17,準備はこんなところにも
馬車に乗って王城に向かうまでの間。その車内で隣同士に座り、オルガは今夜の確認を始めた。
「ユフィ。まず城に行ったら?」
「控室に行き、入場を待ちます。わたしは……王家の皆さまの入場前に会場入りし、すぐに陛下から紹介をされることになっています」
「そう。その紹介が終わればあとは自由だ。とはいっても挨拶したがる者は少なくないだろうが、俺がいるから心配はない」
「は、はいっ……。わたしもご迷惑にならないよう頑張ります……!」
緊張するなと言っても無理だろう。それが分かるオルガも下手に声はかけず、普段どおりにユフィの隣に座り、普段どおりに尻尾をユフィに絡ませる。
許可なく他者に触れさせたくない獣人たちの重要な部位である尻尾が、そんなことを感じさせず絡みついてくるので、少しおろおろしてしまうユフィにオルガは小さく笑みをこぼした。
「会場でもこうしていようか?」
思わぬ言葉にぎょっとするユフィがオルガへ視線を向ける。
普段とは違う髪型なのでユフィの視線が見やすいオルガは、ユフィを覗き込むようにして問う。優しいが少し意地悪な問いに、ユフィはなんと返していいものか分からず困る。
そんなユフィにオルガはすぐに小さく笑った。
「そういった行為は、夫が妻を大切にしているということを示すものでもある」
「それは、尻尾があまり他者に触れられたくない部分でもあるからですか?」
「そうだな。だが俺の場合は以前も言ったとおり、ユフィならいつでも触れてくれていい。することがなくて暇だと思ったらしてしまうかもしれないから許してくれ」
尻尾が、することがなくて暇、とはどういう状況? 尻尾には何か重要な仕事でもあるのだろうか?
思わず考えてしまうユフィを見つめていると、さほど離れていない王城にはすぐに到着し、さらに会場となる棟まで馬車は動き続ける。
もうすぐだと窓の外を見れば分かる。無意識に前髪で顔の左を隠そうとして、髪型が違うのだと思い至って、崩さないようにしようと思いつつもなんとか隠せないかと手をもっていっては離すを繰り返す。
ユフィのそんな行動を見つめていたオルガはそっと手を差し出した。
「気になるのか? ユフィ。少し触るぞ」
「え…」
何を、と聞くこともできない。オルガの手はすぐにユフィの前髪や左にまとめた髪に触れる。
見えづらい左側に触れられるときには無意識にぎゅっと強く目を瞑ってしまう。けれど髪に触れる気配を感じるだけで、痛みが襲ってくることはない。
「これでどうだ?」
そう言われて、そっと目を開けた。
オルガはユフィではなく、何かを探すように前の座席に置いた小さな鞄を漁っている。そして何かを見つけたのか、手に持ったそれをユフィの前に見せた。
それに映るのはユフィ自身で、きょとんとした顔が自分で見える。
「髪が気になっていたようだから俺なりに少し整えたが……どうだ?」
ユフィが髪に触れた理由はその手の動きからすぐに察した。けれど、そのために行ったと言えば、ユフィのことだからオルガも気にしていると解釈してしまうかもしれない。
だからそれらしい理由をつけて髪に触れ、手鏡でユフィを映す。
『こちらに櫛や手鏡を入れてございます。念のためお持ちくださいませ』
出発前にエラゼに言われて渡されたもの。ユフィ付きメイドたちにはこれが必要になるだろうと読めていたのかもしれない。それが的中した今はさすがと感心するばかりだ。
エラゼを始め、見送りに出てくれたユフィ付きメイドたちには感謝しかない。
メイドたちもユフィの悩みを理解しているからこそ、大胆に髪型を変えることはしていない。気になってしまうのは癖のようなものだろう。
オルガが手鏡を出してくれたことに驚きつつも、それをちらりと見てユフィはオルガに小さく頷いた。
「だ、大丈夫です…」
「そうか。よかった。女性の髪の整え方は分からないから、今度エラゼたちに少し教えてもらおうか」
「わ、若旦那様がですか……?」
「ああ。おかしいか?」
