番外編 竜神様からの褒美
オリバンズ国で過ごすようになって半月が経った頃から、ユフィはオリバンズ国についての勉強を始めた。
まず学んだのは国の成り立ち。獣人たちが仰ぐ、獣たちの王である竜神様の存在。
そしてオリバンズ国全体の国土が竜神様のお膝元であり、王家も貴族も民も竜神様への敬意と感謝をもって暮らしていること。
一つひとつを学んでいたユフィは、その学びの中でふと気づいてしまったことがあった。
休日であるオルガはユフィとの時間をつくろうと、その姿を探していた。
ユフィは朝が早い。使用人たちと変わらぬほどに朝が早く、それに身体が慣れているのだろうと思われる。今も朝早くから午前のうちは屋敷での仕事をしてくれている。
午後には今度の披露目の夜会に備えて勉強をしている。学ぶ姿勢も意欲的で非常に教え甲斐があるとダリオスは笑っていた。
午後の勉強は俺も同席しようかと考えながら探していれば窓の外にその姿を見つけ、オルガはすぐに外へと出た。
公爵邸の庭は本館に近いほど花が多く、敷地外に近づくほど樹々や芝生が広がっている。樹々は間隔を開けて植えられており、木漏れ日で足元の草が柔らかく光る。
整えられた小さな森のようでもあるその庭は、複数いる庭師の一人であり山羊の獣人であるケナムが庭師たちをまとめているおかげで整っている。
そんな庭の中、白い花の咲く前にユフィはいた。
近づいて思わず足が止まり、オルガはその姿をじっと見つめた。
太陽の光に柔らかく照らされ、顔を隠す長く白い髪を風がふわりと揺らす。
芝の上に座りじっとしている。思い悩んでいるというよりも、まるで祈りを捧げるような静かな姿に少し言葉を忘れるほど、見惚れてしまうほどに、その姿は美しい。
「――……ユフィ」
少しだけもったいない。けれど自分の声でこちらを向いてほしい。
そっとかけた声に少し驚いたような反応がされ、美しく静かな空気が消えてしまった。残念に思うけれど、離れて左から声をかけた自分を見てユフィがどこかほっとしたような顔をするから嬉しさが胸の内を占めた。
ユフィはすぐに立ち上がってスカートの汚れを払うと、慌てたようにオルガに駆け寄った。
「ご用でしょうか?」
「ユフィと一緒にいたくて、探していた」
正直に言うと俯きがちの顔がどこか驚いたものになって、なんと言っていいのかと迷うように視線を動かす。
慣れないさまはその過去を表すようで少し悲しくて、けれど今のユフィの周りにそんなものはないから、優しく包み込んで癒していく。
「なにかしていたのか?」
「あ。えっと……竜神様にお礼をお伝えしていました」
「竜神様に……?」
思っていない言葉が返ってきてオルガはきょとんと瞬いた。俯きがちのユフィはその視線を先程まで座っていた場所にある花へ向ける。
「ダリオスさんが教えてくれた中にオリバンズ国での花についてのお話がありました。花は手折ってはいけないこと。望むときには竜神様にお伝えして、お許しが出れば自然と折れること。だから普段は造花を飾ることが多いこと。それで……わたしが陛下との謁見後に眠っていたとき、お部屋に花が飾られていたのを思い出したのです。あの花は造花ではなく本物だったので……竜神様のお許しをいただいてまで飾ってくださったなら、わたしも竜神様にお礼をお伝えしようと……」
その言葉にオルガは納得を覚えた。
竜神は自然の中に存在する。この地を巡って獣たちを見守っている。そう言われている。
その信仰はごく自然と生まれたときから身に沁みついている。人間に追われた獣たちに居場所をくれた竜神への感謝なのか、生物としての強者への本能的服従なのか。それは分からない。
獣人たちにとって当然に染みついたそれを今、ユフィが受け入れて実践している。それがたまらなく嬉しくて、愛おしい。
「そうだったのか。ユフィの感謝はきっと竜神様にも伝わっている」
