第44話 特産品ブランド化
自由市場の開設に向け、領主館の調理場と執務室は連日、試作品の香ばしい香りと熱気に包まれていた。
「リーゼちゃん、見てくださる? 大麦のクッキーを、北領特産の薄い木箱に詰めて、焼き印を押してみたの」
エレナが誇らしげに差し出してきたのは、素朴ながらも非常に気品のある小さな木箱だった。
中には、香ばしく焼き上げられた大麦のクッキーと、丁寧に乾燥させたハーブの小袋が美しく並んでいる。
「素晴らしいわ、エレナ。単なる『穀物の加工品』が、一気に高級感のある『贈り物』に化けたわね」
「王都の貴族や裕福な商人たちは、こういう『物語のある珍しさ』を好みますの。最果ての地で生まれた体に良い大麦の菓子……そう説明するだけで、価格は三倍以上に跳ね上がりますわ」
エレナの目が生き生きと輝いている。かつて王都で打ちひしがれていた少女が、自分の感性を遺憾なく発揮している姿は、見ているこちらまで胸が熱くなる。
「よし、パッケージとラインナップの定義は完璧ね。次はルーク、販売目標と価格設定の確認よ」
「はい。周辺領地からの旅人と商人の流入数を元に、初日の需要予測を出しました」
ルークが羊皮紙の図表を提示する。
彼の作るデータは相変わらず正確で美しく、無駄がない。
「北領の関税の低さと相まって、この価格帯なら一人当たり平均三箱は購入される計算になります。利益率は約四十パーセントを確保できます」
「完璧なマーケティング設計ね。……ふふ、本当に助かるわ、ルーク」
私が何気なく微笑むと、ルークはハッとしたように手元のペンを止め、眼鏡の奥の瞳で私をじっと見つめた。
「……ルーク?」
「あ、いえ……すみません」
彼は少し慌てた様子で咳払いをし、耳たぶを薄く赤く染めた。
「ただ……僕の書いた計算やデータを、こんなにも正しく、嬉しそうに読み解いてくれる人に出会えたことが、まだ夢のようで」
ルークの声は静かだったが、その中に深く温かい温度が混ざっていた。
「王都にいた頃、僕の数字は誰にも見てもらえませんでした。ですが、リーゼロッテ様は僕の分析を信頼し、それを現実の価値に変えてくださる。……あなたと出会えて、初めて僕の学問が報われた気がするんです」
まっすぐで真摯な眼差し。
王都の貴族が見せる計算ずくの笑みとは違う、純粋な敬意と、その奥に潜むかすかな愛おしさが、ストレートに伝わってきた。
(なにかしら、この感覚……)
胸の奥が不意にキュッと締めつけられ、心拍数が一段高く跳ね上がるのを感じた。
前世の損益計算書やプロジェクト管理のロジックでは、決して説明のつかない未知の感情。
私は思わず視線を泳がせ、温かくなった頬をごまかすようにハーブティーのカップを取った。
「……当たり前のことをしたまでよ。優秀な分析官を正しく評価するのは、経営者の責務だもの」
「どこまでも冷徹なロジシャンですね。……ですが、そういうところも尊敬しています」
ルークは穏やかに目を細め、再び手元の書類に視線を落とした。
そのやり取りを、入口の影からお茶を運んできたテオが見つめていたことに、私は気づいていなかった。
テオはトレイを強く握りしめ、唇を小さく噛み締めた後、静かに足音を殺して立ち去っていった。
商品のブランディングも、データ分析も、そしてチームの結束も完璧だ。
だが私の胸には、ロジックでは割り切れない小さな甘酸っぱいような余韻が、静かに残り続けていた。




