34,誰かと誰か
あてがわれている部屋へと戻る。その廊下を歩きながらユフィはオルガをちらりと見上げた。
「オルガ様。その……わたしが抜けてしまって、本当によろしいのでしょうか……?」
「問題ありません。それが殿下からのご命令ですから」
今更戻るわけにはいかないと解っていてもやはり心は重たい。
両国の関係も、停戦協定も。自分ではどうにもならないと突きつけられた。不甲斐なさを感じるけれど、今はアルヴェスターが頑張ってくれているからあとでちゃんと謝ろう。
「隊長。さらっと全部殿下に押し付けてますよね?」
「殿下のご命令とご意思に沿うた行動だ。命令にこの程度はつきものであると殿下はご理解なさっている」
「まあ、確かに。あのままにしてたらあっちが何してきたか。それこそ殿下に叱られますねえ」
後ろを歩くリークヴェルがからっと笑う。口調は軽くても内容は重いから他の騎士たちも重々しく頷いた。
「オルガ様。先程はありがとうございました。わたしなんかを助けて…いただいて」
「当然のことです。あなたが傷つくなど、黙って見ていられない」
当然のように自分を想ってくれての言葉はどうにも相手の顔を見られなくなってしまうからいけない。思わずオルガから視線を逸らしてしまい、感謝しなければいけないのに失礼なことをしたとはたと我に返る。
両手の指を意味なく忙しなく絡め、なんとか言葉を紡ごうと必死になる。
「あ、の……も、申し訳ありません」
「? なぜ謝罪を?」
「えっ。えっと……」
「ノーティル国の者たちの言葉なら気にはしていませんし、気にもなりません。あなたが心からしてくれた否定のほうがずっと、我々の心に届くものですから」
言いたいことが違うのだが、ユフィは思わず視線を上げてオルガを見た。オルガの視線はわざとらしく後ろにも向いてユフィの視線もそれに釣られる。
後ろにいるのは護衛である獣人騎士たちだ。その誰もが、なぜかその表情を優しいものにしている。
「否定なんて……わたしは…」
「くださいましたよ。我が国には、あなた様をノーティル国の者だ、などと軽んじる者はもうおりません」
どうしてか騎士が自信あり気に言ってくれる。
自分がした否定なんてちっぽけなものだ。結局、継母である侯爵夫人になにも言い返せず、オルガに助けられるという結果にしかなっていない。
きっと落胆させたはずだ。がっかりさせただろう。半端で、無意味で。否定することさえまともにできない。
人間種の中で育ってきたユフィは、獣人の聴覚が拾う言葉の鮮明さも範囲もすぐに理解が及ばない。そうなのだと知っていても、そのときにはすぐに思いつかず後で気づくか説明されて思い至る。
披露目の夜会でもそうだったユフィは今もそうであり、獣人たちがノーティル国貴族との会話を全て聞きとっているとは思いもしない。
その様子からオルガも察し、けれどなにも言わず口許を緩めた。が、すぐにそれを引き締め直す。
「まっ、お待ちください……!」
後ろから早足に向かってくる足音と声。耳が動いたオルガはすぐに部下へ視線を送る。オルガの部下たちが動くと同時に、ユフィは聞こえた声に思わず足を止めて振り返った。
半身の前にオルガが立つ。そのさらに前にはオルガの部下たちが。
守られる中で、ユフィは歩いてきた廊下からやってくる一人の令嬢の姿を見た。
愛らしい顔立ちをしており年頃は自分と似たところだろう。茶色の髪はどこにでもある平凡なもの。
そんな女性はユフィの前へやってくる、獣人騎士たちを見て少しだけ身体を強張らせ、それでも勇気を振り絞るように言葉を紡いだ。
「先程は、ごめんなさい」
そして、頭を下げた。
なんの迷いもない行動にさすがにユフィも驚く。その傍でオルガは警戒の様子のまま令嬢を睨んでいる。
「あの……」
「そちらの騎士様が言ったとおり、助けることも庇うこともしない者に問題があるの。……ごめんなさい。あなたが苦しくて、辛い場所にいるって知っているのに」
頭を下げたまま紡ぎ出される言葉の最後は、悔し気に唇を噛んだように聞こえた。
目の前の令嬢は人間だ。オリバンズ国側では見たことがないからノーティル国の令嬢だろう。
だからこそ困惑した。笑われこそすれど謝られることなどあるはずがないから。
「あ、あの、どうか頭を上げてください。わたし、そんなことをされるようなことは……」
「許してほしいわけじゃないの。私は……違うと言えたはずなのに、なにも言えなかった立場だから。謝って済むとも思っていないし、謝れば…きっと周りがとても怒るから…」
どこか力なくこぼれた声音。憶えがあるような気がしてユフィは内心で首を傾げた。
(なんだろう。今の……)
とにかく頭を上げてほしい。そう言ってやっとその人は頭を上げてくれた。
その目がユフィを見つめる。周りに獣人騎士がいようとも、その目は揺れたままユフィを見つめた。
「こんなことを言われても困るかもしれない。……だけど、誰もがあなたにあんなふうだってことはないの。少なくとも私はもう二人知ってる。その人たちはこの停戦をちゃんと考える、信じられる人だから。だから。もしも何かあったら、そのときは頼ってほしい」
ユフィの俯いた顔に戸惑いが生まれる。
助けはない。それはずっとそうだったから当然のもの。
あると言われても、とてもそうなのだとは思えない。信頼などノーティル国の人間に向けたことはないし、向けられたこともない。
(この方は、誰のことを言っているの……?)
