24,戻ってきた
王都からひたすらに国境へ向けて馬車を走らせる。夜には通る地の領主の屋敷に世話になり、ユフィは自分がオリバンズ国に入った頃にも世話になった領主たちに再び頭を下げた。
日中も休憩を挟みながら進む道。国境に近づくにつれ、ユフィは馬車の中で不思議な光景を目にする機会が増えていた。
今日もまたアルヴェスターと同じ馬車に乗り、隣にはウルフェンハード公爵邸からついてきてくれたエラゼが一緒だ。オルガは外で馬に乗って警護に務めてくれている。
ことことと揺れる馬車。王家のそれらしく見た目の質も良く、内部も座り心地がよくてクッションなども用意されている。「遠慮なく使って使って」と当初からアルヴェスターはユフィの周りに沢山置いてくれたものだ。
王子殿下と一緒ということで毎度背筋が伸びていたユフィだが、その視線が最近は珍しいことに釘付けになっている。
それは、目の前にいる人物が原因である。
「あー……。近づいてる。父上の命令だし仕方ないけどさあ……。引き返さないかな。なあオルガ? ――え。だめ? どうせノーティル国だって同じこと思ってるって。面倒くせえなあとか。あっちの第二王子が来るって話だしヤな奴だったらどうしよう。お互いお国情報出さないからさあ」
窓を開けてオルガに愚痴っていたり。
俯き加減なユフィの視線のさらに下に顔があったり。どんどん下がって最後には座面に頬をつけて「めんどくさい」と覇気もなく嫌々を隠さない顔をしていたり。
オリバンズ国第一王子殿下になんと声をかけていいものか分からないユフィはさすがに迷って困って悩んで、休憩のときにオルガに近づいた。
「あの、わかだ――」
「ユフィ殿。俺のことは?」
「あ、え、っと……オルガ、様……」
「そう。到着まであと少しだから、しっかり意識して」
アルヴェスターと王宮で話し合いをしてから、屋敷でもオルガをそう呼ぶ練習を始めていた。けれど、まだ慣れない。言い出しは必ずといっていいほど「若旦那様」が出てしまう。そのたびにオルガの窘められている。
けれど、これからは間違えることはできない。心の中で意識して、ユフィは俯く顔を少しだけ上げた。
「オルガ様。その、殿下のことなのですが……」
「アルヴェスター殿下がどうかしたか?」
「その……馬車の中で、とても行きたくないというような――えっと、やりたくなさそう……その、お嫌そうなご様子で……」
なんと言っていいものかと迷っているユフィの、迷いながら紡ぐ言葉が間違っていないかと自分で困っているような様子を見て、オルガは納得して「ああ……」と声をこぼした。
分かっているような、慣れているような、そんなオルガの空気にユフィは困惑を抱く。そんなユフィを見てオルガは肩を竦めた。
「アルヴェスター殿下はまあ……普段気力が見えない方で、よく公務や執務も面倒がる」
出てきた言葉にさすがにユフィは目を瞬く。右目のそんな動きはオルガの小さく笑う顔も映し出した。
「だが、面倒がっても「やりたくない」とは言わない方だ。なにを言っても仕事で手を抜かれたことはない。あれはそうだな……力の抜き加減が激しいというのかな。力を入れるときにはきっちり入れるから、抜けるときに極限まで抜いている」
「自分は完璧じゃないんだぞって主張みたいな感じもありますよね。おまえらも頑張れ、みたいな」
「分かる。一人でなんでもできちゃう人ってすごいですけど、なんていうかオリバンズ国の殿下はああだから、俺らも支えないとなって感じ」
笑みを含めたオルガの答えには周りにいるオルガの部下たちも賛同して笑った。
色々出てくる答えにユフィの視線は動き、オルガは笑みを浮かべる。警護についている獣人たちが一様に笑うのを堪える様子を見せ、外で伸びをしていたアルヴェスターが「なに、どした」と怪訝な顔をする。
「だから心配しなくて大丈夫だ。やるときはやる。今回の式典に関しても詳細を詰めたのは全てアルヴェスター殿下だから」
「殿下が……。分かりました」
詳細を全て。それはつまりユフィをどういうふうにノーティル国に見せるかということも。
覇気なく欠伸をしているアルヴェスターからは威厳も神々しさも感じられない。どこかの無気力な貴族の子息と言われても信じてしまいそうなほどだ。
騎士たちを怪訝と見ていたアルヴェスターは同行している従者や使用人たちにも声をかけている。自然とそれができる人に尊敬を抱く。
「殿下は……すごい方なのですね。周りの皆さまのことも見ていて、気遣って……。国としてしなければいけないことを考えながらも、自然と、分け隔てなくて……」
「……そうだな」
