第36話 春の芽吹きと物流の壁
厳しい冬の嵐が去り、北領に眩しい陽光とぬるい春風が戻ってきた。
残雪の下から現れたのは、黒々とした豊かな土壌と、そこから一斉に顔を出した鮮やかな緑の芽だった。
「リーゼ! 見ろよ、芽が出た! 本当に芽が出たぞ!」
大麦畑の真ん中で、テオが泥だらけになりながら大きく手を振って叫んでいる。集まった農夫たちも、互いの肩を抱き合い、歓喜の声を上げていた。過酷な冬を誰一人欠けることなく乗り越え、自分たちの手で未来の糧を芽吹かせたのだ。
「ええ、完璧な発芽率ね」
私は畑の縁に立ち、緑の絨毯を見渡して満足げに頷いた。
「最適化」のモニタリングが示している。土壌の中和と給水システムの改修により、大麦の生育状態は極めて良好。初夏の収穫期には、例年の三倍以上の成果が見込める計算だ。
「お嬢様、これで領内の食料問題は完全に解決いたしますね」
隣に立つアルフレッドさんが、感慨深げに胸を撫でおろした。だが、私の思考はすでに次のフェーズへとシフトしていた。
「自給自足だけで満足していてはダメよ、アルフレッドさん。収穫した大麦を自分たちで食べるだけなら、ただの貧乏生活が維持されるだけ。私たちが目指すのは、北領の『黒字化』よ」
黒字化。それはすなわち「自立」だ。
「……黒字化、でございますか」
「ええ。あまりある大麦を加工し、特産品として外部へ売り出す。そしてその利益で領内を豊かにする『経済循環』を作るの。そのためには……この大きな瓶首を解消しないとね」
私は足を止め、領主館から王都側へと続く主要街道(……と呼ぶにはあまりに粗末な泥道)を指差した。
ぬかるんだ泥には深い車輪の跡が刻まれ、大きな石がそこかしこに転がっている。これでは馬車一台を通すだけでも通常の倍以上の時間がかかり、商品が傷んでしまう。
「製品を作っても、運ぶ手段が破綻していては商売にならないわ。どれほど優れた製品でも、ユーザーに届かなければ価値はゼロよ」
「確かに……北領の道路は長年放置され、雨や雪が降ればすぐに不通となります。物流の拠点としては最悪の環境です」
アルフレッドさんが苦笑交じりに頷く。
「だからこそ、次のプロジェクトは『道路整備(インフラ拡張)』よ。ただ泥を叩き固めるんじゃないわ。水はけを考慮した排水溝と、石畳を組み合わせた高耐久の街道を作るの」
「おーい! リーゼ、何の話だ?」
作業を終えたテオが、駆け寄ってきた。背も少し伸び、冬を越えてすっかり頼もしくなった現場リーダーだ。
「北領の道路を生まれ変わらせる計画よ。テオくん、現場の指揮を頼めるかしら?」
「応、任せとけ! 穴ほりでも石運びでも、俺たちが一番得意な仕事だ!」
胸を叩くテオの威勢の良い返事に、私は頼もしさを感じて微笑んだ。
生産から物流へ。
北領を単なる「最果ての貧困領地」から「独立した経済圏」へと進化させる、新たなプロジェクトが動き始めようとしていた。




