18,ご挨拶
オルガと部下二人を見つつそんなことを思っていたユフィは、会話が途切れたタイミングで「あ、あの…」とそっとオルガの部下二人に声をかけた。
「え。あ、はい……? なんでしょう?」
「その……お仕事、ご苦労さまです。陛下をお守りする隊というのは、その……とても大変だと思いますが、陛下の御身をお守りできる方々のおかげで皆さまも安心できると思うので……えっと、その……お勤め頑張ってくださいっ……!」
そう言ってぺこりと下げられた頭。なにが起こってるのかと言いたげにぱちりと目を丸くさせている部下二人。
僅かな沈黙はしかし、頭を上げるユフィの見えない左側でぴしゃりと尻尾を振ったオルガの動きに気づいた部下二人の声で破られた。
「いえっ、そのような……」
「はい。自分たちは当然のしご――ひえっ。はっ、はい!」
「「ありがとうございます!」」
なんだろう。途中でへんな悲鳴のようなものが挟まれたような……。
不思議に思ってユフィはオルガをそっと見上げる。なにかおかしなことがあったのならばオルガが分かるはずだ。
ユフィのそんな視線に、オルガはにこりと微笑んだ。
「俺の部下のことまで思いやってくれてありがとう、ユフィ」
「いえっ……」
「君たちはいつまで喋ってるつもりだ?」
途端、扉が開いて聞こえた声にユフィは驚いて肩を跳ねさせた。そんなユフィを気遣うように尻尾を絡め、オルガはユフィの視線を遮らないように前に出る。同時に部下二人も扉を開けた人物に礼をした。
さりげない動きで守ってくれるオルガの後ろでユフィは右目で目の前を見る。
そこには、凛とした品格をまといながらも力強さを感じさせる、女性の獣人がいた。
そんな人物の登場にオルガの部下二人はお喋りをやめて持ち場に戻る。
「なかなか入ってこないなと思ったらお喋りか? まさかそれで時間稼ぎをしようなんて魂胆じゃないだろう?」
「まさか。事前にこのつもりであるとお伝えくだされば、ずっと緊張している妻に突然のショックを与えずに済み、かつ、すぐに入室いたしました」
「どうだろうねえ。大人しく入るふりをして、長々と今度は「こいつらは俺の部下で…」なんて話でも始めたんじゃないのかな?」
「豊かな想像力には感服いたします」
「それは君も同じだろう」
気心知れた仲らしい。オルガは敬意をもって接しているようだが、女性のほうは気さくに笑っている。
金色の美しい髪。頭に生える耳は髪と同じ色であり、オルガとは違って丸みを帯びている。すらりとした長身から伸びるしなやかな手足には凛々しさと力強さが混在し、存在感を強く感じる。
薄茶の瞳には強さが宿り、けれど笑みに変われば柔らかくも感じられる。腰から伸びる尻尾はふさふさのオルガとは違って、細く、先端に房がついている形だ。
(虎種……じゃない)
ウルフェンハード公爵邸には兎を除いた獣人種が揃っている。獣人種の種は決まっており、その中に見るどの種とも違う。
となると……。そう考えてユフィは視線をオルガと女性の両方へ向けた。
(オルガ様と同じ、四種聖獣種)
ユフィが見たことがない種族は、兎種と獣種以外の四種聖獣。
その一人がここにいる。
そっと様子を見ていたユフィの視線に女性は気づき、笑みを浮かべるとくるりと背を向けた。
「立ち話もなんだし、ここに来た目的も果たそう。さあ入って」
「失礼します」
「し、失礼します」
夜会を前に四種聖獣種と話をする。緊張を覚えながら恐る恐る入室すると、室内に他にも人がいることが分かった。
室内は広くゆったりとした造りだ。華美な装飾は一切なく、細かな意匠は施されつつも調度品もシンプルな見た目をしている。
ソファとテーブル。壁には自然の風景を描いた絵が飾られ、部屋の中に置かれた花瓶には花が生けられているが、ユフィはそれが造花だとすぐに察した。