「そうだと、嬉しいです……」
ユフィの部屋に飾った花。オルガが竜神へ祈り、許しを得て折れた花。
それはもう枯れてしまったけれど、ユフィはずっと憶えてくれていた。
「あ、あの、若旦那様」
「うん。どうした?」
「その……お聞きしてもよろしいですか?」
「もちろん」
俯きがちで両の手の指を絡める。勇気を振り絞ってくれていることを拒むわけがない。嬉しく思う以外にありはしない。
思わずユフィに尻尾をすり寄せてしまうとユフィは驚いたように、けれど優しく受け取ってくれた。無意識なのかよしよしと撫でてくれるのがたまらなく嬉しい。
「その……お庭を整えることも、やはり竜神様のお許しが必要なのですよね……?」
「ああ。だからケナムは毎朝、今日は庭のどの場所を手入れしたいか、どういう作業をするか、それが許しを得られるか、竜神様にお伺いしている」
「駄目だったら……?」
「その日の仕事は休みだな。許可を得られればその場所の草木が風とは違う揺れをする。だが注意もある。許可を望んだ場所以外は手を入れてはいけないし、望んだ作業以外をしてはいけない」
ふむふむとオルガの言葉をユフィは興味深そうに聞く。そんな様子は普段とは違うから、オルガもダリオスが笑っていた意味を理解した。
ユフィはいつも熱心に学んでいる。それが自分の生活のためでもある反面――「こうしろ」と言われたことに従っていたこれまでの生活の影響もあるのかもしれない。
だとしても、ユフィがこの地での生活を前向きに考えてくれているなら嬉しい。
「ケナムはああ見えて仕事を始めると俊敏だ。作業が次の日に回って竜神様に何度も同じ願いをしなくていいよう動いている。……たまに味見をしているが」
「あ。味見は……?」
「竜神様の許可を得て行った作業で落ちたり刈ったりしたものなら問題ない。獣人の中には野菜や植物を好む者もいるから、そういう者の食を竜神様は否定されない」
「竜神様は地にあるものを慈しみ守りながら、地を離れたものは皆さまの血肉としてくれているのですね」
「そう」
受け入れが早く、それでいてこの地の信仰に自分も倣う。
別の地で暮らすことになれば信仰というものは違うものになる。受け入れられなかったり慣れなかったり。
(信仰に縁がなかったせいか……)
ノーティル国とて、魔法を授けてくれるという精霊王という存在を信仰している。しかしそれは、魔法が使えないと思っていたユフィには縁がなかった。
魔法という縁遠かったものに対する信仰より、暮らしに直結している竜神信仰のほうがユフィには縁が感じられ、受け入れやすかったのかもしれない。
「ダリオスさんが……」
「ん?」
「ダリオスさんが……竜神様に許可を得ず地を掘ったり、花を手折ってしまったり木を切ったりしてしまうと……天罰がくだると……。本当なのですか…?」
どこか恐る恐るというようなユフィにオルガはきょとんと瞬いた。
竜神様の天罰。オリバンズ国の民ならば誰もが一度は聞いたことのある話。とくに子どもを叱るときには効果てきめんな決まり文句。
ユフィを見つめ、オルガは少し口角を上げた。
「――そう。あるんだ。天罰が」
「! あ、あるのですか…?」
「破ったある者は大して深くもない泉で溺れかけた。またある者は空から雷が落ちてすぐ傍で燃えた。またある者は……森の中で竜神様に追いかけられたそうだ」
「!」
ユフィの肩がびくりと跳ねる。触れていたオルガの尻尾を思わずきゅっと掴んでしまっていることにも気づいていない。
怖がらせてしまっただろうか。けれど普段とは少し違うユフィを見れることが嬉しいと思ってしまうから困ってしまう。
「――…ふっ。すまないユフィ。半分は嘘だ」
「! う、嘘なのですか……!?」
怖がっていたユフィが愕然とした顔で自分を見る。少し上がった顔と目線。
