第35話 最初の黒字
「リーゼロッテ様、本当にお見事な手腕でございました」
翌朝、雪の降り積もる街道を見送る窓辺で、アルフレッドさんが静かに頭を下げた。
門の外では、中央財務官バルトを乗せた馬車が、文字通り這うような速さで王都へと逃げ帰っていくところだった。
彼の鞄には、私の指示通りに書き直された『北領インフラ改善および完璧な財政健全化に関する復命書』が詰め込まれている。
「これで中央からの不当な介入は完全に遮断できたわ。彼も自分の身を守るために、王都で最高のプレゼンをしてくれるはずよ」
私は温かいハーブティーを口に含み、ふうと息を吐いた。
外へ目を向ければ、白銀の世界の中に、昨日まで泥まみれになって整えた大麦畑の黒い土壌が、等間隔の美しいグリッド状に広がっている。
水路は凍りつくことなく今もサラサラと澄んだ水を本流へと流し続け、中和された大地の下では、来春に芽吹くための種籾たちが静かに眠りについていた。
村の集会所からは、女たちが炊き出す温かい蕪スープの湯気が立ち上り、子供たちの元気な声が響いている。
領民の三割が餓死するはずだった最悪の予測データは、完全に書き換えられた。
「私たちが成し遂げたのは、単なる延命じゃないわ、アルフレッドさん。これは北領という組織が自立するための、最初の『黒字化』よ」
「はい。お嬢様がもたらした仕組みは、すでにこの地に深く根付いております」
老執事の瞳には、かつての絶望は微塵もなかった。あるのは、新しき若き経営者への、揺るぎない絶対の信頼だけだ。
♢
――その数日後、王都・王太子執務室。
「……これが、バルトからの最終報告書だと?」
王太子カイウスは、届けられたばかりの分厚い書類を前に、かつてないほどの衝撃に突き動かされていた。
そこには、同行した直属の兵たちの証言と共に、北領の劇的な復興の事実が克明に記されていた。『リーゼロッテ様は独自の高度な数理を用いて領地を完全に統治されており、その知性は我が国の最高財務官すら凌駕する』と。
「あり得ん……あの病弱で、私の後ろに隠れることしかできなかった無能な女が……」
カイウスの頭脳に、リーゼロッテが去り際に言い放った『私を切り捨てた損失、いずれきっちり計算させてあげるわ』という冷徹な言葉が、鮮烈に蘇る。
彼女は無能などではなかった。自分がその圧倒的な「真の価値」を見抜けず、ただの無能として扱い、挙句にセレスティナなどという浅薄な女のために切り捨ててしまったのではないか。
「私は……一体、どれほどの『至宝』を手放したのだ……?」
冷徹な王太子の背筋に、生まれて初めての激しい戦慄と、取り返しのつかない致命的な選択ミスへの恐怖が走り抜けた。
最果ての地で完全な基盤を構築した元令嬢と、己の過ちに気づき始めた王太子。
冬の嵐の向こう側で、二人のパワーバランスは、今や完全に逆転しようとしていた。




