八幕・九月の二十二日
「ねぇ、ぐーたん?」
「…………なんだよ。」
重い瞼をなんとか片目だけ開けてみると、かばねが俺の顔を覗き込んでいる。
……つーか
「……近ぇ。」
「ふみゃっ!?」
俺は頭を上げてかばねに頭突きする。
生意気にも避けようとしやがったから左でかばねの腕を引き、右で頭を固定して逃げられないようにしてやった。
かばねは俺の上から転げ落ちると、額を押さえてバタバタ暴れている。
しかし痛ぇ…。
俺もだが、こいつも相当石頭だ。
「……ったく…いってぇなぁ…。お前のせいで目が冴えただろうがこの馬鹿。」
「~~いやいや…っ!頭突きをかましてきたのはぐーたんの方っ!!ついでに痛いのは僕!!」
俺が文句を言いながら体を起こすと、かばねはぺしぺしと床を叩きながら抗議してくる。
「…あぁ…確かにお前はイタい奴だな。」
「そっちの『イタイ』じゃないよもうっ!」
からかってやると、いつものように子供っぽく怒る。
全くこいつは昔から変わらねぇ。
娘みたいな、とか言うと安っぽい。
恋人なんてのはありえない。
夫婦はもっとありえない。
(つーかこいつとなんて絶対ごめんだ。)
友達なんて曖昧な関係でもなく…。
仲間というのもしっくりこない。
ペットというほどこいつは可愛げのあるやつじゃねぇし…。
主従とかいう上下もない。
このよくわからねぇ関係はいつからだったか。
●●●●●●がこいつを拾ってからどのくらいになるか。
十五年…。
思えば長い月日。
その当時の俺は二十五で、こいつは二歳くらいの幼児で。
こいつには拾われた時の記憶なんざ、もうほとんどないだろう。
そして実の親の顔さえ、声さえ、その感触さえ。
だとしてもこいつは、そんなこと気にも留めていないだろう。
もし実の親が出て来ても、おそらくこいつは興味も示さない。
こいつは自分がこの場所でしか生きていけないことを知っている。
そして感情よりも本能に忠実だ。
もし今俺が『俺を食べていいぞ。』と口にしたなら、こいつは躊躇いなく俺を食べるだろう。
こいつは何より食欲が優先な《暴食》。
他人に対する感傷ってものが希薄で、人というよりまるで獣。
こいつが誰かのために泣いたり、怒りをみせるような出来事は大分長い付き合いの俺でも見たことがない。
そして《怠惰》が司るのは堕落と放棄、劣化、衰退……そして停止。
全く似合いの称号だと思う。
結局のところ、そんな俺には他人の感情を育むなんて無理な話だったんだろう。
自分が感情を放棄し停止させているのに、それを教えてやるだなんて言えた口じゃない。
昔から…そして今も。
こいつを変えられるのは俺じゃない。
かばねを変えられるのはきっと…こいつのことを積極的に考えて変えてやりたいと思える誰かで……そしてそのために自分を積極的に変えていける誰かだ。
俺がその《誰か》が現れるのを望んでいるか、という問いには…答えることは出来ないが。
「ぐーたん、どしたの?ぼーっとしてる。また寝るの?むしろ寝てるの?」
呑気な声に思考が引き戻される。
俺の目の前で手をひらひらと振るかばね。
全くこいつは人の気も知らずに…。
……だから…
「…近ぇっつってんだろ!!」
「ふぎゃあっ!?」
俺はさっきより強く、かばねの額に頭突きをかました。