魔力を持たない者は精霊王から力を授けてもらえない役立たず。父が貴族でも母の身分が低ければ扱いには差が出る。それは当然の貴族社会。
そういうなかで育ってきた。そういう者を助ける物好きはいないことをユフィは知っている。
「それでは、失礼します」
ぺこりと頭を下げてその人はくるりと身を翻し、駆け足で去っていった。その背を呆然と見送るしかないユフィは彼女の言葉が呑み込めず戸惑っていた。
「ユフィ殿。彼女が誰か、ご存知ですか?」
「いえ……。声をかけられたことは……ないと、思います……」
視覚情報があてにならないユフィは、己が得られる情報の大半を耳と鼻に頼っている。だからこそ、声は一度聞いて覚えるようにしている。
だが、今の相手には記憶が揺さぶられない。
「……ひとまず戻りましょう」
「はい」
オルガに促されてもう一度歩きだす。
(ノーティル国の夜会はいつも独りぼっちだった。声をかけてくれた人は皆笑っていて、今の声はなかったはず……。それに、あんなこと言われたこともない)
誰なのか分からない。頼ればいいという人も誰なのか分からない。
(だけど、なんだろう……。あの方は苦しんでいるみたいだった)
胸にもやもやした感覚を覚えながらユフィは部屋を戻る足を進めた。
♦*♦*
「――つまり、喧嘩にならないといいなあと思ってた俺の希望は打ち砕かれて、オルガが喧嘩を売ったと」
「買いました」
「売ってるから!? 感じた俺の絶望が分かるか!? あ、終わった。茶会の会場は壊滅だ。俺は瞬時にそう察した!」
「しておりません。自制しましたので」
「絶対嘘! してたらやってないから! ガディオスなんて笑ってたから! 「やっちまったなこりゃ」って!」
「心外です」
非常に表情豊かなアルヴェスターとは違い、オルガはどこまでも淡々と受け答えをしている。ちぐはぐな光景も少しだけ見慣れたユフィだが、それでも視線はおろおろと動いてしまうもの。
(会場が壊滅……? オルガ様はやっぱり何かなさった……?)
けれど、それは聞いていいのだろうか? オルガもとくになにも言わないしアルヴェスターも同じだ。
そうなると聞けないユフィはただ視線を動かすしかない。
茶会から戻って軽食を済ませたユフィは、午後になって会議を終えたアルヴェスターと部屋で合流。知った者だけのひとときを過ごしている。
会議で疲れたのかそれともオルガに心労を増やされたのか、アルヴェスターがソファの座面と仲良くなってしまった。「面倒くさい…」とこぼす姿には、ノーティル国側のメイドであるシーランも驚きと戸惑いを隠せない様子だ。
「申し訳ありません。わたしがもっとしっかりしていれば……」
「いや。ユフィ殿は頑張ってくれてるから。全面的にオルガの忍耐力のなさが悪いから」
「そのようなことは……」
「鍛え直します」
「そうしなさいな。今後のためにも大事なことだし」
そう言ってテーブルに置かれた焼き菓子を一つ口に入れるアルヴェスターに、オルガは「はい」と素直に頷いた。
己に非があると思っているユフィだが、さらっとなされるオルガとアルヴェスターのやり取りになにも言えず視線を彷徨わせて俯いてしまう。
(わたしのせいで……)
思わずぎゅっと膝の上で拳をつくってしまう。そんなユフィをシーランは晴れない表情で見つめていた。
思ったより早く部屋に戻ってきたユフィと護衛騎士たち。なにがあったのか聞いてはいないし、騎士たちもなにも言ってはくれない。ユフィはなにかを言いかけながらも上手く言えないような顔をしていた。
そんな一同にエラゼはなにも言わず、ユフィに軽食を作ってからはオリバンズ国から持ってきたという本をユフィに渡した。ユフィはそれを受け取って、それからは護衛騎士の中で隊長だというオルガという黒髪の騎士と本を見ながらなにやら勉強をしていた。
『随分と文字を読めるようになりましたね。ユフィ殿の日々の頑張りに敬服します』
