初依頼の銀貨で、四人の夕飯を
【前回までの人物】
・ハルト:毎日一つの転生特典を選ぶ旅人。収納鞄で薬草便を運び終え、初依頼の支払いを待っている。
・ルカ:同じ便で護衛を務めた剣士。自分の旅費を稼ぎ、剣と食事の楽しみを持っている。
・ミア・リーネ:ハルトへ火種を教えた講習助手。試作の札を村で試し、出来なかったことも手帳へ残した。
・ロッタ・ヴェイル:風見亭で働く狼獣人の料理人。修業の旅で覚えた料理を、実家へ持ち帰ろうとしている。
銀貨一枚が、机の上を少し転がった。
俺は手を出しかけ、イーナさんがもう一枚を別の控えへ置くのを待った。薬草の匂いが残る倉庫で、小さな銀色だけが、妙に明るく見えた。
「ハルト、運搬の分。ルカ、護衛の分。二人とも、一枚ずつ。受け取ったら、ここへ印をお願い」
控えには、運んだ箱の数と、検品を終えたことが記されていた。
百キロ入る鞄を持っているから百キロ分の代金、ではない。今日、傷めずに戻した荷のための銀貨だ。
俺が印を付けると、ルカも隣で自分の分を受け取った。
「ハルト。そんなに見てると、もう一枚増えそう?」
「増えないけど、持って帰ったら減りそうで」
「そっちは、減らす予定が楽しみな顔だね」
図星だった。
一銀は五十銅。昼飯を買って百三十二銅だった財布が、百八十二になる。
今日はもう、芋のパンを食べている。それでも、夕飯に何を選ぶかを考えると、銀貨の冷たさが嬉しかった。
イーナさんは控えを二枚、それぞれに渡した。
「私の箱は、もう鞄に入ってないね?」
「はい。私物だけです。最後の箱は、あちらへ」
「うん。空箱まで一緒に旅へ出られると、次の便で私が困るからね」
俺も笑って、さっき下ろした箱を見た。
空の時には軽かった箱が、薬草を載せ、また自分の外へ戻った。その一日が、財布の重さになっていた。
*
ミアさんは、戸口で手帳を開いていた。
机の上の銀貨ではなく、乾いた葉を拭った布を見ている。さっきまで屋根の下で書いていた頁へ、小さな線を足した。
「まだ、何か見つかりましたか」
「箱から出した時の状態を、別に書いておこうと思って。村の棚で見た色と、雨宿りで見た色と……帰ってからの分まで、全部一つにしていたので」
話しているうちに、声が少し速くなる。
俺の銀貨と同じくらい、彼女にも、今日持ち帰った物があるらしい。
ルカが自分の控えを畳み、ミアさんの肩越しに言った。
「じゃあ、夕飯の色は、まだ空けておいて」
「夕飯、ですか」
「あ、俺も、それを聞きたかったんです。今日、風見亭で一緒に食べませんか。あとで、都合がついたら」
自分で誘ってから、急に財布を見せびらかしたような気がした。
でも、奢ると言いたいのではない。一緒に帰った道の話を、一人で食べながら思い出すより、一緒に続けたかった。
ミアさんの指が、頁の端で止まる。
「私も、いいんでしょうか。今日は、別の用事で同道したのに」
「用事が終わったから、です。札の質問を全部教えてもらう会には、しません」
彼女は一度、手帳を見た。
次に、ちゃんと閉じた。
「それなら、行きたいです。講習の片付けと、この記録を返す分を済ませてから。夕方でよければ」
「私も、先に剣の手入れ。ご飯に剣の油を持って戻るのは、嫌だしね」
ルカが剣帯を軽く直した。
イーナさんは台の上を片付け、隣の瓶の控えを取る。こちらは、まだ別の仕事の途中だった。
「私は次の荷がある。今日の昼飯の話は、今度ね。ミアさん、次に札を持っていく時は、薄い葉を試す方だと先に言っておいて」
「はい。今日出来なかった方も、先に伝えます」
四人で歩いた道は、ここで分かれた。
別々の用事へ向かう二人を見送り、俺も宿へ歩き出す。
また同じ席へ来てもらう約束が、財布の中の銀貨と、同じくらい嬉しかった。
*
風見亭へ戻ると、サンナさんは俺の足元を先に見た。
「その泥は、裏から。床に村への地図を描いてくれなくていいよ」
「すみません。今日は、道をだいぶ持って帰りました」
「お金になった方もある?」
「はい。こっちは、ちゃんと」
