第10話 視察と波紋
「リーゼロッテ様、本日は少々厄介なお客様が領内に見えられております」
菜園の朝のルーティンを終えた私に、アルフレッドさんが険しい顔で告げた。
「厄介なお客様? 王都からの仕入れ業者かしら」
「いえ、本家――アルトハイム辺境伯家が送り込んできた、臨時の『目代(監査官)』でございます。お嬢様が北領へ入られてからの動向を探る名目かと」
(なるほど。実家からの定期的な進捗確認、という名の監視ね)
婚約破棄された私を「口減らし」として最果てに放り込んだくせに、死にきれずに何か不穏な動きをしていないか確かめに来たわけだ。前世でも、リストラ対象の社員が会社に損害を与えないか見張る、嫌なタイプの総務部長がいたものだ。
「分かったわ。事務的に応対しましょう。どこにいるの?」
「それが……すでに館の裏手、菜園のほうへ向かわれたようで」
「なんですって?」
私はすぐに足を早めた。せっかくテオたちと軌道に乗せ始めた「第一生産拠点」に変なイチャモンをつけられてはたまらない。
菜園に到着すると、そこには仕立ての良い上等なマントを羽織った、太った中年男が立っていた。
男は、青々と茂り始めた蕪の苗を見下ろし、信じられないといった様子で何度も目をこすっている。
「……バカな。アルトハイムの北領で、このような整然とした作物の芽吹きがあるはずがない。何の魔術だ……!」
「魔術ではなく、ただの業務改善ですよ、目代様」
後ろから声をかけると、男はビクッと肩を揺らして振り返った。その顔には、見下すような傲慢さと、予想外の光景への動揺が混じっている。
「リーゼロッテ……! その泥だらけの格好は何だ。辺境伯家の血を引く者が、平民のガキどもと一緒になって土を弄るなど、本家への冒涜か!」
「ご挨拶が遅れました。私は現在、この館のスタッフ(使用人)として実務に就いております。現場の作業着としてこれ以上の最適解はありません。それより、何か当領地のデータに不審な点でも?」
私が淡々と、かつ冷徹に数字を詰めにかかる経理担当者のトーンで返すと、目代は気圧されたように一歩下がった。
「ふ、不審な点だと!? お前がこちらに来てから、王都の穀物商との契約を一方的に打ち切ったと報告があった! 本家への名目金も滞っている! これは明確な反逆行為だぞ!」
「反逆ではなく、コストカットです」
私は革鞄から、先日整理した『簡易バランスシート』の写しを取り出し、男の目の前に突きつけた。
「そちらの指定した穀物商は、相場の三倍の価格で我が領地に不良債権を売りつけていました。これは明白な中抜きです。また、本家への名目金ですが、北領の現在のキャッシュフロー(資金繰り)では支払い不可能です。これ以上の搾取は、領地自体の倒産――つまり、本家にとっても直轄領の完全な損失を意味しますが、それでも徴収なさいますか?」
「な、な……っ」
目代は羊皮紙に並んだ完璧な複式簿記の数値と、理路整然とした私のプレゼンテーションを前に、完全に顔を真っ青にさせて硬直した。
「この書類は本家にも直接送付します。文句があるなら、監査基準を明確にした上で、正式な書面でどうぞ」
私がニヤリと笑うと、男は「不気味な女め……!」と捨て台詞を残し、逃げるように馬車へと走り去っていった。
「実に見事な撃退でございました、お嬢様」
いつの間にか後ろに控えていたアルフレッドさんが、声を殺して笑っていた。柵の向こうでは、テオたちもスカッとした顔でガッツポーズをしている。
「これでしばらくは、本家も手を出してこられないわ。でも――」
私は王都の方角の空を見上げた。
この成果の数字は、いずれ実家だけでなく、あの冷徹な王太子カイウスの耳にも届くことになる。
(せいぜい驚くといいわ。私のプロジェクトは、まだ始まったばかりなんだから)
胸の奥の社畜の魂が、次の改革へ向けて静かに燃え上がっていた。




