番外編 獣人の尻尾事情 前編
オリバンズ国へ来てからの三日間、さらにオルガから屋敷での仕事をもらってしばらく。さらにオルガの妻として披露目の夜会に挑むために準備に追われてからしばらく。その間ユフィは自分のことでいっぱいで他のことを考える余地がなかった。
披露目の夜会を終えてからもオリバンズ国や貴族に関する勉強をして、さらに屋敷の仕事もこなす。けれどこのときには少しずつ心にもゆとりが生まれるようになっていた。
そうなれば、勉強や仕事ではないことに意識が向くようになる。
「ユフィ。今日はなにをしていたんだ?」
そう。例えば――隣に座ると必ず絡まってくる尻尾とか。
♦*♦*
ウルフェンハード公爵邸には獣人種も人間種も働いている。
人間種はユフィが公爵邸に来ることになって数名増えた人材であり、獣人種は兎種以外の、猫、熊、虎、鼠、鴉、山羊、牛、この種族が揃っている。
メイドや騎士、使用人の中には仲がいい異性同士もいる様子。仕事場で風紀を乱すようなことは誰もしないが、時には休憩時間に言葉を交わす様子も見られたりもする。初めてそれを見たときは公爵邸敷地内でいいのだろうかと思ってしまったが、一緒にいたエラゼ曰く「仕事を疎かにしたり風紀を乱さぬ限りは若旦那様も許容されております」とのことで、出くわしたときにはささっと去ることにしている。
しかし、そんな光景を数度見たことでユフィは疑問を覚えてしまった。
獣人たちそれぞれの特徴は異なる。長い尻尾や丸い尻尾、細い尻尾や太い尻尾、耳も大きなものから小さなもの、ぴんと立ったものや丸いものと種族によって異なる。
それぞれの種族がどういったものを持っているのか理解できれば目で見て種族が分かる。あれこれと悩む必要がないのは獣人の種も限られているからだろう。
そんな獣人たちの中、他家にはない種族である四種聖獣の一つが獣種。つまりオルガたちウルフェンハード公爵家の面々。ふわふわもふもふの大きな尻尾とぴんと立つ大きな耳を持つ種族である。
「あ、の……エラゼさん」
「はい。なんでしょう? ユフィ様」
朝はいつも早い。夜明け前には自分で起きて少しの間勉強をする。そして身なりを整えて仕事に向かう。
それがいつもの行動だったのだが、勉強が始まってから少ししてエラゼが毎朝部屋にやってくるようになった。これは、朝早くに起きて勉強をするだろうと読んだオルガの指示と今後に慣れるための準備のためという名目で始まったことである。
当初は驚いて申し訳なく思っていたユフィだが、オルガの意図を教えられたことで断ることもできず受けることにした。
朝の勉強を終え、朝食のために身なりを整える。そんなときにユフィはエラゼをそっとうかがい見た。
「その…お聞きしたいことが、あるのですが……よろしいでしょうか?」
「ええ。もちろん。何か分からないことがございましたか?」
「その……」
エラゼはいつも優しい。分からないこと困ったこと、すぐに気づいてユフィを助けてくれる。
その微笑みは穏やかでふわりと柔らかいから心がすっと楽になる。丁寧にされるのはまだ慣れないけれど…。
「その……獣人の皆さまの耳や尻尾は他者が触れてはいけないと若旦那様に教えていただきました。許した者や大切な人でなければ不快に思う方もいると」
「はい。そのとおりにございます」
「では、その……恋人や好きな人に触れられるのは、嫌なのでしょうか?」
そっとおそるおそるというように出た言葉にエラゼは「まあまあ……」と驚いて口許に手をあてた。その反応にユフィは少し縮こまる。
やはりおかしな質問をしてしまっただろうか。オルガが教えてくれたことなのに何をいまさらと思われたかもしれない。
目の前で項垂れるユフィを見てエラゼは小さく笑みをこぼした。
「ユフィ様。若旦那様があまりに尻尾をお寄せになるので気になってしまわれましたか?」
「そういうわけでは…。その、皆さまの中には……仲のいい方々が…いらして……」
「はい」
「それで、そういった方々はその……若旦那様がなさるような……尻尾を絡める……ような…ことを……見たことがない…ので…」
