帰宅後の反省会
家に帰ると、急に静かになる。
ドアを閉めた瞬間、
今日の空気が剥がれる。
部屋はいつも通り。
変わったのは、自分だけだ。
靴を脱ぎ、
ソファに腰を下ろす。
脱いだシャツが、
まだわずかに外の匂いを残している。
それだけで、
さっきまでの時間が戻ってくる。
――帰りたくない。
言ってしまった。
思い出した瞬間、
胃の奥がきゅっと縮む。
踏み込みすぎた。
あれは、重かったのではないか。
ソファに座る。
天井を見上げる。
冷静を装うつもりだった。
なのに、
可愛い、なんて言って。
好きみたいな顔で見て。
いつもの自分じゃなかった。
嫌われたかもしれない。
引かれたかもしれない。
「次は、もう少し長く」
あれは社交辞令だったら?
思考が勝手に悪い方へ転がる。
スマホを手に取る。
画面を開く。
彼女とのトーク画面。
白い余白。
何も届いていない。
当然だ。
まだ、帰ったばかりだ。
送るべきか。
今日はありがとうございました。
楽しかったです。
無難な文面が浮かぶ。
でも指が動かない。
重いと思われたら。
追っていると思われたら。
逃げないと決めたはずなのに、
今はまた、怖い。
そのとき。
画面が光る。
通知。
心臓が跳ねる。
彼女の名前。
《今日はありがとうございました。
本、読むの楽しみです。》
軽い。
やわらかい。
いつも通りの温度。
一気に肩の力が抜ける。
嫌われていない。
少なくとも、
拒まれてはいない。
それだけで、息が深くなる。
でも。
返信画面を開いたまま、
また固まる。
嬉しい。
本当は、すぐに返したい。
「帰りたくなかった」って、
もう一度言いたい。
でも怖い。
今ここで温度を上げたら、
また踏み込みすぎる気がする。
指がゆっくり動く。
《こちらこそ、ありがとうございました。
気をつけて帰れましたか。》
固い。
自分でも分かる。
距離を戻す文章。
送信。
既読がつくまで、
妙に長い。
そしてすぐに表示が変わる。
《はい、大丈夫です。
今日は楽しかったです。》
短い。
でも、十分すぎる。
胸の奥が、じわっと温かくなる。
それでも、
《それは良かったです。
ゆっくり休んでください。》
また、硬い。
どうしてこうなる。
本当は、
「またすぐ会いたい」
そう打ちたかったのに。
送信してから、
スマホを伏せる。
逃げたわけじゃない。
でも、踏み込めなかった。
天井を見上げる。
今日の彼女の笑顔が浮かぶ。
「私もです」
あの声。
あの目。
本当に、社交辞令だっただろうか。
ポケットから、
今日のレシートが出てくる。
同じ時間に並んだ証。
小さな紙切れなのに、
やけに愛おしい。
スマホがもう一度震える。
《おやすみなさい》
それだけ。
絵文字もない。
でも、やわらかい。
彼はしばらく画面を見つめる。
怖い。
でも、嬉しい。
逃げないと決めたのは、今日だったはずだ。
《おやすみなさい》
短く。
それでも、少しだけ柔らかく。
送信。
部屋の明かりを消す。
暗闇の中で、胸の奥だけが静かに熱い。
踏み込みすぎたかもしれない。
でも。
踏み込まなかった日より、
ずっと、後悔は少ない。
目を閉じる。
明日になっても、
嫌われていませんように。
それでもきっと、
また会いたいと思っている。