『そんなっ……! 書くのはまだ時間がかかりますし。少しでも皆さまのお役に立ちたいので……』
『あまりご無理はなさらず。私でよければいつでもお教えいたします』
ユフィがオリバンズ国に馴染もうと頑張っているのがよく分かった。国のために送られ、それでも役立とうと必死なことも。
そしてそれが好意的に受け取られ、助力してくれる人がいるのはありがたいこと。それでもシーランは不安でならない。
ユフィは魔法を使えない。
それをオリバンズ国は、まだ知らない。
そんな不安もあるのに、今はノーティル国という相手までいる。ユフィのことが心配でも、雇われているメイドとしてしか傍にいられないことが悔しい。
焼き菓子を食べているアルヴェスターは「はい、ユフィ殿も」と気さくにすすめる。躊躇いがちに受け取って口にしたユフィはそれでもまたどこか憂い顔。
アルヴェスターはそんなユフィを見つめた。
「ユフィ殿は少食だな。オルガがよく嘆いてる」
「え……」
「オルガはユフィ殿の護衛だからいつも一緒だろう? ユフィ殿が困ってないか不便はないかって俺や陛下も気にはするんだが、「ユフィ殿が少食すぎます。あれではすぐに倒れてしまいます。どうにか量を増やせないでしょうか?」って料理人たちにも相談してたりしてなかったり」
ぱちりぱちりと瞬いてアルヴェスターを見てからゆっくりとオルガへ視線を向けたユフィだが、オルガの視線はアルヴェスターに向いている。
(ど、どこまでが本当……!?)
まさかオルガは屋敷での自分の食事量を気にして、本当に陛下やアルヴェスターにそんな相談をしたのだろうか。立場上国王も自分のことを気にしているかもしれないが、しかしそれは私生活までは入らないのでは……いや、入るのか?
内心おろおろとするユフィにアルヴェスターは喉を震わせてオルガを見遣る。オルガは片眉を動かして淡々と告げた。
「殿下。私は確かにユフィ殿が少食であるということは心配しております。ですが、そのような相談は一切しておりません」
「あれ? そうだっけ? あっはっはっは」
屋敷で食事を摂るときに「少食だから心配だ」というようなことを言われた気がする。だからそれは本当だろう。
オルガの言うことは本当だろうと思うのにアルヴェスターのなぜそんな嘘を言うのかが分からない。
なんと言っていいものかと戸惑うユフィと淡々としたオルガと笑うアルヴェスター。不思議な三人にエラゼは小さく笑った。
「殿下」
「ま、いきなり増やすのは難しいから。倒れない程度にちゃんと食べて、ちゃんと動いて、ちゃんと休めば問題なし」
「はい……?」
オルガがまだ何か言いたげだ。しかしアルヴェスターはそれを黙殺。オルガも仕方ない様子でそれ以上問うのをやめた。
アルヴェスターはそのままユフィに「これもどうぞ」と菓子を勧め、「ユフィ殿甘いもの好き?」と会話を続けている。それを見ながらオルガは内心で肩を竦めた。
(殿下はよく見ているうえ、言い方が上手い)
他人の言葉に身を小さくさせ、俯いて必ず頷くユフィ。それが今、アルヴェスターにあれもこれもと菓子を勧められて困っておろおろして、躊躇いながらも会話の相手をしている。――力が抜けてとても自然に。
二人の楽しそうな様子は嬉しい。けれどやはり夫として少し寂しい。……加わりたいしユフィの隣に座りたいし尻尾を絡めたい。なんならユフィに撫でてほしい。
「あ、あの……よろしければ、オルガ様やエラゼさん、シーランも……」
「おー、それがいい。全員集合」
アルヴェスターの号令にシーランが驚いて、エラゼがオルガをちらりと見る。
悪いことではないかと気にして躊躇いがちなユフィの様子に自然と笑みが浮かび、オルガは一歩前へ出た。
「では、ありがたく」
オルガの動きにエラゼもシーランを連れて合わせる。
ほんの短い時間。すべて忘れて、ユフィは自然と口許に笑みが浮かんだ。