ぼそぼそとだんだんと小さくなっていく言葉にエラゼはますます笑みを深めて頷いた。
ユフィは自身が問うてもいいのかと疑問に思うのか、質問が自分の行動や仕事に関係なければ途端にたどたどしく迷ったものになる。
けれどそれは、これまで問うことができなかったユフィのちょっとずつの歩み。だからエラゼは、耳を傾けてその答えを優しく告げる。
「そうですね。私は獣人ではありませんので正確なことは答えが難しいですが、よろしければ、ユフィ様がお聞きになってみてはいかがですか?」
「わ、わたしがですか……? ですが…こんなことで皆さまのお手を煩わせるのは……」
「いいえ。ユフィ様、気になったことはそれがどれほど些細なことでも誰かに聞いてよろしいのですよ。特に獣人のこととなると分からないところは多くあります。私とて、獣人種の中でもとくに番に一途だという種族の心は理解の難しいものですもの」
「そ、そうなのですか……?」
「はい。オリバンズ国で生まれ暮らしても、まだまだ知らぬことも多いものです」
誰かに聞いてもいい。そう言ってもらってユフィは俯き加減で考えた。
自分はまだまだ勉強中で知らないことばかりだ。だけれど、勉強でならダリオスに分からないところを聞くことができる。
だって、それが自分の存在価値で。いつか公爵邸を出ることになっても必要になるだろうことだから。
だけれど、そうではないこととなると分からない。
声をかけて相手が不快にならないか。顔を歪め醜いものを見るような目で刺されないか。こんなことをするのは求められていない過ぎた行為ではないか。どうしてもそう考えてしまうから。
「大丈夫です、ユフィ様。私がお傍におりますから」
「……はい」
だけれど、エラゼがそう言ってくれるなら。少し頑張ろう。
求められていないならすぐに謝ることにしよう。
オルガと朝食を食べて、仕事へ向かう姿を見送った。
そして仕事をしつつ、ユフィはちらりと一緒に窓拭きをする山羊種の獣人メイドを見た。少し離れて猫種のメイドも同じように窓拭きをしているし、ユフィの傍にはエラゼもいる。
「ほわ? 若奥様どうかしましたか……?」
「! いえっ。なんでもありませんっ」
「ん? ならいいんですけど」
ほわほわとどこかのんびりとした山羊種のメイドだ。庭師で山羊の獣人であるケナムもそうだが、山羊種はこういう性格が多いのだろうか。
そう思いつつ仕事をして、午前の休憩時間にはメイドたちが集まった。
「お疲れさまー。若奥様もお疲れさまです」
「おつかれー」
「お疲れさまです」
ヒーシュタイン侯爵家にいた頃は仕事の合間に休憩時間などなかった。起きてから眠るまでずっと動いていた。
公爵邸でこうして仕事をもらって、こういう時間があると知って驚いたものだ。思わず「休憩してもよいのですか……!?」と口に出てしまったら「これまでなんて苦労をっ……!」となぜか涙を見せられ手を握られ励まされ、いろいろとあった。
メイドたち皆が休憩時間を楽しく過ごす中、ユフィは俯いてきゅっと手を握りしめた。そんな隣でエラゼが虎種のメイドへ視線を向ける。
「ベチュリ。弟さんはどう? 騎士になってまだ浅いけれど」
「頑張ってます。あの子身体を動かすのは得意ですし、鍛錬も結構楽しそうにしてますから」
「そう。それはよかった。皆さんとも早く仲良くなれるといいわね」
「はい。私の弟もですけど……若奥様もお屋敷に慣れましたか?」
「あ、はいっ……! 皆さまのおかげでなんとか」
俯き加減でもしっかりとユフィの頷きが見えてメイドたちも微笑んだ。
屋敷での仕事に加えて国のことや必要なことを学び始めたことはメイドたちも知っている。仕事に加えてそれらを頑張る姿は健気であり、応援したくもなるし、あんまり頑張りすぎないでほしいとも思う。
そんな若奥様が俯いたままどこか落ち着かない様子。それを見て人間種のメイドであるミュレスがこてんと首を傾げた。
「若奥様。どうされましたか? ご気分が優れませんか?」
「いえっ、そんなことは……その……」
どこかユフィがおかしい。感じ取るメイドたちはちらりと視線をエラゼに向ける。
ユフィ付きメイドのまとめ役であり、長くユフィの傍についているエラゼは微笑んでいた。
