35,始まるとき
♦*♦*
ユフィと楽しいお茶会を終えた後、アルヴェスターは部屋に戻って式典のために着替えを行う。今頃はユフィもいそいそと身支度を整えているだろう。
「あー……面倒くさい」
癖の言葉が出てしまう。そんな殿下には支度をする侍従たちも苦笑いを浮かべつつも頷いていた。頷かないのは控えるオルガくらいなもの。動かない淡々とした表情が少し恨めしい。
「怒るなよ。ヒーシュタイン侯爵家側の動きはおまえも想定済みだろう」
「はい」
「さすがに夜会でまでは言ってこない。ユフィ殿が一人であるか否かはあちらにとっても重要だ」
夜会ではアルヴェスターが傍にいることになっている。当然そうなれば獣人騎士の護衛もそれぞれの傍に控える。夜会という関係上ぞろぞろと護衛はつけられないが、王族となると一人や二人はついていて当然のこと。
だからこそアルヴェスターは、個人的に大切な人であるユフィにも護衛騎士としてオルガをつける、そうみせるつもりでいる。
「式典ではさほど貴族と密着はしない。夜会では俺がいるし、茶会のあとでわざわざおまえが傍にいるユフィ殿になにかを言うこともないだろう。茶会でのあれはおまえの力だとは知らなくても感じるものくらいあるだろうし、ないなら鈍感だなって思うから。鈍すぎるようならそうだな……喉笛かみちぎる凶暴性が――」
「よろしいのですか?」
「やめろよ!? するなよ!?」
けろっとした表情のオルガに冗談が通じない。がばりと振り返って念押しするアルヴェスターに侍従も護衛も苦笑いが浮かんだ。
ユフィの大切なパートナー。今回その立場をアルヴェスターに譲っているとはいえ、オルガはすでに忍耐力に限界を覚えている様子。獣種の一途性を知る獣人たちはその想いの強さを改めて認識させられた。
半信半疑な半眼をオルガに向けつつ、アルヴェスターは肩を竦める。
「獣の一途が怖い。鷹種より怖い」
「殿下こそ怒ってもらわなければ。現在の殿下はユフィ殿とそういう間柄です」
「おまえの圧が怖い。そして圧とは別の私情が刺さる」
「お戯れを」
軽いように見えるのに片方が重い。
口など出せない護衛騎士たちも侍従もアルヴェスターからの「こいつどうにかならない? してくれない?」と訴えてくる視線と合わないようにささっと避難。
周りさえ恨めし気に睨むアルヴェスターに息をひとつ吐いて切り替えたオルガは「それで」と話題を変えた。
「会談のほうは?」
「おまえも睨んでるだろうとおり。あちらの第一王子はこの協定がどうなろうと構わないって感じだな。第二王子はまだ分からないけど、第一王子よりは話が通じる」
「そうですか……」
支度を終えてソファに座るアルヴェスターは、その視線をまっすぐオルガに向けた。
式典用の服装に身を包んでもやはりどこか気だるげな貴族子息という印象を抱かせる。眩しいような光がないことがアルヴェスターのいいところでもあると、仕える者たちは緊張をほぐして語る。
「第一王子は相当な魔力を持っていて名のある使い手だけど、第二王子は逆に魔力なし、だっけ。兄弟というものがあれほど違うのかと驚いた」
「王子同士は母違いだとか」
「そうそう。第一王子は側妃の子で、第二王子は正妃の子。順位は逆じゃない? って俺らは思うけど、純粋な生まれ順と魔力の差ってやつらしい」
だからこそ茶会でのユフィの孤独が思い出され、オルガは眉根を寄せた。そんなオルガを認めつつ、アルヴェスターは「それで」とまた話題を変える。
「どうだった。茶会に例の人物は?」
「いえ。あの場にはいませんでした。……嗅覚で追うのは難しいでしょう。我々の鼻は範囲には弱いですし、ノーティル国の婦人や令嬢はまとっている匂いがきついので」
「あー、香水。こっちはそういうのあるから」
この鼻が微かでも捉えれば追いかけて拘束するつもりだった。しかし、あの場に匂いはなかった。
いくら獣の特性を持つ獣人といえど半分は人間だ。獣と同じことができるわけではない。
匂いだけで人を探すのは難しい。できるならそれは、よほどに強い匂いをまとっている者がその匂いを漂わせている場合であり、微かな匂いだけで相手の居場所を突き止められるわけではない。
