第30話 種蒔きと冬の足音
工作員たちの身柄を拘束し、目代への警告状を発送した翌日。
ため池と井戸のろ過システムも無事に機能し、水質は私の計算通り、完全にクリアな状態へと復旧した。
「よし、障害対応はすべて完了よ。これより『冬至大麦』の播種を開始します!」
雲ひとつない秋晴れの下、大麦畑の前に集まった領民たちに私は号令をかけた。
中央からの妨害という最大のセキュリティリスクを完全に排除した現場には、もう怯えの表情はない。男たちは誇らしげに種籾の詰まった袋を担ぎ、女たちや子供たちも、中和された美しい茶色の土を見つめて目を輝かせている。
「お嬢様、これでもう、誰も私たちの邪魔はできませんね」
アルフレッドさんが、私の隣で感慨深げに微笑んだ。
「ええ。インフラの安全が確保されてこそ、真の生産活動が始まるのよ」
「応よ! みんな、遅れた分を取り戻すぞ! 種を撒け!」
テオの威勢のいい声を合図に、領民たちが一斉に畑へと広がっていった。
耕されたばかりの柔らかな土に、黄金色の種籾が美しく撒かれていく。等間隔に、一切の無駄なく作業が進む様子は、見ていて本当に気持ちが良い。完璧に最適化された生産ラインそのものだ。
パラ、パラ、と冷たい風に乗って、空から白い粒が落ちてきた。
初雪だ。ついに、北領の厳しい冬がその足音を響かせ始めた。
けれど、大地を優しく覆い始めた雪を見上げる領民たちの顔に、かつてのような絶望はなかった。彼らは知っている。自分たちの足元には、水が抜かれ、灰で満たされ、完璧に整えられた豊かな土壌と、未来の糧が眠っていることを。
「……冬を、越せるんだな。俺たち」
一人の農夫が、雪の混じる風の中で小さく呟いた。
「越せるわ。私の計算通りにやれば、絶対にね」
私がサムズアップをして笑うと、領民たちの間から温かい笑い声と、力強い歓声が沸き起こった。
――その頃。
王都にある広大な王太子の執務室。
王太子カイウスは、届けられた一通の、これまでに見たこともない奇妙な報告書を机に広げ、完全に硬直していた。
それは、リーゼロッテから届いた『北領業務進捗報告書』。
そこには、言い訳や慈悲を乞う言葉など一文字もなかった。代わりに並んでいたのは、緻密な複式簿記で計算された財政状況、土壌PH値の推移、そして今後の大麦収穫量予測を示す、見事な「グラフ」の数々だった。
「……本当に、あの女がこれを書いたのか?」
カイウスは美しい金色の瞳を驚愕に揺らし、書類の端を無意識にきつく指で押さえた。
魔力が低く、自分の前ではいつも怯えていた、不要なはずの元婚約者。その彼女が、誰もが匙を投げた最果ての死地で、王都の宮廷学者すら凌駕する圧倒的な「知性」を発揮している。
「リーゼロッテ……お前は一体、北領で何をしている?」
冷徹な王太子の胸に、抑えきれないほどの激しい興味と、未知の才能への戦慄が刻まれた瞬間だった。




