寝れない夜(彼女視点)
家に帰って、玄関のドアを閉めた瞬間、
彼女はその場で立ち止まった。
静かだった。
さっきまで隣にいた人の気配が、もうない。
それなのに、胸の奥はまだ少し熱い。
靴を脱いで部屋に上がる。
バッグを置いて、上着を脱ぐ。
いつもの動き。
いつもの夜。
でも、今日は少し違う。
彼女は洗面台の前で手を止める。
鏡の中の自分が、ほんの少しだけ赤い。
思い出す。
別れ際の、あの一瞬。
頬に触れた手。
少し震えていた指。
それから、
ほんの短いキス。
触れただけなのに。
思い出すと、胸がどきどきする。
彼女は小さく息を吐く。
「……びっくりした。」
独り言。
でも、嫌ではない。
むしろ、嬉しい。
ベッドに腰を下ろす。
天井を見る。
さっきの彼の顔を思い出す。
逃げない目。
少しだけ緊張している声。
「ちゃんと、好きです。」
あの言葉。
思い出した瞬間、胸の奥がまた温かくなる。
彼女は枕に顔を埋める。
「……遅い。」
小さく笑う。
でも、それも含めて彼らしいと思う。
急がない人。
怖くても、ちゃんと考える人。
そして、それでも最後は、逃げない人。
彼女は目を閉じる。
でも、眠れない。
頭の中に、さっきの光景が何度も浮かぶ。
触れた唇。
近かった距離。
彼の手の温度。
思い出すたび、胸が少しだけ速くなる。
「……これは、寝れないやつだ。」
誰もいない部屋で、小さくつぶやく。
けれど、不安はない。
苦しくもない。
ただ、静かに嬉しい。
彼女はスマホを手に取る。
メッセージを送ろうか、少し迷う。
でも、やめる。
たぶん彼は今、
自分よりもっと真面目に考えている。
そういう人だから。
彼女はスマホを枕の横に置く。
そして、もう一度天井を見る。
今日、少しだけ進んだ。
急いだわけでもない。
流されたわけでもない。
二人で、選んで進んだ。
それが何より嬉しい。
彼女は目を閉じる。
胸の奥の温度を感じながら。
眠れない夜。
でも、幸せな夜。