「はい。すごいです。それができることを尊敬します」
分け隔てなく。それは地位あるほどに難しい。
仕えられることが生まれたときから当たり前である者は、それを当然であると認識し、よくも悪くも下の者への目の向け方を身につける。
(殿下は立場を示しつつ行う行動と、下手をすれば対等であると誤認させる行動をうまく使い分けることができる、数少ない御方だ。冗談を許しても不敬は許さない)
そしてそれを感じさせない普段の無気力さ。すごいのかすごくないのか、困った王子にオルガは内心で肩を竦める。
そして、その視線を傍の小さな存在へ向けた。
誰かの平然をすごいと言えるユフィ。本人からすれば大したことのないことを、当然だと思っていることを、純粋に賞賛できる心。
きっとユフィは、騎士たちが当然として行う日々の鍛錬すら「毎日続けられることはすごいです」と言ってしまうのだろう。
「ユフィもすごい。毎日勉強して、頑張っている」
「わ、わたしなど大したことは……」
「すごいよ。頑張ってると、俺は知ってる」
どうしてだろう。褒められているのは嬉しくて、とても落ち着かない。視線を彷徨わせるユフィをオルガは優しく見つめた。
そんな二人に周囲の騎士たちはそーっと視線を逸らし、けれどユフィが言った「すごい」には口許が緩んでいた。
ユフィを見つめていたオルガだが、言っておかねばならないことがあるので、今度は真剣にユフィを見つめた。
「ユフィ。国境は目の前で、到着まではあと数日というところまで来ている。ここからは俺たちも警戒を強めることになる」
「は、はい」
「今回の式典会場になる辺境の領地は、両国の戦の折にも干渉が少ない地とはいえ油断はできない。着いてからは決して一人では行動しないように」
式典が決まってからオルガから何度も言われている内容をユフィも再び強く刻む。
今回の式典は国同士の決定。その決定を覆すようなことは再びの開戦となりかねない。
主催地はノーティル国。オリバンズ国の賓客に何かあれば国の責任を問われ、ノーティル国の賓客に何かあればオリバンズ国との関係が悪化する。求められるのは無事の終了だけだ。
緊張を見せるユフィに、オルガは力を抜いてから部下を手招いた。
「それでユフィ。改めて俺の部下を紹介しよう。リークヴェルの紹介は不要だろうが、もし近衛隊騎士に言いづらいことがあればいつでもリークヴェルに言ってくれ」
「はい」
今回、ユフィの身を守るのは見慣れない騎士たちばかり。その中に唯一知っている顔としてリークヴェルがいる。
リークヴェルは公爵家の騎士だ。そう思っていたユフィは同行させると聞かされて首を傾げた。実は近衛騎士だったのかと思ったユフィだが、
『知っている者が一人くらいいたほうが安心だろう?』
と、微笑んで言われたのでオルガを見れなくなった。
知っている者がいてくれるのは安心である。それは間違いない。だから今回、エラゼは王宮のメイドに、リークヴェルは近衛隊騎士に扮してユフィを守ってくれることになっている。
オルガの部下の名と特徴を覚えながら、ユフィは残りの道中を進むことにした。
♦*♦*
ノーティル国との国境を越え、ユフィたちオリバンズ国一団はノーティル国へ入った。
式典の会場となるのはノーティル国にある侯爵領。戦の折には積極的に関わった歴史は稀とはいえ武器の供与や人員の応援などの加勢行為が認められている。
停戦協定の式典となると実質的な勝利国側で開催するものであり、これまでの戦歴を見れば勝利したと言えるのはオリバンズ国である。
しかし、獣人を蛮族と称して下に見るノーティル国はオリバンズ国へ入ることさえ拒み、自国での開催を求めた。
『面の皮が厚い。なにこれ誰これ。この辞書くらい厚いの? ほんの数年前にうちにこてんぱんにされて泣きながら撤退したの忘れてる?』
書状をみたアルヴェスターの第一声を思い出しながら、オルガは馬を進めた。
それでもアルヴェスターは、自国が侮られ下に見られているのを解った上でその提案に応じた。貴族の中には激怒する者もいたが、アルヴェスターはそれを説き伏せ今日という日を迎えた。
(殿下は今回の式典を穏便に済ませたいのか……。あちらの縄張りとも言える場所では奇襲もありえる。そんな手に出てくるようなら停戦など無意味か…)
自国開催ともなれば、招き入れた王族に何事かがあれば責任問題となる。
逆に、自国の王族に何かがあればこちらを疑うことも容易い。
(式典にはあちらの第二王子が出ると聞いている。国同士の情報も少なく王族に関してはさらにない。……ユフィもおそらく知らないだろうな)
