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深くなる体温

その夜は、静かだった。


勢いではなかった。

衝動でもなかった。


彼の手が、一度だけ止まる。


戻ることもできた。


でも彼女は急かさない。

ただ、そこにいる。


その静けさに背中を押されるように、

彼はもう一度触れる。


キスの延長のように、

ゆっくりと距離が溶けていった。


触れるたびに、確認して。

止まりながら、進んだ。


彼にとって、


身体を重ねることは

どこかで「責任」と結びついていた。


深くなりすぎることへの恐れ。


戻れなくなる感覚。


相手を期待させてしまう不安。


でも彼女は違った。


求めながらも、縋らない。


触れながらも、自分で立っている。


それが彼を静かに安心させていた。




終わったあと。


部屋は暗い。


彼女は穏やかに横たわっている。


彼は天井を見つめる。


胸がざわつく。


後悔ではない。

罪悪感でもない。


でも、

「これで本当に深くなった」という実感。


もう曖昧には戻れない。


その事実が、少し怖い。



彼は横を見る。


彼女は眠っていない。


目が合う。


不安を探す。

期待を探す。


でもそこにあるのは、

安心と、静かな満足。



「大丈夫ですか?」


思わず聞いてしまう。


彼女はちょっと意地悪に笑う。


「大丈夫じゃないかも。」


その余裕に、彼は救われる。



彼は気づく。


怖いのは、

身体を重ねたことではない。


“必要な存在”になったかもしれないこと。


そして同時に、

自分も彼女を必要としていること。


対等であること。

逃げ場がないこと。


彼は小さく息を吐く。


「俺、逃げませんからね。」


冗談みたいに言う。

でも本音。


彼女は静かに返す。


「知ってます。」


その一言で、胸のざわめきが落ちる。




翌朝。


彼は目覚めて、最初に感じる。


後悔がない。


それは、彼にとって大きなことだった。


以前の自分なら、

距離を取りたくなったかもしれない。


でも今は違う。


隣にいる彼女を見て、


怖さよりも、

「守りたい」でもなく、


「一緒にいたい」が勝つ。


それは依存ではない。


選択だ。




朝。


カーテンの隙間から光が差す。


彼は先に目が覚める。


隣に彼女がいる。


その事実に、静かな安心が広がる。


以前の彼なら、

どう振る舞うべきかを考えただろう。


軽く振る舞うか。

少し距離を置くか。


でも今日は違う。


考えない。


ただ、隣にいる。



彼女が目を開ける。


一瞬、状況を思い出す。


それから、やわらかく笑う。


その笑顔に、

彼の胸の奥がほどける。


逃げたい感覚が、ない。


代わりにあるのは、

触れたい、という素直な衝動。


でも昨日とは違う。


確かめる衝動ではなく、

安心を分け合う衝動。


彼はそっと彼女の髪に触れる。


無言で。

理由もなく。


彼女は少し驚くが、拒まない。


むしろ自然に彼の腕に寄る。


その瞬間、

彼の中で何かが静かに変わる。


“甘えてもいい”のかもしれない。


これまでの彼は、

求められる側でいようとしていた。


支える側。

余裕のある側。


でも今は違う。


彼女の肩に額を預ける。


ほんの数秒。


それだけ。


でも彼にとっては、大きな一歩だった。



「……落ち着きますね。」


小さく漏れる本音。


彼女は静かに答える。


「私もです。」


その対等さが、彼をさらに安心させる。




数日後。


彼は自分の変化に気づく。


仕事の合間、

無意識に彼女を探している。


以前は、見られないようにしていたのに。


今は、目が合うと嬉しい。


それを隠さなくなっている。




ある帰り道。


彼は自然に手を伸ばす。


周囲を確認しない。


ただ、繋ぎたいから。


彼女が握り返す。


その温度に、彼は思う。


深くなったから怖いのではない。


深くなったから、安定している。



彼は初めて理解する。


甘さとは、依存ではない。


信頼の副産物だ。


自分を預けても崩れない相手にだけ、

人は甘くなれる。



夜。


彼はぽつりと言う。


「俺、最近ちょっと変わりましたよね。」


彼女は笑う。


「うん。やわらかくなりました。」


否定しない。

茶化さない。

受け取る。


彼は思う。


逃げなかった夜が、

自分をここまで連れてきた。


怖さを越えた先にあったのは、


刺激ではなく、


静かな幸福。


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