終幕・九月の十二日
夕暮れの迫る街。
限りなく人通りの少ないとある路地裏に、大きなスーツケースを引く、一人の子供の姿があった。
左横の一房を三つ編みにした髪は焦げ茶色。
ぱっちりとした濃赤色の瞳に、中性的で可愛らしい顔立ち。
楽しげに鼻歌を歌いながら、機嫌よく歩くその子供は『かばね』…そう好んで名乗っている。
本当の名前などはないし、あったとしても本人は特に知りたいとも思っていない。
どうせ『彼ら』にとっては、呼び合うための名があればいいのだから。
かばねが立ち止まる。
目的地に到着したためである。
裏通りのビルとビルの間、窮屈に挟まるように存在する周りと同じようなコンクリートの建物。
ふとすれば見逃してしまいそうな傾きかけの看板に、薄汚れた木の扉はよく見ればアンティーク調。
『ブラッド・キャット』
もう営業していない潰れたバーである。
……表向きは。
少し軋む扉を開けると薄暗い店内。
いすや机は少々壊れていたりするが、店内はそう埃っぽくもなく綺麗に整っている。
そしてカウンターの後ろには、すでに閉店したとは思えないほど酒類が並んでいる。
「おー帰ったのか、かばね。」
奥にある階段を上った先にテラス風の二階席。
そこからかばねに向かって声がかけられる。
二階からかばねを見下ろすのは、橙色の瞳。
柔らかな色とは裏腹に、目は常に周囲を睨みつけているように鋭い。
何より目立つのは、190㎝はあろうかという大柄な体。
そして燃えるように真っ赤な髪。
短く切りそろえられた髪は、少し癖がついて跳ねている。
男は上機嫌で手に持ったグラスをかばねに見えるように掲げ軽く振る。
中で琥珀色の液体が揺れ、氷がからんっと音を立てた。
かばねは男を見上げ、
「れおれお、仕事じゃなかった?お酒なんて飲んでて良いの?」
そう言って首をかしげた。
『レオンハルト』、かばねが『れおれお』と呼ぶ男の呼び名である。
「あんな仕事とっくに終わらせたっつの。遅いのはお前の方だ。」
レオンハルトはそう言ってグラスの酒をあおる。
…と、
「全くなぁ…かばね、お前は馬鹿なんだから調査込みの仕事なんて受けるなよ、馬鹿なんだから。」
二階席の奥から同意の声が挙がる。
「ひっどいなぁ…。流石に二回言うことないでしょ?」
その言葉にかばねはぷくっと頬を膨らませて抗議する。
そして、さらに呆れたような顔をすると、
「…っていうか、居たの?ぐーたん。いつも奥にいるくせに。……で、どうせ、ぐーたんもお酒飲んでるんでしょ。」
そう言って、大きなため息をつく。
かばねに『ぐーたん』と呼ばれた男は、二階席奥のソファにだらりと座り、手に持ったグラスに揺れる赤ワインを少し飲んでから答える。
「正解。」
男の無精ひげの口元が楽しげに弧を描く。
男の呼び名は『キング』。
くすんだオレンジの髪はぼさぼさで、手入れされていないまま長く伸び、金の瞳は眠たげに細められている。
だらしない服装も相まって、街を歩いていたらホームレスと見られてもおかしくないほどの風貌だ。
「今日は偶然私達が揃ったので、暇な大人達だけで飲んでいたんですよ。」
加えて、さらに別の声が二階から響く。
キングの向いのソファに座るもう一人は、くすくすと笑いながらライムを浮かべたウォッカのグラスを傾ける。
『ドラッグリスト』と呼ばれるその男は、仲間内では『ラグ』で通っている。
一目見ただけで分かるアジア系の黒髪は一つにまとめられ、さらりと背の中ほどまで流れている。
紺のフルスクエアフレームの眼鏡の奥には、鮮やかな朝焼けのような赤の瞳が悪戯っぽく輝く。
白いシャツと黒のネクタイの上に、かなり裾が長めの白衣を羽織っている。
「暇なんじゃなくてサボってる大人、でしょうが!仕事しろ!!」
ラグの言葉に声を荒げたのは、二階席のカウンター内で一人せっせと他三人の 男たちの給仕と飲んだ後の始末をする青年。
銀糸のような髪はすっきりと短く、瞳はアメジスト。
十人いれば十人が「イケメン」だと称するような容貌は、眉間に深い皺が寄せられていても見映えする。
その髪色と同じ『プラチナ』という呼び名の付いた青年を、かばねは『プラたん』と呼ぶ。
「……つまり、サボってるれおれお、ぐーたん、ラグが、まじめに仕事してたプラたんを給仕に使って夕方から飲んでるわけかぁ。……ん?…じゃあ、ジャックは?」
かばねがこてんっと首をかしげると、見計らったようにバーのドアが開き、レジ袋を提げた少年が入ってきた。
金髪に碧眼。
短めの髪を高い位置でまとめている。
顔はいかにも不機嫌そうだ。
少年は『ジャック』。
『ジャック・ザ・リッパー』の名を持つ今代の切り裂きジャックである。
「ジャック、おかえりー。何買ってきたの?まさかぐーたん達にパシられ…。」
「違う。」
かばねの言葉を食い込み気味に遮って、ジャックは不機嫌そうなまま店内を進んで二階席に上がっていく。
かばねも、ジャックの後に続くように歩みを進め、階段でジャックを追い越して二階へ上がり、カウンターにぴょんと座った。
それを見咎めたプラチナが、
「かばね、カウンターに座らない!!」
と、注意をするが、かばねはどこ吹く風で足をぶらつかせるだけである。
ジャックが遅れて階段を登り切り、カウンターに持っていた荷物を置いて席に座ると、かばねは袋を広げて中をのぞき込む。
「ジュース?」
疑問の声を上げたかばねに、未だ不機嫌そうに黙ったままのジャックに代わって、プラチナが答える。
「丁度、切れてたんだ。でも、この中でノンアルコールが要るのはジャックだけだから…。」
「……僕の分は?」
かばねが尋ねる。
「…今帰ったとこでしょ。報告してからね。」
「報告するべきプラたんが仕事してないんだから報告できないじゃん。だーめ?丁度、新鮮なおつまみもあるのに…。」
かばねの言にプラチナがうっと言葉に詰まる。
そしてしばらくのにらみ合いの後…
「……はぁ…分かった…。…買ってきていいから。」
プラチナが折れる。
「はーい!やったぁ!!」
かばねは上機嫌で座っていたカウンターから飛び降り、階段を駆け下りていく。
そんなかばねを見送り、大人たちはさらに酒を煽り、ジャックは買ってきた飲み物を開ける。
ようやく日が沈んだばかりの時間。
酒宴はまだまだ続きそうだ。
彼らは〈大罪〉
裏社会の中でも奥深くに息をひそめ、外にほとんど情報の出ない、暗殺専門の組織。
依頼請負、情報担当のプラチナ以外は大罪の異名を持っている。
怠惰
暴食
強欲
憤怒
傲慢
構成員はたったの六人。
それでも裏の中で恐れを持って語られる、突出した殺人鬼達。
序章はこれにて幕を閉じ、物語は動き出す。
これは〈大罪〉の物語だ。




