40,魔法とは
ノーティル国側から堂々と歩み出てきた一組の男女がいた。その行動にノーティル国側は驚きをみせたり眉根を寄せたりとしているが、誰も表立って止めはしない。
オリバンズ国側の眼光にも臆することはなく出てきたその人物は、睨み合う王子同士とノーティル国側の間に立つと――迷いなくオリビアと同じように水魔法を行使した。
その圧倒的水量と勢いを誇る水蛇は、勢いよく火蛇へ衝突し蒸発する。しかし水蛇は次から次にと生まれ、オリビアもその援助に肩の力を抜いた。
が、がばりと視線を向けて眉を吊り上げる者もいる。
「なにをしてる! ラフレット公爵!」
「殿下こそなにをなさっておられます。あなた様の魔法ならばこの火事を鎮圧するのも容易いはず」
「はっ! なぜこの俺が敵国の人間を助けるために魔法を使わねば――」
「いい加減になされよ!」
空気を震わすほどの声に、オリバンズ国の面々が思わず耳を塞いだ。同時に尻尾の毛が逆立ってしまったほどの衝撃だ。
怒鳴られたクロ―リルもまた怯み、及び腰になりながらもラフレット公爵と隣で同じように魔法を行使する公爵夫人を睨んだ。
「貴様王族である俺に向かってっ……! 無礼者!」
「ではクロ―リル殿下。今、なんのためにこの場にいらしておられる」
「オリビアが勝手に抜け出すから連れ出しに来ただけだ」
「ならば早々に立ち去られるがよかろう。御身は王族。このような危険な場所におられるべきでもありますまい。オリビア殿は命を助けるためにこうして魔法を使われている。魔法とは本来、そういうものではありませんか」
アルヴェスターはじっとラフレット公爵を見つめた。
その姿は会談の場でも見ていた。オスリルの隣に座り、オスリルと同じように非常に建設的な話ができたノーティル国内でも少ない人物の一人。堂々と王族にも物怖じしないその矜持に無意識に口端が上がる。
「敵国とおっしゃられましたが、敵などどこにもおりません。それがこの地に集まった意味のはず」
「所詮は綺麗事。夢物語だ」
「――……クロ―リル殿下は、停戦協定の意味をご理解しておられないのか?」
鼻で笑ったクロ―リルのもとへ悠然と歩み寄るのは、獣の国の次期王。
愛想の笑みを浮かべながらゆっくり歩くその姿は、それまでに見ていたどこか頼りのないような、獣に守られた人間という弱さを脱ぎ捨てたような、どこか冷ややかで寒気さえ感じるもの。
その足が止まったとき、炎があることさえ忘れて一同は緊張を覚えた。
不仲の国同士。その国の王子たちがばらばらの状態で睨み合う。
――開戦。停戦。協力。敵対。浮かんで消えるそれぞれの目まぐるしい思考。
「理解している。今後は戦をなるべくしないための――……」
「絶対にしない、が当然だと思うがな。――二度は言わない。差し出された一人の命は決して軽くはない。よく覚えておけ」
その凄味と他者を圧倒する威圧と存在感。冷え切った声音にクロ―リルは唾を飲み、オスリルも目を瞠った。
炎の音と蒸発音。耳に入る音はやけに大きく感じられ、アルヴェスターはさっと空気を消すと燃える建物を見た。
「にしても、オスリル殿。ノーティル国は変わっているんだな」
「と、おっしゃると?」
「我が国では、炎は風に煽られなびきこそすれ、それを無視して蛇のような動きをするなど見たことがない。いやー、実に面白くておかしい」
アルヴェスターがにやりと口角を上げると、ノーティル国の貴族が顔を見合わせ視線を逸らす。それを見つつオスリルはため息を吐いた。
中に取り残された人物のこともあるが、これだから誰も関わりたくなどないのだ。
「でしょう。俺もあまり見ません。――なにせ俺は、魔法が使えませんので」
「なるほど。あっはは。わっかりやすいとなぜ分からん」
ちょっと素が出てしまったアルヴェスターは別にそれを気にすることなく、燃え盛る建物を見つめる。
焦りも怒りもなくただ待っているという姿勢に、オスリルは感じ続けている疑問をかけた。
