第4話 泥の中の第一歩
「……というわけで、私の部屋はここでいいのね?」
案内されたのは、領主館の三階の隅にある、狭く埃っぽい部屋だった。
家具は小さなベッドと古びた机、それにきしむ椅子が一つだけ。
「申し訳ありません。現在の当館で、お貸しできる最もまともな部屋がここになります」
背後に立つアルフレッドさんの言葉に、嫌みのような響きはもうなかった。
「十分よ。屋根と壁があって、個室なだけマシだわ」
前世の社畜時代、繁忙期にオフィスのデスクの下で段ボールを敷いて仮眠していた日々に比べれば、ここは天国のようなものだ。私は革鞄を机に置き、さっそく椅子に腰掛けた。
「アルフレッドさん、さっそく業務の引き継ぎ……じゃなくて、この領地の現状を教えてもらえる? 領主であるお父様からは何も聞かされていないの」
私の言葉に、アルフレッドさんは一瞬だけ躊躇うような見せたが、やがて静かに語り始めた。
「この北領は、見ての通り見捨てられた土地です。年々冬の寒さが厳しくなり、小麦の収穫量はかつての半分以下。作物が育たないため領民の暮らしは貧しく、当然、本家への税も滞っております」
「それで、領主館の予算も底を突いている、と」
「はい。本家の閣下はここに寄り付くこともなく、ただ『義務を果たせ』とだけ。私どもも、日々の食事を維持するのが精一杯でございます」
(完全に親会社の無理難題に潰されかけている、地方の赤字子会社ね)
老執事の言葉の端々からは、無力感と、諦めの色が濃く滲んでいた。彼が無能なのではない。手立てがないまま、長年すり減らされてきたのだ。
「分かったわ。それじゃあ、まずは一番のバグ……問題である『畑』から着手しましょう。明日、案内してもらえる?」
「畑、でございますか? しかし、お嬢様の体調も……」
「大丈夫よ。今日、水を運んで自分の体力の限界値は分かったから、無理のない範囲で動くわ。じゃあ、明日の朝一番にね」
翌朝。私は動きやすいようにドレスの裾を少し短く括り、アルフレッドさんと共に館の裏手に広がる小麦畑へと向かった。
目の前に広がっていたのは、ひび割れ、白っぽく乾燥した土壌だった。
数人の領民が元なげにクワを振るっているが、その動きは鈍い。
「何年も前から、同じように耕しても芽が出にくくなっているのです。女神様の呪いだと言う者もおります」
アルフレッドさんがため息をつく。
私は一歩前へ進み、しゃがみ込んでその土をひと掴み、手のひらに乗せた。
(呪いなわけないでしょ。原因は必ず数字とデータにある。最適化、起動)
目を閉じ、手のひらの土に意識を集中させる。
【対象:北領・第一農区の土壌】
【状態:極度の酸性化、および微量要素(栄養分)の枯渇】
【原因:同一作物の連続栽培(連作障害)による土壌バランスの崩壊】
【最適化プラン:石灰(または木灰)の散布による酸度調整、および休閑地を設けた輪作の導入。必要魔力量:微小】
(やっぱり連作障害だわ! 同じ場所に同じものばかり植え続けたから、土の栄養が偏って酸性に傾いてるんだ)
原因が分かれば、対処は簡単だ。前世の業務改善でも、問題の可視化さえできれば解決策は自動的に導き出される。
「アルフレッドさん、館の暖炉や厨房から出る『木灰』って、どこに捨てている?」
「え? 館の裏のゴミ置き場にまとめて破棄しておりますが、それが何か?」
「それ、今すぐここに集められるだけ集めて。あと、領民の人たちにも、家で出た薪の灰を全部持ってきてもらうように伝えてちょうだい」
私の指示に、アルフレッドさんだけでなく、遠巻きに見ていた領民たちも怪訝な顔をした。
「お嬢様、灰などを撒いてどうされるのですか? 土が汚れるだけでは……」
「汚れるんじゃないわ、治療するのよ。この土は今、お腹を壊して酸っぱくなっているの。灰を混ぜれば、それが中和されて元の元気な土に戻るわ」
専門用語を噛み砕いて説明すると、領民の一人が不信感を隠さない声で言った。
「そんなことで、本当に小麦が育つのかよ。王都の偉いお嬢様が、泥遊びの延長で口を出さないでくれ」
冷たい言葉。けれど、その裏にあるのは「これ以上期待して裏切られたくない」という絶望だ。
「そうね。口先だけじゃ信じられないのは当然だわ」
私は立ち上がり、泥のついた手を叩いて笑った。
「じゃあ、まずはこの畑の端っこ、小さな一画だけで試しましょう。もし一ヶ月後、私のやり方で植えた場所に綺麗な芽が出たら、その時は全員分、私に仕組みを変えさせて。――これでどうかしら?」
私の真っ直ぐな提案に、領民たちは顔を見合わせた。
その瞳に、ほんの少しだけ、今までになかった動揺の光が灯っていた。




