第2話 最果てへの旅路
「はい、これ。道中で食べなよ。王都の美味い店で買った焼き菓子。あと、干し肉と……」
数日後、王都の外縁にある辻馬車の発着所。
レオンは私の手荷物を馬車へ積み込みながら、頼んでもいない小袋をいくつも私の手に押し付けてきた。どれも日持ちのする食べ物ばかりだ。
「ありがとう、レオン。でもこんなにたくさん、悪くて受け取れないわ」
「いいから持ってけ。アルトハイムの北領なんて、まともな宿場町だってロクにないんだぞ。途中で行き倒れにでもなったらどうするんだ」
レオンは私のカバンに強引に袋を詰め込み、ふう、と大きなため息をついた。その翠の瞳には、相変わらず私を心配する色が濃く滲んでいる。
「本当に、俺がついて行ければいいんだけど……」
「滅相もないわ。あなたはせっかく若くして近衛騎士の職に就けたのよ。私みたいな追放令嬢に付き合ってキャリアを捨てるなんて、絶対に許さないから」
私がきっぱりと言うと、レオンは苦しげに眉をひそめた。
「キャリアなんてどうでもいい。俺は、リーゼの騎士になりたかったんだ」
「レオン……」
「……なーんてね。困ったらすぐに手紙をくれ。俺、有給をもぎ取ってでも絶対に駆けつけるから」
無理に作ったような笑顔で、レオンは私の頭をくしゃりと撫でた。その手の温かさに、胸の奥が少しだけ疼く。実家の中で、この実直な幼馴染だけが私の本物の味方だった。
「ええ、約束するわ。元気でね、レオン」
御者が発車の合図を告げる。私は馬車に乗り込み、小さな窓から手を振った。
がたがたと馬車が動き出す。見送るレオンの姿が、次第に小さくなっていく。
(さて、ここからが本番ね)
私は座席に深く背を預け、大きく息を吐き出した。
王都から最北の直轄領までは、馬車を乗り継いで約十日の長旅だ。移動時間をただボーッと過ごすつもりは毛頭ない。
「まずは、現状把握からね」
私は膝の上に、実家の書庫からこっそり持ち出してきた北領の簡易地図と古い報告書を広げた。
(人口は約八千人。主産業は小麦だけど、収穫量は年々減少。衛生環境が最悪で、冬が来るたびに疫病が流行……うん、見事なまでの炎上案件ね)
前世の記憶が戻る前の私なら、この数字を見ただけで絶望して泣き崩れていたかもしれない。
けれど、今の私は違う。人が足りない、予算がない、環境が最悪。そんなデスプロジェクトは、前世の職場で嫌というほどマネジメントしてきた。
誰にも期待されていないということは、誰の許可も取らずに好き勝手に業務改善できるということだ。社畜にとっては、これ以上ないホワイト環境と言える。
私は目を閉じ、意識を集中させた。
頭の中で「開いた地図」を強くイメージする。すると、私の視界に薄い水色の文字がふわりと浮かび上がった。
【対象:アルトハイム伯爵領・北直轄区(簡易地図)】
【全体評価:著しい生産性の低下、およびインフラの機能不全】
【主要課題:土壌の酸性化、水源の汚染、領民のモチベーション低下】
【最適化プラン:段階的アプローチを推奨。第1フェーズ・水質改善および土壌改良。必要魔力量:小】
まだ私の魔力が低いため、地図を通した大雑把な分析しかできないけれど、現地に着けばもっと詳細なバグ(問題点)が見えるはず。
(土壌の酸性化なら、前世の知識にある『堆肥』や『石灰』の導入でなんとかなる。水源の汚染は、井戸の構造改善と煮沸の徹底ね)
解決の糸口が見えた瞬間、前世の社畜の血が騒ぐのが分かった。
赤字物件を黒字化させる時のあのゾクゾクする感覚が、指先まで満ちていく。
「カイウス殿下も、私を捨てたお父様も……せいぜい王都のぬるま湯で、お互いを牽制し合っていればいいわ」
窓の外には、のどかな街道の景色が広がっている。
けれど、北へ進むにつれて、徐々に緑が薄くなり、荒涼とした風景へと変わっていくのが分かった。
口減らしとして捨てられた場所。
けれど、そこは私が私のために作る、世界で最初の「私の居場所」になるのだ。
十日後。馬車の速度が落ち、御者が声を張り上げた。
「お嬢様、アルトハイム北領の領主館が見えてきましたぜ!」
カーテンを開けて外を覗き込んだ私は、思わず「うわぁ……」と声を漏らした。
そこに広がっていたのは、想像以上のディストピアだった。