「あ、あの……お聞き、したいことが……」
「「! はいっ。なんでもどうぞ!」」
珍しいユフィの言葉と意を決したような様子にメイドたちも前のめりになる。ユフィが驚くとはたと姿勢を戻し「失礼しました」と揃って頭を下げた。そんなことをされてしまうと「いえっ」と反射的に否定してしまうユフィは、おろおろとしながらもエラゼを見てその頷きで心を落ち着けた。
「その……皆さまは、恋人や婚約者、旦那様がご一緒のとき、尻尾を絡めたり……するのでしょうか…?」
ぱちりと瞬く音が聞こえた。なんとなく視線は上げられないのでメイドたちがどんな顔をしているのか分からないが、一瞬気まずい空気になってしまった気がしてユフィは慌てて手を振った。
「あ、いえっ。その……尻尾や耳は他人に触れさせたくない部分だというのは重々承知しています。ただその……若旦那様がしてくださるようなことは獣人ではありふれた触れあいで、皆さまも同じなのかと……少し気になりまして…。おかしなことを聞いてしまって申し訳ありません」
慌てていたのに沈んでいく声。それを聞いたメイドたちは思わず口許を覆った。
(ありふれた触れあい……! そうそう見ませんけどね!)
(若旦那様の愛情表現が若奥様にとって獣人共通の普通になってるっ……!)
(これって否定していいものなんですか!?)
(元凶は若旦那様ですね! 自分で首絞めてますけど!)
言いたいことは山ほどある。
しかし、肯定すればきっと後々ユフィが「これはありふれていない」と知ってしまったときに困るだろうし、自分たちは嘘を伝えることになる。逆に否定すればユフィは「ではなぜ若旦那様は?」と困り果ててしまうだろう。特別なものをもらっていると知ったらきっと「自分にはもったいないです」と俯いて物腰低く拒んで、オルガの耳はしゅんとして尻尾はだらりと力を失うのが目に見えている。
((これは、どう答えれば……!?))
どちらも言えない。いや、メイドとしてはユフィにはきちんと正確な情報を伝えるのが正しい。正しい、のだが……。
迷うメイドたちの中、ユフィ付きメイドである人間種のリリアンが「こほんっ」と咳ばらいをした。
「若奥様。それはおそらく種や個人によって違うのでしょう」
「そうなのですか……?」
「はい。人間種の中でも妻に毎日愛を囁く夫もいれば、冷え切った夫婦もいます。獣人はさらに種によって分かれます。例えば猫種は夫婦間でも非常に気まぐれです。仲睦まじく尻尾を絡めていると思えば、近づくなと言いたげに距離をとることもあります」
「あ、はい。ありますあります! 自由気ままだって言われるんですよー」
猫種のメイドがここぞとばかりに勢いよく頷きながら手を挙げる。ユフィは僅か目を瞠る。
リリアンは指を立ててさらに続けた。
「虎種は一夫多妻であることと武に優れている面から、触れあいよりも共同というところかもしれません」
「うんうん。確かに。私もあんまりべたべたしたいとは思わないなあ」
「四種聖獣の一種である獣種は、この人と決めた相手をとても大切にされると聞きます。若旦那様にとって若奥様はそう思えるお相手だからこそ、心を許しておられるのではないでしょうか?」
リリアンが微笑んで告げた答えにユフィは僅か視線を下げた。
オルガは優しい。それはこの屋敷に来てからずっと感じているし、それを疑うことなどありはしない。
(だけど、わたしなんかをそこまで……)
妻として想われても、それにどうすればいいのか分からない。それはあまりにも自分には相応しくないから。
俯くユフィからその心を感じとったのか、メイドたちががばりと身を乗り出した。
「若奥様! 若旦那様はほんっとうに若奥様を大事にされていますからね!」
「そうです! 若旦那様があんなに嬉しそうに尻尾を振るなんてないですからね。自信もってください!」
「いくら妻相手だからってあんなに尻尾を絡めて嬉しそうなのは若旦那様くらいですから!」
「ばっちり心は射止めてます! ご心配なく!」
「は、はい……?」
気圧されながら、内容に怪訝としながら、とりあえず頷くしかなかった。