獣人にあるのは、人間以上の身体能力と人間より少し優れた感覚器官。
(人としての感覚を消してしまえば、それも不可能ではないんだが……)
ここはノーティル国。互いに情報を与えない国同士だからこそ動きには注意を払う。
思案するオルガの傍でアルヴェスターはいつもと変わらぬ調子のまま。
「ま、来ないならそれが一番。あんまり突っ込まなくていいから」
「承知しました」
「んじゃ、そろそろ対外的な式典に行きますか」
立ち上がるアルヴェスターにオルガも続いた。
午後の式典は、両国の貴族の前で停戦協定を改めて発表し、両国のこれからの親交を願うものである。
停戦協定により国同士が交わす詳細な内容や条件は公にはされない。貴族たちにも回っている情報の中、推測ではないと証明されている一つがユフィの存在である。
会場となる広間の中、ユフィはアルヴェスターの後ろを歩いて進む。アルヴェスターより少し離れた隣を、ノーティル国側の代表であろう第二王子が歩いている。
ユフィはアルヴェスターの後ろを歩き、少し下がってオルガが歩いている。ノーティル国側の第二王子の後ろには同じような歳頃の青年がいる。その後ろには護衛騎士だろう者もいる。
両者は広間の奥へ悠々と歩み進めると、集まった貴族たちへ向けて停戦協定を発表した。
「争いの矛を収め、今後は、ノーティル国とオリバンズ国、よき隣人として在ることを一同忘れぬように」
「両国のますますの繁栄を互いに願っている」
ノーティル国の第二王子とアルヴェスターが最後の言葉で締め、貴族たちから拍手が贈られた。
そんな様子を、オルガは控えながら見遣る。
オリバンズ国の貴族は堂々とアルヴェスターの言葉に頷くように。ノーティル国の貴族にも同じような者もいれば、顔に少しの不快を滲ませる者もいる。
(ノーティル国内でも割れているな)
オリバンズ国は獣人が生まれたその経緯からか、それとも竜神信仰の強さからか、さして内部分裂が起こった歴史がない。貴族による不正や汚職、反逆がなく、そういった点は人間種の国とは異なることをオルガは知っている。
ノーティル国内での動きが今後を左右する。それが目に見えてオルガは視線を鋭く、さりげなく戦況を確認していった。
♦*♦*
午後の式典が終わり、ユフィは夜会へ向けての準備に追われる。
式典用の服を脱ぎ、湯浴みに運ばれ、ドレスや装身具を選んでまた身支度を整える。
「お嬢様。お荷物に見当たりませんが、香油や香水はどうなされますか?」
身支度を手伝ってくれるシーランの言葉に、ユフィはエラゼと一緒になんとか選び終えたドレスから視線を上げた。
シーランが持ってきた荷物を確認してくれているが、あいにくとそれは持っていないのでユフィも迷うことはなかった。
「そういう物は持っていないんです」
「では、こちらでご用意しましょうか? 夜会ですし、お嬢様は殿下のお隣にお並びになるのですから」
「いえ。そういったものはつけないんです」
ユフィが改めてはっきりと告げた否定にシーランは首を傾げた。
ノーティル国の夜会において香水をつけるのは珍しいことではない。つけて当然ともいえるもので、男性でもそれは同じ。
ユフィがそういったものを身近に感じていないのか、それとも知らないのか。シーランは教えたほうがいいだろうかと一瞬迷ったが、ユフィのほうが早かった。
「オリバンズ国では、匂いのあるものはつけないマナーなんです。獣人の皆さまは嗅覚が優れていらっしゃるので、わたしたちではどうもないと感じても、それを強いと感じられることもあるので」
「そうなのですね……」
初めて知ったことにシーランも僅かに驚きを見せる。ユフィの傍ではエラゼが微笑んで頷いていた。
ユフィがオリバンズ国の社交マナーを知り、それを尊重していることに優しさと少しの切なさを感じながらもシーランは「分かりました」と頷いた。
「では、ユフィ様。私たちは一度下がります」
「はい。ありがとうございます」
心得ているようにエラゼがシーランを連れて寝室を出る。
静かな寝室でユフィは用意したドレスを見て瞼を震わせ、けれど頭を振って、鏡台の前に座る。そして、置いてある箱の蓋を開けた。
