夜の温度
夜。
部屋の灯りは落ちている。
それでも彼は眠れていない。
ベッドに横になり、
天井を見つめたまま動かない。
静かな部屋の中で、
頭の中だけが騒がしい。
思い出す。
帰り道。
彼女の前に立った瞬間。
そして――
抱きしめた。
突然だった。
自分でも、
あんなふうに動くとは思っていなかった。
触れるつもりだったわけでもない。
慰めたかった。
そばにいたかった。
ただ、それだけだったはずなのに。
気づいたら、
腕が動いていた。
「……やりすぎた」
小さく呟く。
彼女は驚いていた。
当然だ。
恋人でもない。
告白もしていない。
なのに、いきなり抱きしめるなんて。
距離感を間違えている。
さらに思い出す。
抱きしめたあと。
自分は――
ぐいっと離れた。
あれは何だ。
衝動で抱きしめて、
我に返って突き放すみたいな。
最悪だ。
「引かれたかもしれない……」
胸の奥が重くなる。
嫌だったかもしれない。
困ったかもしれない。
もう少し距離を取られるかもしれない。
そう考えると、
胃のあたりがじわりと痛む。
それでも。
思い出してしまう。
彼女の体温。
腕の中にあった重さ。
柔らかい髪の感触。
近かった呼吸。
彼は目を閉じる。
思い出すだけで、
胸の奥が静かに熱くなる。
落ち着かない。
でも、
嫌じゃない。
むしろ――
もう一度触れたくなる。
「……だめだろ」
自分に言い聞かせる。
まだ早い。
焦るな。
彼女を不安にさせるな。
それでも。
もし彼女が、
ほんの少しでも
あの時間を嫌じゃなかったなら――
そこまで考えて、
彼は小さく息を吐く。
「……考えすぎだ」
眠らなければ。
そう思うのに、
胸の鼓動はなかなか落ち着かない。
彼はしばらく天井を見つめたまま、
眠れない夜を過ごす。
その頃。
彼女の部屋。
彼女もまた、
布団の中で目を閉じていた。
そして――
眠れていない。
思い出している。
帰り道。
彼が突然、
自分を抱きしめた瞬間。
驚いた。
本当に一瞬、
頭が真っ白になった。
でも、
嫌だとは思わなかった。
むしろ、
心臓が一気に跳ね上がって。
どうしていいかわからなくなった。
そして、
すぐ離れた。
ぐいっと。
あれはきっと、
彼なりのブレーキ。
「……かわいい人」
思わず小さく笑う。
自分から抱きしめておいて、
きっと今ごろ
ものすごく反省している。
そんな気がする。
でも、
あの腕は――
優しかった。
強くて、
でも乱暴じゃなくて、
ちゃんと大事にされている感じがした。
彼女は布団の中で、
顔を少し埋める。
頬が熱い。
抱きしめられた。
好きな人に。
思い出すだけで、
胸がじんわり温かくなる。
そして、
ドキドキしてくる。
「……眠れない」
小さく呟く。
でも、
嫌じゃない。
彼女は目を閉じる。
腕の感触を思い出しながら。
胸の奥に、
静かな温度を残したまま。
二人は、
別々の部屋で
同じ夜を過ごしている。
一人は反省しながら。
一人は思い出しながら。
でも、
どちらの胸にも残っているのは、
同じ温度だった。