どこか楽し気に笑うオルガにユフィはおろおろと視線を下げて俯いた。
髪に触れられて。オルガもやはりこの左側を気にするのだろうかと思って、少しだけ胸が痛んだ。
けれど、どこか楽し気なオルガからはそんな、腫れ物に触れるような態度は感じられない。それが少し嬉しくて、安堵した。
(オルガ様は、わたしのこの左側を気にしないっておっしゃってくださったけれど……)
まだ、それを信じきれない。信じられないことが苦しい。
オルガは優しいから。優しさがそう言わせているのではないかと思ってしまって。気遣ってくれているのではないかと思ってしまって。
「それより。ユフィ。俺の呼び方を間違えた」
「あっ。申し訳ありません」
「まだ馬車内で油断するのは仕方がないが」
指摘されてユフィは素直に頭を下げた。
夜会に出席するにあたり、オルガには指摘を受けていた。
ユフィは普段からオルガを「若旦那様」と呼ぶ。使用人たちも同じように呼ぶか「若」と呼ぶことが多い。それにならってのことだが、ユフィはオルガの妻である。
『若はなしだな。名で呼んでくれればそれが一番なんだが』
そう言われ、考えて考えて、悩んで、「旦那様」と呼ぶことにした。……なぜかオルガの尻尾と耳がぱたりと力を失ってしまっていたが、ユフィには理由が分からない。
屋敷ではどうしても普段のように呼んでしまって。変えようと頑張っているけれど、どうしてもオルガの妻という不相応な立場に立てないユフィは、一歩を踏み出せない。
「旦那様……旦那様……」
「……オルガと呼んでくれてもいいんだが?」
「え。いえ、でも、そんなふうにお呼びするなんて、わたしには……」
だんだんと俯いて下がる視線。それを見つめるオルガも眉を下げて、けれどそっとユフィの手を握った。
優しいぬくもりにどうしていいか分からずに、ユフィは俯いたまま視線を上げる。
(ユフィがそう思うのも無理はない……)
これまでの生活がそうさせてきたのだ。ユフィという人間を否定して。
けれどもう、そんなことをする者はどこにもいない。
ユフィが、自分のしあわせと将来を考えて生きていける。その隣には自分がいる。
「ユフィ。君が俺の妻という立場に遠慮するのは、俺も分かっている」
「申し訳ありません……」
「謝らなくていい。君にとっても突然だからな。――だからユフィ。俺の妻ということと同じだけ、俺が、君の夫なんだと、思ってほしい」
優しい手はきゅっとユフィの手を握り、自分の口元に持ち上げる。自然とユフィの視線も上がって、オルガの金色の瞳と翠の瞳が合わさった。
あまり見えないユフィの目を見つめて、オルガは優しく微笑む。
「夫……?」
「そう。夫婦とは妻と夫だ。君だけが一方的に背負うものじゃない。君は俺の妻であり、俺は君の夫だ。ほら。二人でいてこそだろう?」
「っ、ぁ、は……はい……」
なんだか、とてもまっすぐな優しさにあふれる目でそんなことを言われるととても恥ずかしい。
手は握られオルガの口元に、視線は普段以上に下がって俯いてしまう。そんなユフィを見てオルガはふっと微笑んだ。
これは悪い俯きではない。驚かせてしまって、混乱させてしまっているだけ。ユフィは慣れないことが多くあるのだろう、だから視線がよく動く。
ユフィが俯く理由はいろいろある。それが分かるから、責める気なんて微塵も湧かない。
そんなことをしていると馬車が止まり、御者が到着を告げる。開けられた扉から先に出たオルガはすぐにユフィに手を差し出した。
「ユフィ」
「は、はいっ……!」
オルガに手を預け、そっとドレスの裾を上げて馬車を降りる。
馬車寄せにある馬車は他にも数台あり、同じように招待された獣人夫妻の姿がある。
周りを見て思わず俯いてしまうユフィは、すっと隣に、それも左側に立ったオルガに刹那びくりとして視線を上げた。
「こちらには俺がいる。慣れない場所だから、慣れた視界で周りを見るといい」
「あ、ありがとうございます」
「いや。さあ、ひとまず行こうか」