先に室内に入った女性はそのままソファに座る。そのソファにはすでに座る男性がいた。そして、一人掛けの椅子にそれぞれ座る男女もいる。
四種聖獣と思われる女性以外は皆、獣の耳も尻尾も持たない人間種だ。
それに少し驚きつつ、ユフィはそんな一同に緊張を感じた。ユフィのその緊張を感じとったようにオルガはそっと尻尾を絡める。
傍にあるぬくもりに少しほっとするような、少し戸惑うような。
足を進めてソファに近づく。
相手が誰かを知らないユフィはオルガが言葉を発するのを待った。しかし、先に口火を切ったのは年長の男性であった。
「いささか遅かったな。オルガ。待ちかねたぞ」
「お待たせして申し訳ございません。ですが、別室であったのでは?」
「会場に入れば互いに忙しい。ゆっくりユフィ殿に挨拶もできんだろう?」
淡々と応じるオルガは慣れた様子だが、その隣のユフィは俯き加減の中で目を瞠った。
ユフィにとって、日常的な視覚情報というものは頼りにならない。包帯を巻いてある左側は常に見えづらい上、包帯を見せるなと言われ続けて俯く癖がついたので、目に見えるものに頼ることができなくなった。
代わり、聴覚や嗅覚を研ぎ澄ませる。人の声、周囲の音、嗅ぎ取る臭い。そうしたものと限られた視界で得る情報から、周囲を把握する。
だからすぐに理解した。一度聞いたこの声は記憶にそのまま宿っていて、だから聞き間違えるはずはない。
「一度話をしたことはあるが、ゆっくり面と向かってしておこうと思ってな。まあ座れ」
促されて、向かい合うソファに座る。エスコートしていた手が離れ、それが震えているのをオルガは見て取った。
座った二人を見て、その相手は改めて名乗りをあげた。
「さて。改めて名乗ろう、ユフィ殿。――私はオリバンズ国国王、オルティス・ディア・ヒルスゲイナーだ」
「こ、国王陛下にご挨拶申し上げます。ユフィ・ヒーシュタインと――……」
「ユフィ。それは違う」
「! も、申し訳――……」
否定には即座に謝罪を。口がこれまでの癖のように動いたが、それはすぐに閉じられた。
そっと、オルガの優しい指が唇に触れる。びくりと肩を跳ねさせるユフィを見つめ、オルガは優しく訂正した。
「俺は、君の夫だろう?」
「え…あ……。えっと、ウ、ウルフェンハード……?」
「そう」
頭がうまく動かない。思考が回らない。
それでもなんとかオルガが言う言葉の意味を考えて答えを出すと、オルガは嬉しそうな顔をする。
国王に挨拶することになる。それは分かっていたことだけれど思った以上に緊張がひどい。伝えるべきことを伝えて沙汰を待つつもりだった謁見のときは、ここまで緊張はしなかったのに。
今はそんな緊張に加えてオルガの意地悪が爆弾のように落とされた。ユフィの思考力が吹き飛んでしまう。
「ユ、ユフィ……ウルフェンハード、と、申します……」
「上出来だ」
かちこちと名乗るユフィの隣でオルガが満足そうに微笑んでいる。しかも意識的なのか無意識なのか、オルガの黒いふさふさの尻尾がいつものようにユフィに絡みつく。
ドレスの布越しに感じる尻尾のぬくもりは普段よりもはっきりとしている。それを感じ、今度こそ思考が飛んだ。
(オ、オルガ様の尻尾が……暇……!?)
馬車での会話を思い出してしまう。心の中には表に出ることのない問いが渦巻いて、混乱と一緒になってしまう。
「あ、ぁ……の、え……ぁ……」
「うん?」
口が開いても意味をなす言葉が出てこない。
ユフィの混乱が目に見えていると、向かい合うソファから忍び笑いが聞こえた。
はっとする。今目の前には国王陛下、およびおそらく王家の面々がいる。
慌てて謝罪しようと視線を向けると、オルティス王は俯いて肩を振るわせているし、隣にいる四種聖獣らしい女性は目を瞠っている。それぞれ一人掛けソファに座る男性もオルティス王と同じように忍び笑い、女性はきょとんとした顔だ。
(わ、わたしとても失礼を……!)
