二人の新しい日常
引っ越し当日。
段ボールが積まれた部屋。
まだ何も整っていない。
それでも空気は軽い。
「思ったより狭いな。」
彼が笑う。
以前なら、
“後悔”の種になりそうな言葉。
でも今は違う。
彼女も笑う。
「その分、近いよ。」
夜。
ベッドがまだ届いていないから、
マットレスを並べて寝る。
少し窮屈。
でも、悪くない。
彼は気づく。
逃げ場がないのに、
苦しくない。
不思議だ。
数日後。
小さな揺れが来る。
仕事で疲れた彼は、少し無口になる。
返事も短い。
彼女の胸が少しざわつく。
(またかな。)
でも、今回は違う。
「今日、疲れてる?」
彼女が聞く。
責める声じゃない。
ただの確認。
彼は少し間を置いて言う。
「うん。」
そして続ける。
「ちょっと一人になりたいかも。」
逃げではなく、申告。
彼女は頷く。
「いいよ。」
追わない。
でも、冷たくもしない。
一時間後。
彼は自分から隣に座る。
「ありがと。」
戻ってくる。
彼女は安心する。
追わなくても、戻る。
試さなくても、残る。
ある日。
父から電話が来る。
「元気か?」
何気ない会話のあと、父が言う。
「彼女さん、しっかりしてるな。」
彼は少し笑う。
「うん。」
その横で、母の声が遠くに聞こえる。
以前のような棘はない。
まだ完全ではないけれど--
「体に気をつけなさいよ。」
それだけ。
彼女の名前は出ない。
でも、悪口も出ない。
小さな変化。
電話を切ったあと、彼は言う。
「母さん、前より静かだった。」
少し驚いたように。
彼女は答える。
「あなたが変わったからだよ。」
夜。
二人は並んで座る。
テレビの音が小さく流れている。
特別なことはない。
でも、静かに安定している。
彼がぽつりと言う。
「昔はさ。」
「近づくと壊れると思ってた。」
彼女は黙って聞く。
評価もしない。
否定もしない。
彼は続ける。
「でも今は、揺れても戻れるって分かった。」
彼女は彼の肩にもたれる。
「うん。」
それだけ。
プロポーズはまだ先。
急ぐ理由もない。
小さく揺れて、
少し離れて、
そして戻る。
その繰り返しで、
二人の距離はできていく。
彼は隣を見る。
彼女がいる。
逃げ場はない。
でも、
逃げたいとも思わない。
静かな夜。
テレビの音が流れている。
彼は思う。
これでいい。




