16,君を支えたい
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それからの日々、ユフィは夜会のための勉強に明け暮れた。
国のこと。ウルフェンハード公爵家のこと。四種聖獣や王家のこと。同時に文字の勉強もして、夜も机の明かりを頼りに頑張る。そうしていると時折エラゼがやってきて「そろそろお休みに」と促しにくる。
そうさせてしまうのは申し訳ないけれど、自分を想ってのことだと分かるから「はい」と頷く。そしてまた朝日が昇るより早く起きて、少し勉強をして、雑事をこなす。
半端なことなど、できるわけがない。
ユフィは両国のためにやってきた身。オリバンズ国貴族の前でその証として立つのだから。
それに一度は延期された披露目の夜会。失態はできない。
勉強に頑張る合間、夜会のドレスを仕立てることになったり、それに合う装身具を選ぶことになったり。
したことがないのでユフィはなにも言えず、メイドや職人に任せるばかり。休日に同席したオルガはそんなユフィを見て、そっと右隣に立った。
「ドレスは日数の都合上いちから仕立てるのでは間に合わない。この萌木色のドレスをユフィに合うようにしてもらうのはどうだろう? よく似合う落ち着いた色合いだ。それに装身具はこのネックレスでどうだ? 青い色はユフィの魔法のようだ」
「は、はいっ」
「落ち着いたら町に行って、ゆっくり買い物をしよう。そのときにまとめて今後の買い物をしてしまうのもいい。楽しみだな」
一つひとつ、ユフィの反応や表情を見ながらオルガが助言をする。傍ではメイドたちも頷き、ユフィは圧倒されつつなんとか頷く。
オルガがそう言うならおかしな装いではないのだろう。自分にはさっぱり分からないし、似合うとも思えないけれど。
(こんな見目のわたしにこんな素敵なものなんて……)
他者に見せられない汚いものがある。それだけでオルガたちの厚意をすべて無駄にしてしまう。
無意識に顔の左に手が伸びかけて、止めた。小さく唇を噛んで俯く姿勢をとる。
そんなユフィの様子を見つめたオルガは「他にも見せてもらうといい。気に入ったものがあれば買おう」とユフィを促してメイドたちをつける。そして自分は仕立て屋の職人を呼び、数言言葉を交わす。
ユフィはメイドたちに物を教えてもらいながら、いっぱいの頭になんとか詰め込んでいった。
準備期間などあっという間に過ぎてしまう。
披露目の夜会当日。あれよあれよと流されるまま、メイドたちに連行されるままに、ユフィは呆然と嵐のような準備を行うことになった。
ウルフェンハード公爵邸にやって来た最初の三日間は、身支度にもメイドたちの手を借りた。それ以降は朝早くに起きて手を借りることはなくなっている。
これは、オルガがユフィにこれまでとあまり変わらない生活を与えるためにさせていることであり、少しずつ世話をされることにも慣れさせていくつもりであるということは、ユフィはまだ知らない。
ウルフェンハード公爵邸に来てからずっと、唯一誰の手も借りず行っていることは、湯浴みだ。
そのときだけは顔の包帯を取ることになる。だからユフィは脱衣から着衣まですべてメイドの手は借りない。脱衣最後に包帯を取って、着衣最初に包帯を巻く。それはずっと変わらない行動だった。
今日の準備でもそれは変えず、湯浴みを終えたユフィは髪を梳いて、さて髪型を整えようとメイドたちに囲まれる。
そして準備が始まろうというとき、部屋の扉がノックされた。
「ユフィ。いいか?」
「はいっ……!」
「まあまあ、若旦那様ったら」
準備中の淑女の部屋に何用か。ユフィ付き年長メイドであるエラゼは、反射的か身に沁みついた行動か、すぐに扉へ駆け出すユフィを見て困った顔をした。
相手を待たせるなどしてはならない。一秒でも早く傍に向かい指示を、時には罵倒を受ける。だから迷わず動いたユフィは、後ろからメイドが何かを言っている音が聞こえた気がしながらも勢いのままに扉を開けた。