一人あわあわとするユフィを見つめるオルガは嬉しさを胸にしまって表情を引き締めると、目の前のオルティス王を見た。
「陛下」
「いやっ……。まさかおまえがそこまで面白くなるとはな。いいものを見せてもらった」
「それはようございました」
……いいのだろうか? よくない気しかしないのだが。
戸惑うユフィに優しく頷き、オルガは視線を前へと戻した。
「ユフィ。陛下のお隣におられるのはラジェイナ妃殿下。そしてあちらの男性が第一王子であり王太子、アルヴェスター殿下。そしてこちらの女性は第一王女、リジェイル殿下だ」
「お初にお目にかかります。殿下方にご挨拶できますこと、恐悦に存じます」
「ああ。堅苦しいのはいいよ」
気さくに手を振ってくれるのはラジェイナだ。彼女以外の妃はいないと、ユフィは事前に学んである。
王太子であるアルヴェスターはオルガとそう年が変わらぬように見えるので、ラジェイナも年齢は重ねてあるはずだが、とてもそうは見えない溌剌とした若々しさにあふれている。
王家の面々については事前に学習してある。
現王オルティス陛下は、妃を一人だけもっている。それが四種聖獣であり獅子種から娶った王妃ラジェイナ。
そんな王妃との間には、王子と王女が二人ずついるらしい。末の王子と王女は双子でまだ幼く、王妃と同じ獅子種の特徴を持っているのだそうだ。
そして、竜神の加護を持っているという王家だが、その加護は現王オルティス王だけが持っている。
「ねえオルガ様。ユフィ様はそれに慣れているようだけれど、それはいつもしているの?」
王女リジェイルの指摘はユフィに絡む尻尾に向いている。それを聞いてオルティス王は喉を震わせラジェイナも笑う。
それを怪訝と見るしかないユフィは、ラジェイナはオルティス王に同じことはしていないのでオルガを見た。
獣人にとって耳や尻尾は重要な部分。心許せる者しか触れさせないと学んだが、夫婦ならばこうして触れ合うことはあるのだろうと思っていた。
それは違ったのだろうか? そう問うような隣からの視線に一度だけ視線を返し、オルガはリジェイルを見て平然と告げた。
「ええ。ユフィには少しでも俺に慣れてほしいので」
「慣れって……。ユフィ様はそれでいいの?」
「はい……?」
いいとは何が? なにかまずいことでも?
そう問うようなきょとんとした目にリジェイルは額に手をあてた。それを見て笑うのはラジェイナだ。
「尻尾や耳はね、特に神経が過敏な部分なんだ。許せる人にでないと触れてほしくはないし、あまりずっと触れられてると振り払いたくもなる。難しいところなんだ」
「それは……」
思わず、ちらりと隣を見上げる。けれど返ってくるのはにこりとした、むしろ「もっと触れてもいいんだが?」とでも言いそうな目だ。
なんとも言えずに困るユフィに、王家の面々は笑うか肩を竦めるかの二とおりの反応を見せる。
「二人が実に仲睦まじいことが分かってなによりだ。ユフィ殿。こちらでの生活には慣れたか?」
「は、はいっ。公爵邸の皆さまもとても優しくて、不勉強なわたしにも、それが当たり前だと笑っていろいろ教えてくださいます。とても……とても、よくしていただけて」
「そうか。それはなによりだ。何かあればオルガになんでも言えばいい」
「あ、いえっ今でも充分で――」
「無論です。陛下。ユフィが望むことならなんでも。だからユフィ。なんでも俺に言ってくれ」
「え、あ……」
前と隣と視線の動きが忙しい。困惑のユフィのどうすべきかという迷いを見て取るラジェイナも喉を震わせた。
「ははっ。嫌でなければ受け取ってあげてくれ。四種聖獣の中でも獣種はとくに番への愛が深いから」
「番……」
「どんな相手にもそうであるというわけではないが、自分が生涯添うと決めた相手となると特に。鷹種と獣種は相手を愛せば浮気の心配がないって言われるくらいだ」
そうなのか。それは勉強の中でも出てこなかった内容だ。
少し驚いてユフィは思わず隣をそっと見上げる。解っているかのように視線を返されて、思わずすぐに逸らしてしまった。
(番への愛が深い……。番というのは生涯を共にする相手ということで、そうしたいと思える人をずっと愛して……)
それは、今のオルガなのか。
けれどユフィは、オルガに愛されているのかどうか、分からない。
公爵邸の誰もがそろって優しい。それはオルガも同じ。
それにオルガは、他者に触れられるのを好まないという耳や尻尾にも触れさせてくれる。時々驚かされはするが、けして力を振るうことも、罵詈雑言を浴びせてくることもない。
優しく包んでくれるから、嬉しくて、なにかを返したいと思うのだ。
(誰かを好きになるって、どういう気持ちなの……?)
オルガは、どういう気持ちを抱いているのだろうか……。
分からない。家族にさえ、どう思っているのか自分は分からない。
そんな自分が、情けない。




