47,これからも
戸惑いを消して背筋を伸ばし、シーランはオルガの後に続く。
ユフィの待遇についてオリバンズ国は隠していた。シーランがユフィの傍に仕えることになれば必然、その秘密を知ることになる。
ノーティル国においてのシーランの仕事ぶりとユフィとの関係性からそれを漏らすことはないだろうと踏んで、オルガはアルヴェスターにシーランを雇う旨を告げた。公爵邸での使用人となるのでアルヴェスターの関与はないが、ユフィに関することとしてオルガは念のため報告のつもりで行った。
『シーランを? あー……まあ、いいんじゃない? ユフィ殿への献身に嘘はないと思うし、指導がいるからだろ?』
『はい。少しなりと使えるようですので』
ノーティル国にユフィの味方はいないと思っていた。だから諦めていた。
が、思いもよらないものに会えた。この僥倖は逃さない。
オルガはシーランを連れて仕事部屋に入った。騎士としての仕事で使ったり次期公爵としての仕事や学びに使う私室の一つは、壁一面が書棚になっている。梯子を使うような高さにまで本が並び、部屋の中央には対面式のソファとテーブルが置かれている。
そのソファにシーランを座らせ、オルガは執務机の引き出しから数枚の紙を取り出してからシーランの正面に座った。
「おまえをこの屋敷で雇う。その前に試験はさせてもらうが、貴族の屋敷で仕事をしてきたおまえなら問題はないだろう。ユフィに聞いたところ、オリバンズ国とノーティル国ではやり方に違いはあれど根本は変わらないはずだ」
「……分かりました」
「給金や休暇、雇用上の条件はこちらに記してある。疑問があれば言ってくれ」
そう言ってオルガはシーランに紙を渡そうと……して、気づいた。
「……こちらの文字は読めないな?」
「……はい。申し訳ございません」
「問題ない。ユフィも勉強中だ。なんなら彼女と学びついでに読めばいい」
そう言って渡しておく。見慣れない文字にシーランが視線を向けるのを見てオルガは「軽く説明はしておく」と、紙に記されている雇用条件諸々を口頭で説明し始めた。シーランもそれを聞きながら頷き、時に驚いた顔をし、疑問はきちんと問う。
そんな姿勢を雇用する側として好意的に受け取り、オルガは一通りの説明を終えた。
突然の雇用に驚きつつも、条件はかなりいいものだ。これからここで働くのならば自分でもこれを読めるようになっておこうと思いつつも、シーランはそっとオルガを見る。
その瞳に宿る戸惑い、困惑。分かっているオルガはすぐにその耳をぴくりと動かした。
急いで来たのだろうか。コンコンッとノックされる小さな音はその人を表すようで自然と頬が緩む。「どうぞ」と入室許可を与えればゆっくりと扉を開けて顔を出す。
「遅れて申し訳ありません」
「ちょうどだ」
シンプルな服装に着替え直したユフィを隣へ座らせる。尻尾がうずうずとしてしまうのを堪えても、ユフィが座ってすぐに絡みつこうとするから、そんな自分に笑ってしまった。
ユフィも来たことだ。オルガは改めてシーランへ視線を向けた。
「シーラン。おまえの疑問に答える。問いはあるか?」
「……では、僭越ながら。お嬢様は王宮で、王太子殿下の婚約者になる予定でお過ごしになられている、のではないのですか? あなたはお嬢様の護衛騎士、ですよね?」
「そう思っているだろうな、おまえも、ノーティル国も」
軽い笑みを含めて言われた言葉にシーランはすっと背筋を伸ばした。
思っていた。オルガやアルヴェスターの振る舞いを見て。
けれどそれが間違いであったら。――そう、思わされていたら?