怖がらせてしまったのは悪いけれど、珍しいものが見えたことと自然と頭が上がったユフィに頬が緩んだ。
口許を押さえ少し笑ったオルガにユフィは驚きと困惑を向け、オルガは笑みを引っ込めつつも頬を緩めてユフィを見つめた。
「個人がしてしまったことに関しては、元に戻して竜神様に謝罪する必要がある。そうすれば竜神様も、足や手が痛くなったり肩が重くなるという天罰で大目に見てくれる」
「それでも天罰はあるのですね……」
「優しい天罰だ。……だが、これが回数を重ねるものになったり、領地領主という規模になると寛大な竜神様もお怒りになる。過去には大洪水や豪雨が発生したりで作物がだめになったり、日照りで飢饉寸前に陥ったこともある。こうなると国が竜神様の怒りを鎮めなければ状況は改善しない」
さすがに驚いたのかユフィが目を瞠っている。
自然による偶然の一致ではない。そういったことが起こったとき、必ず誰かが大規模な何かを行い竜神の怒りを買っている。不法伐採、植物を許可なく収穫し貿易で利益を得ていたり。面倒だという理由で竜神の許可を得ず蛮行を繰り返す。
オリバンズ国の誰もが知っている。――竜神の天罰は実在すると。
「だからユフィももしなにかしてしまったら、そのときはきちんと竜神様に謝罪するように」
「はい。わ、わたしの天罰で皆さまにご迷惑はおかけできません……!」
「竜神様もユフィの可愛さに免じてくれるかもしれないが」
ふっとオルガが笑って言うと、言われたことのないユフィはおろおろと視線を彷徨わせた。
そんな愛しい姿を見て、オルガは堪えきれずユフィに尻尾を絡ませた。
ユフィが少しあわあわとするのを見つめていると、ふわりと風が吹いた。
オルガの耳が動き、尻尾が無意識にぶわりと逆立つ。それを感じたユフィが困惑したようにオルガを見上げた。
「若旦那様……?」
「――ああ。珍しいな」
絡めた尻尾を解いて、庭に咲く花に近づく。そして――そこに落ちた一輪の花を手に取った。
オルガの後ろからユフィが顔を出し、その手にある青色の花を見つめる。
「風で折れてしまったのでしょうか……?」
「いや。形がそのままであることとさっきの感覚からしておそらく、竜神様からだ」
「竜神様が……」
風が吹いて本能が感じ取った感覚。畏怖のような、敬意のような、ふわりと胸の内に風が吹いて心が震える、そんな感覚。
四種聖獣の血がそう感じさせるのか、この直感だけは間違えない。
(感謝いたします。竜神様)
目を閉じ、胸の内で礼を告げる。
感謝を伝えたオルガはその花をユフィの髪に飾ることにした。突然オルガが手を伸ばしてきたことにユフィは一瞬体が強張ったが、すぐに解れるほどに優しい手つきで痛みは全くない。
「――できた。ユフィのお礼に竜神様が応えてくださったんだろう。とても似合っている。ユフィ」
「え…。あ、ありがとう…ございます……」
俯く姿勢が一層に深くなる。けれどその声音には痛みが感じられないから、オルガは優しく目を細めた。
恐る恐るというように花に触れ、ユフィははっとしたように公爵邸の広大な自然に向き直り、きゅっと両の手を握り合わせた。
(ありがとうございます。竜神様。とっても素敵な贈り物、嬉しいです)
そっと閉じていた目を開くと、すぐ右隣にいつの間にかオルガが立っていて同じように祈りを捧げていた。
胸に手をあて祈り捧げる姿を思わず見ていると、ゆっくりと瞼を開いたオルガの金色の瞳がユフィを見て優しく細められる。
「勉強が始まるまでもう少し庭を歩こう」
「……ですが、若旦那様もお忙しいのでは…?」
「休日はユフィと過ごす時間にすると決めているから大丈夫。ユフィも仕事にひと段落はついたんだろう?」
「はい」
「では行こう」
そっとオルガが差し出す手。どうしようと迷ってオルガを見て、そこにある優しい目を見て、ユフィはそっと手を伸ばす。
歩き出す二人を柔らかな風が後押しした。




