終幕・十月の二十九日 そのよん
「……結構クるだろ?これ、結構重度の中毒者用のだからさ。」
そう言って、手に持っていた空の注射器を投げ捨てる理央。
その腕に見えた赤。
痛々しい傷跡。
「…お前が殺した運び屋が扱ってた薬だよ、切り裂きジャック。……半信半疑だったけどさ。お前、嘘下手すぎだよ…。」
そう、理央は泣きそうな顔で言う。
…あぁ…そうか、お前も…裏の人間なのか…。
「……他の奴には知らせてないよ。…こんな下っ端の俺が、成り上がれる機会なんてそう無い。お前を殺せれば…俺は……。」
…そのために組織の扱う薬を俺に打って動きを抑えて。
(それでも。)
「…しばらくすれば、中毒症状も出るだろうな。…まぁ、大丈夫だよ。…その前に…殺してやるからさ。」
理央は、俺に止めを刺すつもりで持っていたんだろう小さな折り畳みナイフを、ポケットから取り出して開く。
(…それでも。)
「……ごめんな。…俺は…お前と違って嘘つきだからさ。」
笑うのに失敗したような引きつった表情を浮かべて。
しかし、決意したような足取りで俺に歩み寄る。
きっとこのために色々なことを考えて、計画して、決めたんだろう。
(……それでも。)
「………もう…後にも引けないんだよ。」
ナイフを持つ手が震えている。
だが、跪く俺の首…一撃で殺せる位置をしっかり狙ってそれを振るう。
下っ端だという理央が他の奴らにも告げずに、勝手な行動。
…裏切り者とされるかもしれない覚悟も決めた上でのことなんだろう。
(………それでも…。)
「……無理なんだ。理央。」
「………それじゃ俺は殺せない。」
キィンッと、金属音。
俺は振るわれた理央のナイフを自分のナイフで防ぐ。
「……なん…でっ!?」
理央は驚愕の表情で止められたナイフを…強い薬を打たれても問題なく動ける俺を見ている。
確かに薬による強烈な体調の変化はある。
…けど…。
「……中毒症状には、もう…慣れてる。」
いきなりのことに驚きはしたが、この程度なら動くのに支障ない範囲だ。
…俺はもう殺人中毒者だから。
俺は告げる。
きっと今の俺は、理央と同じように泣きそうな笑みを浮かべているんだろう。
…理央を殺したくはない。
だが、理央に殺されたくもない。
脳裏に浮かぶのは、出会った時のかばねの笑顔。
…なぁ、まだ間に合うだろ?
呆然と固まっている理央のナイフを押し返す。
理央はハッと意識を戻し、押し返される勢いのまま後ろに下がって俺から離れる。
広がった距離。
そのたった数歩の距離がとても遠く感じる。
理央からの警戒の視線。
揺れながらも途切れることは無い敵意。
…アイツはどうして、こんな状況で相手に手を差し伸べられるんだ。
でも、アイツにできるのに俺に出来ないわけがない。
…出来なきゃいけない。
俺は理央を…。
友達だと…親友だと思っているんだから。
俺はゆっくり…理央に警戒させないように…ナイフを持っていないほうの手を理央に向かって差し出す。
「…っ!?」
目を見開いてその手を凝視する理央に、俺は静かに語りかける。
「……理央。俺には…俺の分がある。お前にもお前の分がある。…だから、俺は…お前に、許してもらおうとは思わない。」
俺の言葉に、理央はぐっと顔を顰める。
先ほどよりも辛そうな顔に見えるのは、俺がそうあって欲しいと思っているからなのか……分からない。
けど、俺は構わず言葉を続ける。
「…だけど、俺は…そんな顔のお前に…殺されたく…ない。」
そう言って、俺は理央のカスタードの瞳を見据える。
理央が何かに耐えるようにナイフを強く握った。
…でも、言葉を止めはしない。
一つ、息を吐いて慎重に。
俺は、あまりこういうのは得意じゃないから。
…上手く伝わるように、言葉を選んで、紡ぐ。
「…お前が…俺に嘘を吐いていたとしても、今まで見てきたお前のすべてが嘘だとは…俺には…思えない。……俺は……親…友……だと思っているお前に、そんな顔はさせたく…ない。」
そして、持っていたナイフの刃を…畳む。
「…な…っ!?」
そして、理央に見えるようにゆっくり、それをポケットに戻す。
手をポケットから出して重力のままだらりと下げて…。
「…今のお前は……辛そうだ…と…思う。何が原因かなんて…今までお前の嘘に気付けなかった俺には…分からない…けど、その…腕の傷が…原因の一端なんじゃないかってことは…思って…いる。…俺は…お前を助けたい。」
そう、強い口調で理央に言うと、理央が息を飲んだのが分かった。
発した言葉に偽りなんて無い。
おそらく今、理央は追い詰められている。
疲れた顔も、腕の赤い痕も…。
嘘を吐くのが上手い理央のサイン。
…そう…だよな…?