開けた扉の向こうにはオルガがいる。扉が開けばユフィがいる。
――が、オルガは全身が固まった。
「若奥様! せめてこれを!」
そう言いながらミュレスが慌てたようにやってきて、ユフィに上着を羽織らせる。そうされてやっとユフィも身支度中だったことを思い出し、顔を赤く染めて俯いた。
「う、あ、その……申し訳ありません……お目汚しを…」
「いや。俺が急かしてしまったな。すまない」
オルガの尻尾が忙しない。見ているメイドたちも困ったように微笑みつつ若い夫妻を見つめた。
ユフィを優しく想うオルガはまだ、寝室を共にしようとは言わない。まだ妻という意識もないユフィにそんなことは求められないことも、その心を守るためも理由としてあるのだが、あまりにも無防備であられるのは困ってしまう。
「そうだ。ユフィにこれを渡そうと思って」
空気を変えるように告げたオルガが差し出したのは、小さな箱。
俯きながらそれを見つめ、ユフィは反射のように返した。
「わたしなどにそのようなことは……。受け取れません」
「妻へ贈り物をするのは当然のことだ。夜会に挑む君の、少しでも支えになれればと思った。使うかどうかは君に任せるから」
そう言って、ユフィの小さく柔らかな手にその箱を持たせる。
困って。どうしようと困惑してオルガを見上げる。
返ってくるのは優しい眼差し。だから見つめられなくて、持たされた小さな箱へ視線を落とした。
とても軽い箱だ。なにが入っているのか気にならないわけではないけれど、自分は何かをもらうようなことはしていないし、もらえる立場であるとも思えない。
「では、またあとで」
「えっ、あっ……」
ユフィにそれを渡したオルガは去っていく。どうしようと思わず見つめても、返すことができずユフィは扉を閉めた。
手にある小さな箱。もらったのは戸惑いと、申し訳なさ。
「あ、あの……これはどうすれば……」
「若旦那様は支えになればとおっしゃっておられましたから、まずは中を開けてみましょう」
「はい」
エラゼに促され、中を開けてみる。
開けて、中に入っているそれを見て、驚いた。
「あっ……」
「まあまあ若旦那様ったら。ユフィ様。どうされますか?」
「え、えっと……」
これは、オルガの隣にあるために見苦しくないようにという意味だろうか。それとも、何か別の意味があるのだろうか。
ユフィには前者に思えてしまう。けれど、エラゼもミュレスも他のメイドたちもどうしてか笑みを浮かべている。
「わ……わたしはやはり、若旦那様と夜会に参加するべきではないのでは……」
「なにをおっしゃるんですか若奥様! それは若旦那様の愛がつまった贈り物ですよ!」
「あい……?」
「ふふっ。ユフィ様。若旦那様はきっと、ユフィ様がこれを身につけられればお喜びになられると思いますが、どういたしますか?」
どうすればいいのだろう。そんなこと自分には分からない。
少しでも外見がよく見えるようにするためオルガはこれをくれたのかもしれない。だからきっと、つければオルガのためにもなるのだろう。そう考えれば、身につけようかと思うことができる。
けれど、自分のような立場の者が軽々しく物を受け取ってこれまた軽々しくつけるのはどうなのだろうとも考えてしまう。
「これはその……つけたほうが、若旦那様の隣に立っている間は、見苦しくないでしょうか……?」
「もう若奥様。そうじゃないんですってば!」
「ち、違うのですか……?」
「はいっ!」
ミュレスがなにやら自信満々に胸を張っている。隣のエラゼも笑顔で頷いているし他のメイドたちも同じ様子。
ユフィには全く何がどう違うのか分からないのだが、いくら言っても否定されそうだ。とにもかくにも、ユフィにとってこれは少しは見苦しくならないアイテムになりそうだ。
「え、えっと……では、つけてもいいですか?」
「「はいっ!」」
