4 説明
そんな嘆きの声を上げずとも僕は。
もう暴言など向けることはない。
彼女の意を汲む。
抵抗はせず行為をやめて椅子に座り直す。
彼女は今にも崩れそうだった姿勢を持ち直した。
背中に手を回して帯を掴むと手前に引き出した。
そして彼女は当たり前のように
身に付けていた前掛けをするりと取り外した。
残飯となった料理を前掛けにくるんで廃棄バケツに放り込んでいく。
卓上の事故の後片付けも手際よくこなした。
「マチルダこそ、手が汚れてるぞ。奥でしっかり洗ってきなよ!」
僕は十分、気遣ったつもりだった。
しかし、マチルダは振り返り青ざめた顔でまた床にひれ伏す。
処刑場で命乞いをする冤罪人の顏で、
その声は震え、恐怖に満ちていた。
「ラルク坊ちゃま、どうか……お怒りを鎮めてくださいまし! どうか……
命だけは取らないでくださいまし! どうか……
家には病の夫と子供が……おりますから……」
涙目の彼女は僕から三歩下がって土下座。
三つ指をついて許しを請う。
どうかその酷い言い方を止めてほしい。
これまでのラルクがしてきた仕打ちがどうしてもこの誤解を生みだす。
僕が怒り狂って、召使いの真似事をしていると彼女は思っているのだ。
駄目だ!
彼女を傷心に浸らせては駄目なんだ。
心の傷は何度もぶり返す。
それは恨みを増幅させる増強剤となり得るから。
恨みの原因を心に飼わせてはいけないのだ。
僕は再び席を立って軽く息を吸った。
「落ち着いて」と言葉を向け、彼女を宥めるためにマチルダに歩み寄った。
彼女は警戒して視線を隠すように。
自分の視線を床に突き刺す。
彼女に目線を合わせるため身をかがめる。
そのまま少し同じく床の上を見つめて。
そして、マチルダの肩にそっと手を当てる。
耳元でそっとささやく。
「僕は一度も人の命を取ったことはない。
そんな強さも、ちからもない。そのことは君たちがよく知っているはずだ。
その証拠に君はこうして生きてるじゃないか」
彼女の手の甲に自分の手を重ね合わせる。
互いに血が通っていることを考えてもらうための言葉と行動の一致がだいじ。
これまでとは明らかにちがう声のトーンと言葉使いに彼女の体から震えが消えた。
彼女は恐る恐る僕の顔を見て不思議そうに聞き返す。
「ほ……本当に? 本当に、お怒りではないのですか?」
静かに頷きながら──
微妙に口元をゆるめて涼やかな表情を作りつつ、マチルダの目を確と見る。
彼女の手を今度は強く握る。
「二人を失ったらどうやってここで生き抜くのか」と懸命に説得していく。
彼女らもその言葉の意味を理解しているようで。
そう納得するのに時間はかからなかった。
「見放されてようやく気づいたんだ。ずっと変わるきっかけを探してたんだ」
「坊ちゃま……坊ちゃまは元々お優しい方です。ええ、変われますとも!」
「ほんとにすまなかった。マチルダ……」
ぎゅっと手を握り返してマチルダが逆に励ましてくれた。
そして互いに安堵の表情が浮かんだ。
改めて食事の準備に入っていく。
マチルダは清掃は自分の本文として後片づけをしてくれる。
◇
僕は彼女らが酷く怯えるわけを知っている。
このラルクという男は何でもかんでも他者のせいにしてきた。
悪い結果を自己責任で乗り越えた試しがない。
すぐに癇癪を起した。
暴言を吐きつけ身分の差で雇われの彼らを虐め、
辱めることで外で受けてきたストレスを発散してきた。
そのような情けない坊ちゃまだ。
先日、世間に出るために必要な嗜みを一通り身に付けるために通っていた中級学園を卒業間近にして、停学となった。
級友との間に問題を起こして、罰せられたわけだ。
家庭に通告が来て、家族が激怒した。
実の父親から別居の名分で実質追放されてしまったのだ。
朝目覚めると、
それまでの人生をまるで絵本でも読んだように振り返っていた。
僕は異世界転生を受けて、
ラルク・アッシュルーズとしてこの世界に生を受けていたようだ。
だけど本当に本を読んだような感覚でしかない。
だって現に僕は今、ラルクの説明本に目を通しているのだから。