一対の夫婦もいれば、夫らしい男性獣人の後ろに立つ二人の女性獣人がいたりもする。初めて見る獣人の貴族には視線が動いてしまうユフィを、オルガは微笑ましく見つめていた。
今到着して会場に入る貴族は、ウルフェンハード公爵家と同じ四種聖獣種の公爵家や高位の侯爵家が多い。オルガも視線は向けるが、また後でとだけ視線を送る。それをしかと受け取っているのだろう、ユフィを見て小さな頷きを返してくる者ばかりだった。
それに感謝しつつ、オルガは建物に入ってから会場に入ることはなく、そのまま控室に向かった。
オルガのゆっくりとした足に続くユフィは、今日はなるべく俯かないようにと思いつつ、頑張って顔を上げながら歩く。
オルガの足が向かう先は控室。その部屋らしい扉の前にはすでに近衛騎士らしい人物が扉の両脇に立っている。どちらも獣人だ。一人は熊種、一人は虎種のようだ。
そんな騎士はすぐにオルガに気づき、背筋を正したまま礼をする。
「お疲れさまです。隊長」
「……今夜は仕事ではない。それより、俺は控室に警備は要請しなかったはずだが?」
「それが……」
どうやらオルガの部下らしい。それを傍で感じつつも少しだけ下がって気配を殺していたユフィは、騎士が言葉を濁した直後にオルガがため息を吐いたことで、そっと視線を上げた。
なにやらオルガには事態が読めている様子だ。ユフィには近衛騎士がここにいる理由などさっぱり分からない。分かるのは、本来ならここに騎士はいなかったということだけ。
頭に手をあてたオルガはすぐにその視線をユフィに向けた。
「ユフィ。ここは俺たちが会場入りするまでの間の控室なんだが、本来ここにこいつらはいない予定だった」
「はい。……何か、不測の事態があって、わ……旦那様にご用なのでしょうか?」
「……そうだな。今、中にいる人が、かもしれない」
「では、わたしは別のお部屋をお借りすべきでしょうか?」
近衛騎士団第一部隊、国王付きの精鋭をまとめあげるオルガ・ウルフェンハード。そんな上官は部下に対して優しい説明などしない。常に簡潔で明確、無駄のない報告と説明を求める。そんなときの上司は対する者の背筋を伸ばす。きりりとした表情と鋭い目つき、文句ないその実力は近衛騎士だれもが認めるもの。
それが、近衛騎士団第一部隊の騎士たちが知るオルガである。
((誰。この人……))
目の前の上司は当然格好も仕事とは違うのだが、その雰囲気もまったく違う。
オルガの部下は現在、絶賛混乱中である。
(……別人? 隊長のふりした誰かとか……。え、なにその柔らかい表情)
(陛下とたまに話すときには表情も変わるけどこんな顔あったっけ……?)
そしてその隣に立つ小柄な女性も気になる。
清楚な色のドレス。目を引いてしまうのはやはり顔の左側なのだが、それも綺麗なリボンで覆われ、さらに紐飾りと髪を合わせてもはや装身具となっている。
俯き加減だが夜会のための髪型で顔もはっきり見える。深い森の奥の泉のような澄んだ翠の瞳と、自信のなさそうな表情。オルガとも当たり障りなく会話し、素直な様子がよく伝わる。
((思ってた令嬢と違う……!))
これが上司の妻なのか。上司は妻にこうなのか。経緯からしてオルガは気を遣いつつもそんなうまく仲が進むなんてありえないだろうと同僚たちと話していたのになんだこれは。
普段とは別の意味で背中を嫌な汗が流れている部下たちに気づかず、オルガはユフィに優しく微笑んだ。
「ユフィの披露目で夫である俺が抜けるわけにはいかないな」
「「おっ……! とでって……え…」」
「なんだ」
「「いえ! なんでもありません!」」
オルガが部下を見るとなぜか部下二人が背筋を正して硬直する。
ユフィはそんな上司と部下をそっと見つめた。
初めて見るオルガの上司としての姿だ。常にこうして部下と接しているのだろう。オルガの言葉は部下の気を引き締めるものなのかもしれない。さすが国王を守る部隊だ。オルガはきっと部下たちに常に緊張感を持って王を守るよう促しているのだろう。
近衛騎士という仕事を初めて知ったユフィは、その大変さを肌で感じていた。