身支度を終えれば後は夜会の時間を待つのみ。
ユフィはアルヴェスターとともに会場に入ることになっている。式典の最初から最後までエスコートしてくれるのはアルヴェスターだ。オルガも変わらず傍で護衛してくれることになっている。
オルガがエスコートしてくれた披露目の夜会から始まったユフィにとっての社交界。それに慣れるにはまだまだ時間が必要だ。
自分の心臓の音が聞こえそうな耳にばかり意識が向いて、ユフィは視線を下げた。その手をぎゅっと握りしめる。
「緊張しておられますか?」
身を小さくさせるように固まっているユフィを見て、オルガがそっと声をかけた。
いつものように。ユフィを驚かせないようそっとかけられた声だったが、ユフィの肩が跳ねる。
「は、はいっ」
「驚かせるつもりはなかったのですが……。緊張されてますね。大丈夫です。我々がお傍におります」
そう言って安心させようとしてくれる姿勢はいつもと変わらない。優しい金色の目はユフィを見つめてくれる。
ずっとずっとオルガはそうしてくれる。いつだってそう言ってくれる。その優しさには戸惑ってばかりだけれど、それでも少しだけ受け取れるようになったかなと思う。
けれど、今だけは違った。喉の奥が乾いて仕方がない。
「あ、あの……」
「はい」
乾いて、それでもなんとか声を振り絞る。掠れた声が出ないように意識して、口を開く。
――その優しい目を見て心が痛んだ気がした。
「す、少し、外の空気を吸ってきても、よろしいですか……?」
問うと、オルガは少しだけ考える顔をする。それを見てユフィはさらに緊張した。
(なんとか。なんとかしないと…)
手に汗が滲む。心臓の音が煩い。「いいですよ」という答えを出してと胸の内で必死に願う。
短いだろう時間がいやに長く感じる気がして、ユフィはぎゅっと拳をつくった。
「時間は少しありますのですぐにお戻りになられるなら。我々も同行し――…」
「だ、大丈夫です! すっ、すぐに戻りますので……!」
「……。分かりました」
少しだけ驚いた顔をして、それでもオルガはゆっくりと頷いた。
それを見たユフィはすぐに立ち上がって部屋を出る。扉の外に控えている護衛騎士の顔を見ることができなかった。
(最低っ……)
きっと気遣ってくれたオルガの想いも、護衛としての務めも。全部否定してしまった。胸を痛める資格もないと自分を罵って、俯いて周りに見えないのをいいことに唇を噛んで足早に外へ向かった。
そんな後姿を扉の傍に控えていた騎士たちは見つめると、すぐに室内にいるオルガに視線を向けた。
室内の会話は薄い扉のおかげで聞こえていた。引き締めた表情と真剣な目にオルガはすぐに指示を出す。
「ともに追え。マージェ――見つかるな」
「「はっ」」
護衛騎士二人そろってすぐにユフィを追いかける。それを見送ったオルガは小さく息を吐いた。
「オルガ様。よろしいのでしょうか? ユフィ様は着替えからずっとお身体が固いご様子で……」
「緊張とは少し違うようだ。護衛はつけてある。なにかあればすぐに知らせが入るから心配はない。――おまえたちは少し待っていろ」
「はい。ユフィ様をお願いいたします」
シーランもまた心配そうにユフィが出ていった扉を見ている。それを見遣り、オルガはすぐに部屋を出た。
その足でアルヴェスターの部屋へと向かう。扉の傍に控える護衛騎士がオルガに気づけば、すぐに扉をノックしてオルガの来訪を中に告げてくれた。
「入れ」
扉を開けずともアルヴェスターの許可が容易に耳に届く。歩いてきた勢いのまま扉を開ければ、すでに身支度を終えてソファに寛ぐアルヴェスターの姿があった。
オルガは勢いそのままアルヴェスターの傍に立つ。気だるげに座ってオルガの入室を認めたアルヴェスターは途端に表情を歪めた。
「ご報告申し上げます。ユフィ殿が緊張を解きたいと外に出ました。護衛は隠れてつけております」
その報告にアルヴェスターはずるずると身体を横たえてソファに埋もれる。
皺ひとつない服が乱れてしまうことも気にせず、アルヴェスターは面倒がるのとは違う顔つきで大きくため息を吐いた。
「――嫌な予感」




