しい物語が、いまこの場所から本格的に走り出そうとしていた。