「……なぜ、それほど冷静でいられるのです? ユフィ殿も騎士もかなり危険な状況ですし、万が一にも……」
「やれないことをやれると言う見栄っ張りでも阿呆でもありません」
それが、火事に飛び込むということだとしても。まるで難しい仕事を頼んでいる程度というような平然としたアルヴェスターに、オスリルは僅か眉根を寄せた。
水の流れが勢いを増し、炎を覆い尽くさんばかりに煌めく。そしてそれが操る者たちの指示ひとつで動きを変える。
水の勢いが炎を上回り炎が押されて後退したとき、ガディオスの耳が動いた。
「殿下! 来ました!」
獣人たちが同じように空を見上げる。
――そして、漆黒の空を飛ぶリークヴェルとユフィを見つけた。
集まった貴族たちに驚き恐れつつ、ユフィはリークヴェルによって地上へと下ろされる。ふわりと丁寧に、衝撃を与えないよう気遣われて地面に着くと、リークヴェルがそっとユフィを下ろした。しかし、疲れ切ったユフィの足元がふらついてすぐに地面に座り込む。
手を支えていたものの「おっ」と驚き、リークヴェルも手を引かないよう片膝をついた。
「ユフィ様!」
「ユフィ様ご無事ですか!?」
居てもたってもいられず令嬢たちやケミティがユフィに駆け寄る。――しかし彼女らがユフィに駆け寄るより先に、別の鴉の獣人によって地上へ下ろされたオルガがユフィの傍に駆け寄って、彼女たちの動きを止めた。
「すまないが、少しお待ちいただきたい」
「オルガ様。ユフィ様は……」
「大丈夫だ。ただかなり疲弊しているので休ませたい」
護衛らしくそう言いつつ、オルガはアルヴェスターを見た。ここを去るにもどうしてもアルヴェスターの許しがいる。
オルガのその視線を受けつつ、アルヴェスターはユフィを見た。
上着を被り込んで、その上着をしっかり掴んで顔を見せないユフィ。おぼつかない礼儀で必死に対処する彼女なら今の状況で謝罪が出るだろうと思えるが、その様子もない。上着を握った手は震え、放したくないというように強く強く握りしめている。それに加えてドレスが所々煤けているのを見て、アルヴェスターは気づいた。
ちらりとその視線をケミティたちに向け、自身の顔の左、耳元から肩にかけて指を動かす。――それを見たケミティもまた気づいた。
「分かった。――ユフィ殿。疲れただろ。もう休んでくれ」
「も、申し訳……ありません…。わたし、ご迷惑を……」
「はっはっはっ。ユフィ殿がしてくれたことに迷惑はないから。安心してくれ」
からりと笑ってオルガに目配せをする。するとすぐにオルガはユフィを抱きかかえ、鎮火寸前の建物を後にする。その後ろをエラゼとシーランが急いで追いかけた。
上着を握りしめたユフィは最後までそれをとることはなく、皆の顔を見ることもできず、傍のぬくもりに安堵し、極度の緊張と恐怖から解放され、意識を失った。
♦*♦*
かつかつとその足でユフィの部屋まで戻ったオルガはそのまま寝室に入室した。
ユフィの着替えを準備するエラゼとシーランを見遣り、上着を被り込んだまま眠ってしまったユフィを見つめてそっとベッドに寝かせる。まだ上着はとらずエラゼとシーランの視界から隠すように持ち直して、二人を見て告げる。
「エラゼ、シーラン。一度下がってくれ。それから、肌を冷やせるものの用意を」
「……」
「承知いたしました。隣室にてお待ちしております」
少し不安げな表情をしたシーランとは違い、エラゼはオルガの指示にすぐさま従う。シーランに目配せをし、促されたシーランも渋々部屋を出た。
ぱたんと扉が閉められる。途端に部屋には夜の静けさが戻ってくる。さきほどの火事などまるで嘘のような落ち着いた静かな時間。
ゆっくりと身を委ねていたい時間であるが、オルガは上着をベッドに置くと鏡台へ向かい、置かれた箱を開けた。
その中に入っているのは、すべて自分が贈った包帯。見ればまるでリボンであるそれは、リボンとは全く生地が違う。
ユフィを飾るものであるので包帯でもありリボンでもあるのだが、贈りたくて贈っているそれは毎回ユフィが遠慮してしまい、拒むユフィと贈りたい自分で何度も問答を繰り返すのが常。使用人たちも微笑ましく笑っているのをオルガは知っている。