「…俺がお前を追い詰める原因になってしまっているなら、俺は…責任を負うつもりも…ある。…俺を許せなくてもいい。いつか…俺を殺せるようになったら…俺を、殺しても…いい。…けど、俺は…まだ……やり直せると思って…いる。…お前との関係をやり直したいと…思っているんだ。」
下げている手を強く握りしめる。
一緒に握り込んだズボンの布にしわが寄る。
「…だから、お前を追い立てているものを教えてほしい。」
自分の心臓の音が大きく鳴り響いている気がする。
緊張で声が震えそうになる。
「俺は…そういう事は…苦手……だから…言ってくれないと…分からない。」
理央の反応は…分からない。
俺には…読めない…。
「…だから。」
もし…失敗したら…
……俺は、理央を殺せるのか?
「……だから…っ!」
……お願いだ…。
…この手を取ってくれ。
「~~っ何だってんだよ!!」
理央は、叫ぶ。
「そんな風に…っ!…俺を馬鹿にしてんのかよ!!ジャック!!」
今にも泣きだしそうな悲痛な顔で叫ぶ。
「俺は…!俺はお前とは違うんだよっ!そんなの……無理に決まってんだろっ!!俺は…っ!…俺は…っ!!」
…もう…無理なんだ。
そう、理央が呟いた気がした。
踏み込んだ靴の音。
理央の持ったナイフが煌めき、俺に向かってくる。
ヤバい、と頭が認識する前に、体が動く。
幼いころから染みついた殺人技術のそのままに。
駄目だ…っ!
駄目だ駄目だ駄目だっ!
どれだけ葛藤して自問自答しても、頭の中では結論なんて決まってる。
理央を殺したくない…!!
理性で本能を押さえつける。
ナイフの軌道をずらして急所から無理やり外す。
心臓に向かっていたそれを下に。
こちらに向かってきたナイフは体を逸らして避ける。
理央はその勢いのまま、俺のナイフに。
ナイフが肉に刺さる鈍い感触。
この感覚が不快だと思ったことなんて初めてだ。
でも、大丈夫、だ。
致命傷は避けられたはず。
本能は上手くいった、と言っている。
このナイフなら…。
この…ナイフ…なら……?
ずるりと理央の体が崩れ落ちる。
その傷口から抜けた、血濡れのナイフを呆然と見つめる。
このナイフは…。
そう、このナイフは…。
今日取りに行ったもので…… いつものナイフより刃渡りが長い。
ドクンドクンと大きく高鳴る心臓は、本能を忠実に表している。
上手くやったと。
……上手く殺った、と。
……え?
……嘘…だろ?
慌ててその場に跪き、理央の体を反転させて傷口を確かめる。
溢れ出る真っ赤な血、その量。
傷の深さ。
どれをとっても、どう頑張ったってあと数分で理央は……。
「~~理央っ!!」
口から叫びがこぼれだす。
やったのはお前だろう?
そんな本能のささやきに目の前が真っ暗になりそうになる。
あぁ…どうして。
俺は助けたいと思った奴も殺してしまうのか?
俺は…っ!
「……あーあー…そんな顔すんなっていっただろ…?ジャック。」
聞こえた声に、ハッと理央の顔を見る。
理央は目を開けるのも億劫そうに、それでもそのカスタードの瞳でしっかり俺を見ている。
苦しそうに息を吐き、それでも皮肉気な笑みを浮かべて言う。
「こんなの…俺の、自業自得だろ…?…俺は、後悔なんかしてない…し…。」
そう告げる理央の笑顔はとても下手で。
「『…俺は嘘つきで弱虫で、最低の『悪役』だから。』」
なんて、あの映画の主役の台詞を言ってみせるから。
俺達は本当に趣味が合うな、なんて考えて苦笑しながら
「『…貴方は嘘つきで弱虫で、最高の……『俺の親友』…だよ。』」
そんな風に、相手のヒロインの台詞を改竄して答えてやる。
すると理央は一瞬目を丸くして、今度こそちゃんと本当の笑顔になって…。
「…バーカ。お前…みたいな、馬鹿正直…お断り…だっての……。お前のことなんて大っ嫌い…だよ。……だから…。」
……絶対、追いかけてなんて来るなよ?
そう…言って…。
カラン…と理央の握っていたナイフが落ちる。
あぁ…お前は本当に。
…そのナイフで俺を刺して道連れにしてくれた方が、よっぽど楽だったっていうのに。
「最期まで…お前はかっこつけで嘘つきなんだな。」
そっと理央の体を横たえ、悪いとは思うが少しだけ、上の服に隠された素肌を見る。
明らかに人為的な打撲痕に治りかけの切り傷、煙草の押し付けられたような火傷…そして腕には注射の痕。
あぁ…やっぱりそういう事か。
俺はナイフの血を拭ってポケットにしまい、立ち上がる。
処理屋に連絡を取り後始末を依頼する。
そして、プラチナに電話をかける。
どうしたの?何かトラブル?なんてプラチナが聞いてくるより先に、俺は尋ねる。
「…前に俺が殺した、薬の運び屋がいた組織の詳細が欲しい。」
理央、俺は決めたから。
殺すことしかできない俺は、俺なりにお前のことにけじめをつける。
次会う時には、嘘だって上手くなっていてみせるから。
だから、また一緒に他愛もない話をしよう。