自然と心臓が高鳴り、緊張を感じる。
ユフィは安泰の生活を送っていると思っていたが、それが間違いである可能性もあるかもしれない。
そう思うと緊張し、部屋の空気が僅か張りつめる。息を潜めて答えを待つ。
「ユフィは、俺の妻だ」
「……妻?」
「そうだ。この国へ来たそのときからずっと。ここはウルフェンハード公爵邸。ユフィの生活の場はここで、王宮ではない」
シーランが目を瞬くのをユフィも申し訳なく見つめていた。
帰りの道中も護衛騎士たちは丁寧にユフィを護衛対象として接していた。他の侍従、エラゼも同じ。これは彼らの仕事と立場上当然のものでもあった。一切態度を変えないのはアルヴェスターであったがもともとユフィより遥か上の立場の者。変えてもよかったオルガはその態度を変えなかった。
だから、気づいていないのも当然のこと。
「お、お嬢様、その……」
「驚かせてごめんなさい。その……オリバンズ国へ来たときにはすでに決まっていて。だからずっとここでお世話になっているんです。オルガ様や皆さんにはとてもよくしていただいていて……」
「ユフィ。もうそんなに遠慮しなくていい。言っただろう。君はなにがあろうと俺の妻だと」
「は、はい……!」
はっとするユフィと優し気な眼差しでユフィを見つめるオルガ。そんな目はノーティル国でも一切見たことはないほど甘やかで、嘘だと思えないのはユフィが素直に受け取っているから。
倒れそうになる衝撃的な言葉。なのに、真実なのだと受け入れられてしまうのは驚きを通り越してしまったからだろうか。
軽く額に手をあてながらシーランは息を吐いた。
「分かりました……。国の決定とあれば致し方ないことです。それに……お嬢様もよく思っていらっしゃるご様子。お嬢様をお願いします。万が一にもお嬢様に何かあれば、わたしは迷わずお嬢様をお助けします」
「いいだろう。だがないと安心しろ。俺はユフィを愛している」
笑みで応じるオルガの言葉にユフィのほうが驚きをみせる。
その言葉をどう受け取っていいのか分からなくて、迷って。そんなユフィを見てオルガも微笑んでユフィに触れる。まだ触れられることに慣れなくてびくりとしてしまうけれど、恥ずかしそうでも避けようとはしないユフィにシーランも安堵を抱いた。
(よかった。お嬢様が幸せそうで)
オリバンズ国での生活が、オルガが、ユフィを変えてくれたのならば嬉しくて、感謝を抱く。
「それからもう一つ頼みたいことがある」
「はい」
「メイドとして働くことが決まったら、追加でユフィへの魔法訓練をつけてほしい」
その言葉でシーランは我に返った。
オリバンズ国がユフィの立場を隠していたのは理解しても、魔法に関してはどこまで分かっているのか。いや、魔法の訓練などという言葉が出てくるならやはり知らないのだろう。
微かに拳をつくり、シーランは意を決して伝えることにした。
「恐れながら若旦那様。お嬢様は――」
「ユフィは魔法が使える。すでにそれを証明している」
「……は」
どういうことか。訳が分からずシーランはユフィを見るが、ユフィも困っているように眉を下げた。
普段の俯き加減よりも顔が少し上がっているのは親しい相手だからだろうか。ユフィを見ながら、オルガは驚いて固まっているシーランに続けた。
「以前、王城で起こった火事を鎮火させたことがある。他にもこの屋敷で水を生み出し……部下から聞いた話だが、ノーティル国では自身の危機に風を吹かせたという報告も上がっている」
「え……」
「ユフィ。やはり気づいていなかったな。例の男と対したとき、なぜが強い風が吹かなかったか?」
「そういえば……」
「それは君が起こした魔法だ。俺の部下は何度か魔法を見ているから分かったようだ」
ユフィ自身の驚きにオルガが肩を竦める。
無自覚で使ってしまったのだろう。それがバレなかったのは幸いだが、例の男が勘づいて口を割ればノーティル国側にも疑念を抱かせる危険がある。だからこそ、やはりちゃんと制御できるようにさせなければと思い、アルヴェスターにも許可をもらった上でシーランに声をかけたのだ。
「ノーティル国もヒーシュタイン侯爵家も、ユフィは魔法を使えない、魔力がない、そう思っていただけだ。ユフィ自身もそう思い込んでいたんだろう。ここにきてその殻を打ち破ることができたらしい」
「そ、れは……」
さすがに衝撃が強いのだろう。シーランは言葉なく呆然とするしかない。しかし、少しずつ呑み込めて、どこかほっとしたような息を吐いた。
そんな様子をどこか申し訳なさそうに見つめ、シーランはそんなユフィを見てゆっくりと首を横に振った。
「よかったです。お嬢様。……気がかりでした。オリバンズ国はお嬢様が魔法を使えないことを知らないのではないか、知ってしまってはどうなるか」
「心配させてごめんなさい」
「いいえ。杞憂となって、本当に安堵しています」
「例えユフィが魔法を使えなかったとしても俺の妻になったことに変わりはなく、陛下も手厚く迎えていた。魔法が使えるかどうかを重視していると思っていたのはノーティル国だけだ」
「思わされていた、というわけですね」
理解できたシーランも肩を竦める。言えなかったことが言えたユフィもほっと力が抜け、部屋全体の空気もどこか軽くなった。
すぐに背筋を伸ばして、シーランはオルガとユフィを見つめる。
「改めまして。私シーラン、誠心誠意お仕えさせていただきます」
「よろしく頼む」
「シーラン。わたしも頑張ります。これからもよろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げるユフィにシーランは慌てたように腰を上げてユフィを止めた。