なぜか笑顔に染まったメイドたちに嬉々として着替えさせられる。オルガからもらったそれは、人払いをしてからユフィが自分でつける。そしてメイドを再び部屋に入れてから細かく整え直してもらった。
そうして身支度を終えたユフィは、鏡に映る自分に驚いた。
「素敵です若奥様!」
「はい。とってもお綺麗です。若旦那様からの贈り物もドレスに合わせられていて」
メイドたちが口々に褒めてくれる。とてもではないが慣れないものばかりだ。
俯いて、ちらりと視線を上げて鏡を見て、そこにいる自分から視線を逸らす。
「や、やっぱり似合っていないのでは……?」
「「そんなことはございません!」」
「申し訳ありませんっ……」
あまりにもきっぱりした否定に思わず謝罪するユフィだが、はっとしたメイドたちが「違うんです!」「本当にお似合いですから」と慌てて取り直す。
見守るエラゼは苦笑して「さあ」とユフィを促した。
「そろそろ参りましょう」
「はいっ」
エラゼに促されて立ち上がったとき、ちょうど扉がノックされる。ユフィは反射的に急いで向かおうとしたが、エラゼに制された。
エラゼの視線を受けたメイドが扉を開け、その向こうの人物と数言会話をする。すぐに出たほうがいいのではないかと迷うユフィは、エラゼの微笑みを見て少々不安は残りつつも大人しく待った。
そして、メイドが扉を開ける。
そこに、身支度を整えたオルガがいた。
黒い毛色をさらに引き締める黒の礼装。縁には金色や赤の色が入っているが一切派手な印象を受けない。釦一つひとつにも細かな装飾がされている。髪や尻尾は綺麗に梳かれていて、普段よりも艶もあるように見受けられる。
そんなオルガを、ユフィは目を瞠って見つめた。
同時にオルガもユフィを見つめた。
萌木色の落ち着いたドレスは露出も少ない。スカートは薄い生地を重ねていて色の深みも異なる。金色で些細な装飾も施されている。
そしてなにより、ユフィが普段包帯で覆っている顔の左側、今はそれが緑のリボンに代わっている。包帯と同じ手触りで肌を刺激しない素材を使用させて少し長めに、さらに先端に長めの紐を垂らしている。
リボン部分の包帯はいつものように顔を隠し、リボンの先端と紐が肩口に緩く結ばれた髪に美しく絡められている。
普段の動きやすいシンプルな装いから変身したユフィにオルガも目を奪われた。
白い髪や白い肌のおかげかドレスの色は抑えていても引き立っている。普段は俯いて垂れてしまう前髪も夜会のため少し抑え、ユフィが隠したがる左は肩口に髪をまとめているが、そのため右側の目許や頬がよく見える。
やはりまだ痩せ気味でしっかり健康的とは言い難いが、屋敷へ来たばかりの頃に比べれば健康になっている。
「綺麗だ。ユフィ」
「っ、あ、え……も、もったいないお言葉です。わたしなんて……」
「綺麗だ。この目に焼き付けて、もうしばらく見つめていたい」
「っ……」
真っすぐ見つめて言われるには慣れていない。おろおろと視線を動かして俯くユフィとそんなユフィを見つめるオルガには、控えるメイドたちも微笑みが絶えない。
髪で隠そうとしてもその髪は綺麗に結われているので動かせない。醜い左側も今日は普段とは違う飾りでとても落ち着かない。
「あ、あの……!」
「うん?」
「その……飾りのリボンを、ありがとうございます。わたしにはとてももったいなくて、せめて見苦しくないように努めますので……!」
「……そういうつもりではないんだが」
何かを紡いだオルガにユフィは首を傾げた。
ユフィに伝えるには少し時間が必要な様子。それを感じて苦笑うオルガだが、すっとユフィに手を差し出した。
「行こうか」
「はい」
そっと、慣れないけれど、ノーティル国で年に一度は出されていた夜会で他者がそうしているのを見たことがあるので、真似て手を添えた。
遠慮がちな手にオルガは微笑み、ユフィをエスコートして階下に降り、馬車に乗った。馬車に乗る前には見送りに出ているメイドたちに頭を下げるユフィを、一同が微笑ましく見送った。