『若奥様は、それをつけることで若旦那様の隣に立てるようになる、ちょっとはよく見える物だと思っていらっしゃるのですよ!』
『ふふっ。ドレスや装飾品を贈るのと同じなんだけどねえ』
自分がただ美しいと飾られることなどなかったユフィだ。包帯のせいで、心ない言葉の傷で、自分の見目に自信がないのも無理はない。
贈った包帯には全てそんな意図はない。ただユフィに似合う、ユフィの支えになれればと思うもの。……披露目のユフィがとても清楚で可憐だったから、少し調子に乗ったかもしれないと思わないことはないけれど。
――けれど今、綺麗に並べて収められた包帯の上に載った小さな紙切れに目が向いて、オルガはそれを手に取るとポケットにしまった。
そして改めて並べられた包帯を見て、その中の青色の地に金色の縁飾りの包帯を取る。……が、それを戻して、いつもユフィがしている白地の包帯を手に取り直した。
日常的に使ってほしいのは本音だが、普段使わないものに変えてしまってはユフィも驚くだろう。
ベッドに戻ったオルガは、そっと起こさぬようユフィを抱き起こし胸に凭れさせた。
小さくて弱い存在。けれどときに驚くほどの覚悟をみせる。
(もっと自分を大切に、自分を守るための覚悟をもってくれ)
そっと旋毛に唇を落とし、オルガは消えない傷痕に包帯を巻きはじめた。
それが終わればユフィを横に寝かせ、隣室へ戻ってエラゼとシーランを呼ぶ。
「ユフィ殿の着替えと熱にあてられたところを冷ましてくれ。俺は殿下のもとへ行くが、扉向こうには部下がいる。何かあればすぐに彼らに」
「承知いたしました」
すすっとエラゼが寝室へ向かうのに続いてシーランが向かう。その背を見てオルガはシーランを呼び止めた。ユフィのもとへ急ぎたいシーランは、けれど、足を止めて体ごとオルガへ向き直る。
「なんでしょう」
「ユフィ殿の顔の傷。見たことはあるのか?」
「……はい」
少し眉を寄せた表情と重々しい答えが返ってきた。
元はヒーシュタイン侯爵家に仕えていたことでユフィのことも知っているシ-ラン。再会したときから薄々感じていたが、やはりそのとおりなのだろう。
シーランの目はどこか警戒するようにオルガを見る。その理由が分かるからこそ、オルガもまっすぐ見返した。
「では、彼女の包帯を換えたのはあなただということにしておいてくれ」
「は……。それは…」
「俺では彼女が俯いて謝罪する。そうさせたくはないだろう?」
「もちろんです。……分かりました。そういうことにしておきます。ですが……おひとつお願いしてもよろしいですか?」
ユフィを想い躊躇いに揺れる目をオルガは見つめた。
シーランが何を言うか予想はできている。シーランはユフィの傷のことも、彼女がヒーシュタイン侯爵家でどういう扱いを受けていたかも、すべて知っているのだろう。
だからオルガは「ああ」と了承した。それを受けたシーランは意を決したように背筋を伸ばし、オルガを見つめた。
「あなた様はお嬢様の護衛ということで、王宮でもきっとそのお役目に務めていらっしゃるのでしょう。――ですから今後、お嬢様に、さきほど御覧になったでしょうものを重ねて見ないでください」
――それはきっと、あなたの表情に出てしまうから。それはお嬢様を傷つけるから。
立場上言えない言葉まで耳が拾った気がした。
(重ねるな、か……。難しいな。――だが抑えなければ)
たとえ、憐みよりも遥かに怒りが湧き起こるとしても。自分とユフィのために。
だからオルガはシーランをまっすぐ見つめて頷いた。
「あなたも気をつけることだ。――ユフィ殿は、存外に強い」
「?」
「俺も聞きたいことがあるんだが、あなたは魔法を使えるのか?」
「……はい。ですが私は魔力が弱いので、さきほどのオリビア様ほどのことはできません」
少しだけ消えそうな音で紡ぐシーランを見つめ、オルガは「そうか」とだけ言うと身を翻した。