ユフィの過去からして王族と接触することはなかっただろう。その待遇は何度思い出しても腸が煮えくり返る。
警戒しながら進み続け、一行は会場となる地の領主が所有するという屋敷に辿り着いた。
出迎えるのは領主一家とこの屋敷の使用人たち。しかもそれなりの数の騎士まで揃っている。その顔にあるのは警戒と不快感。
戦場であれば飛び交うのは殺意だ。そんな歴史の上で成り立つ両国であるからこそ、向けられるものは想像に易い。護衛騎士たちも緊張を覚える中、オルガは馬車の扉を開けた。
「殿下。到着しました」
「あー、着いた着いた」
張りつめる両者の中でただ一人、そんな空気を一切纏っていない人物が現れる。
馬車を降りて伸びをする覇気のないアルヴェスター。そんな姿を見て領主たちの顔が少し変わったのをオルガは見逃さなかった。
微かな驚きで見られていることなど知らないのか、アルヴェスターは自身が降りた馬車から続いて出てくる人物に手を差し出す。
「ユフィ殿。手を」
「あっ、ありがとうございます」
馬車から続いて出てくるのはユフィだ。その姿には領主たちも顔を変えない。
それでも視線を感じる。それが分かるからユフィは俯いてしまった。
そんなユフィを見つめていたオルガはアルヴェスターと目が合う。瞬時に目と目で会話をし、アルヴェスターはユフィの手を取ったまま微笑んだ。そして自然とユフィの手を腕に乗せると、エスコートして領主夫妻の前へと歩み出る。
二人の周囲を騎士が固め、近づく両者の緊張が高まった。
足が止まる。眼前にいるノーティル国の貴族。僅か頭を下げつつも張りつめている空気と僅かな嫌悪。
アルヴェスターはその中で口角を上げ、笑みをみせた。
「はじめまして。ケリーゼン侯爵。侯爵夫人。オリバンズ国王太子アルヴェスターです」
「お目にかかれて光栄にございます。アルヴェスター王太子殿下。此度の式典の間はどうぞ我が屋敷にてお寛ぎください。……ユフィ・ヒーシュタイン嬢もお久しぶりですな」
「お久しぶりでございます……」
侯爵の視線がちらりとユフィを見るが、俯き癖のユフィはその視線をただ気配で感じるのみ。侯爵の隣では夫人がユフィにちらりと視線を向け微笑んだ。
「お久しぶりね。いきなりのことで心配だったけれどお元気そうで安心しましたわ、ユフィさん。見違えましたわね」
「はははっ。ご安心を。ユフィ殿は毎日元気にしていますよ。メイドや騎士たちとも隔てなく接し、私や陛下とも時折お茶をしてくれて。ノーティル国でのことも話してくれたり」
「まあ、そうなのですか……。……それはよろしいことだと思いますわ」
「そうでしょう。我が国の生活にもゆっくりと慣れてくれて。そうそう。この式典が終わって国に帰ってからは魔法というものを見せてもらおうかと思っているのです。ユフィ殿の心が休まるようまだそれに関しては延ばしておりまして……。いやー。ノーティル国には本当に感謝していますよ」
「ははっ。国同士正式に交わした契約ですからな」
ぺらぺらとアルヴェスターが紡ぎ出す言葉に、俯いているユフィは目を白黒させるしかない。
そんなことは全く聞いていない。陛下とお茶なんてしたこともない。披露目の夜会のときには話をしたけれどあれがそうなのか? 帰ったら魔法を見せるのか?
俯いているからこそユフィのおろおろと彷徨う視線は周囲には気づかれない。
アルヴェスターと侯爵夫妻が笑顔を交わしている傍で立っているしかできないユフィの傍でオルガが動いた。
「!」
「殿下。そろそろ」
「ああ、そうだな。侯爵夫妻。ユフィ殿も大層お疲れなんだ。まずは休ませていただいてもかまわないか?」
「おおっ、これは失礼いたしました。殿下を立たせたまま話に興じてしまうとは。どうかご容赦を……」
「気にしないから」
そっと、後ろから見なければ分からないように、オルガの手が優しくユフィの背に触れる。そうしながらアルヴェスターに声をかけたオルガは、周囲が動きだすのを見ながらこそりとユフィを見た。
俯いている顔。けれど視線を最大限上げているのが分かる。微かに微笑み返して、その傍に立ったまま屋敷内へと同行した。
(オルガ様、わたしが驚いてるって分かって……?)
これまで自分の感情や態度はなるべく表に出さないようにしてきた。俯いているから、その表情も誰も気づかない。
それがいつものことだったのに。
(でも、嫌じゃない。なんだが胸があたたかくて、落ち着かない……)
きゅっと目を閉じて、必死に、アルヴェスターのエスコートを受けて屋敷内へと足を踏み入れる。そんな自分を見つめる視線には全く気づかなかった。