「おじょう……いえ。若奥様。いちメイドでしかない私にそのような礼は不要ですよ」
「あっ、えっと……すみません」
「ユフィはこれから仕えられる側だから、少し慣れていこう」
「は、はいっ……!」
自分も頑張らねば、と背筋を伸ばすユフィを見てシーランは頬を緩め、オルガも愛おし気にユフィを見つめた。
♦*♦*
ノーティル国との式典と会談が終了してしばらく。オリバンズ国には夏の風が吹き始める。
若奥様として慣れないユフィは、少しずつ国のことやウルフェンハード公爵家のことを学ぶ。同時にこれまでどおり屋敷の仕事をすることもあって、メイドたちとの仲も良好に進んでいる。
とはいえ、ユフィは次期公爵夫人。いずれはそういった雑用はさせられなくなるので、オルガは少しずつ勉強面の時間を増やすようにダリオスに指示を出している。
そして、新たな一員として入ることになったシーランは無事に試験を合格、今は屋敷のメイドとして仕事に励んでいる。
当初ユフィの周りには人間種のメイドを置いていたオルガだが、今はそれにこだわらず獣人もつけている。その中からユフィの侍女を選ぶことになるのだが、まだユフィに選ばせるのは早いかとその話はしない。
毎日を忙しく過ごすユフィは、新しいことも始めた。
「……これだけのものができるというのは素直に驚愕だな」
仕事からの帰宅。屋敷へ戻ったオルガが見たのは、庭に生えた数本の氷柱。
朝にはなかったこれは当然、使用人たちが置いたものではない。
「も、申し訳ございませんっ……!」
「訓練だろう。無理はしていないか?」
「はいっ」
シーランを教師にしたユフィの魔法訓練。
心配だったので初回はオルガの休日に行わせて立ち会った。
ユフィがどれほどの魔力を持っているのか。どれほどのことができるのか。分からないシーランもユフィが魔法を使ったという感覚を思い出させることと、魔力の流れについて教えたのだが、制御できないユフィが作ったのは感覚の慣れがあったのだろう、氷柱だった。
『こっ、こんな大きさと水魔法の応用である氷を瞬時に作り出すなんてごく一部の魔法使いしかできませんよ!?』
シーランが目を剥いていたのでユフィも戸惑っていた。今回は倒れなくてよかったとオルガは一人安堵していたが、すぐにふらついてしまったので初回授業は即終了させた。オルガにそう決定されてユフィは己の不甲斐なさに落ち込んだが、シーランも「一気に魔力を消費するのはよくないですからすぐに休んでください」とオルガに劣らない休息の勧めであった。
それからも少しずつユフィは訓練を続けている。
シーランもユフィの隠れた才能に驚きつつも、魔力というものと魔法の使い方をきちんと教えてくれている。他の誰かにはできないことなのでシーランに一任しつつも、休日にはオルガもシーランから魔法について教わる。
魔法について知っていれば、ユフィが困ったときになにか助けになれるかもしれないし、オルティス王にも報告ができる。一石二鳥なのでオルガもまた熱心に魔法を学んでいる。
とはいえ、それも時間のかかるもの。
オルガの帰宅時には庭に氷柱ができているか、水が撒かれて植物が生き生きとしているか、突風が吹いて木の枝が折れていたり……いろいろと起こっている。
木の枝を折ってしまったときにはユフィは青ざめた。あわあわとしながらもすぐに折ってしまった枝を木の根元に置いて竜神様に謝罪。
見守っていたメイドたちも慌てて同じように竜神様へ謝罪し、竜神信仰に馴染みないシーランはエラゼから詳細を聞き、同じように謝罪した。
『オリバンズ国にはこういう信仰があるのですね。私も学ばなければいけません』
『シーランは文字も勉強しているのですよね? その……一緒に勉強、しませんか?』
それから、ユフィとシーランは互いの休憩時間などに顔を突き合わせて勉強しているらしい。ダリオスとエラゼからそれを聞いたオルガも、シーランの態度には安心を覚えた。
幸い、初犯ということで、竜神様がユフィに与えた天罰は物が掴みづらくなるような軽い手の痛みで済んだ。
この天罰をユフィは「わが身の至らなさですので」と受け止めていたが、オルガは「食事がしづらいだろう。こっちへおいで」とユフィを膝に乗せてせっせと食事を口に運ぶ初期スタイルに切り替えてしまい、「こっちが天罰?」「これ幸いと利用してません?」「天罰の上に天罰下りますよ」と見守る使用人たちは苦笑いを浮かべていたりもした。
そうして訓練を続ける日々。
今日も帰宅してみれば庭に氷柱という光景。身を小さくさせて謝罪するユフィを見つめてオルガはそっとその手を取った。
「結果というものは、何十何百とくりかえした練習の上に出来上がる。焦らなくていいし、謝らなくていい」
「はい……。もうしわ――」
そっと、オルガの指がユフィの唇を止める。それを受けて口を閉ざしたユフィを満足そうに見つめ、オルガは優しくユフィの手を引いた。
「今日は終わりにしよう。身体を休めることも大切だ」
「は、はいっ……!」
手を引かれユフィも歩き出す。
隣を歩くオルガを見て、視線が合って、思わず逸らした。
(頑張ろう。もっと、たくさん。オルガ様のお役に立てるように。オルガ様の隣にいられるように)
オルガはとても優しいから。その優しさはとても嬉しいけれど、甘えないようにしないと。
そう決意してユフィは前を向いた。
お読みくださり、ありがとうございます。
「俯き令嬢は獣の騎士様から逃れられない」は番外編を三話ほど載せて、これにて一旦本編完結となります。
ここまでお付き合いありがとうございました!