控えを見せると、彼女は赤い前掛けで手を拭き、口元を緩めた。
それから、裏の水場へ布と刷毛を置いてくれた。
靴を洗う仕事まで、銀貨で省くつもりにはならなかった。石の溝へ詰まった土を落とすと、雨の道を走った四秒より、そのあと歩いた長さがよく分かった。
脚の裏がじんわり重い。
靴の力は休ませれば戻るけれど、俺の脚は俺が休ませる。
鞄の外を拭き、空になった荷の場所を確かめた。
瓶も葉も、もう預かっていない。私物の布を戻す時、村の甘い匂いが少しだけ残っていた。
部屋をもう一晩頼み、十八銅を払う。
百八十二から百六十四。初めて受けた依頼で稼いだ日のうちに、寝る所へ使うのも悪くなかった。
「夕飯は?」
「友達と、こちらで。三人になると思います」
「じゃあ、窓の所を少し空けとこう。今日の皿は八銅。肉と豆を煮たのに、焼いた根菜が付く」
「それでお願いします」
「返事が早いね。昼、食べ損ねた?」
「食べました。おいしかったので、次も楽しみで」
サンナさんは、そりゃよかった、と笑った。
食べたから次はいらない、ではない。それが今日、当たり前のことになっていた。
*
窓の外が薄い橙色になった頃、ルカが先に戻った。
赤茶の髪を結び直し、濡れていた外套は別の所へ干してきたらしい。剣帯を椅子へ引っ掛けない向きで座ると、俺の前の水を覗いた。
「もう飲んでる」
「水だから。料理は、待ってる」
「うん。私も、待てる方で来た」
そう言った直後、厨房の方へ目を向けたので、俺は笑った。
ほどなくミアさんも来た。紺の上着の袖口に、札の色糸がきちんと収まっている。
戸口では町の方を振り返らず、俺たちを見つけると、そのまま席へ歩いてきた。
「遅く、なりましたか」
「まだ水の時間です」
「今なら、待ってた私たちが偉いって話に出来るよ」
「では、ありがとうございます。……これでいいですか」
少し困った顔で返され、ルカが声を立てて笑った。
ミアさんも、つられて笑う。村を出た時より、息が長くなっていた。
皿を運んできたのは、ロッタさんだった。
蜂蜜色の髪を襟元へ編み留め、同じ色の狼耳を、厨房へ向けるように一度動かす。白い上着と紺の腰前掛けには、まだ火の近くの熱が残っているようだった。
「今日は、帰ってくる席なんですね。三つでよかったですか」
「はい。こちら、魔法を教えてくれたミアさんです。今日は、一緒に村まで」
「ミア・リーネです。いい匂いで、入口で少し止まりました」
「ロッタです。風見亭で料理をしています。止まっていただくより、座ってもらえてよかった。冷める前に、どうぞ」
皿が、目の前へ来た。
肉の縁が、煮汁の中でほどけている。焼き目の付いた根菜を匙で崩すと、下の豆へ、橙色が滲んだ。
俺は八銅を払い、ルカとミアさんも自分の分を渡した。
財布には、百五十六銅。三銀六銅が残る。
減ったのに、帰ってきた時より贅沢になった気がした。
*
一口目で、ルカが小さく息を吐いた。
「これ。雨に降られた日の終わりに、これがいい」
匙の先に肉を載せたまま、本気の声で言う。
俺も食べた。煮汁の塩気のあとに、焼けた根菜の甘さが来る。昼の芋のパンとも違う。腹へ温かい物が入ると、洗った靴の中の脚まで、少しずつ自分に戻った。
「……おいしい」
ミアさんの声は、料理の説明を探すより先に出た。
隣を通ったロッタさんが、足を止める。
「今日の香り、強すぎませんか。葉を入れる時刻を、少し変えたんです」
「強いというより、後から分かります。村で見た葉の匂いに、少し似ていて」
「どこの村ですか?」
彼女の耳が、今度は、はっきりこちらへ向いた。
食べていた俺まで、つい姿勢を正してしまう。
ロッタさんはそれに気づくと、眉を下げて笑った。
「すみません。すぐ質問になりました。私も、これから食事の時間なので。あとで、一つだけ聞いても?」
カウンターの向こうから、サンナさんが声を掛けた。
「ロッタ、こっちは私が見るよ。自分の皿を忘れないで。話を聞いてる間に、煮詰めないこと」
「はい。鍋は、もう火から下ろしました」
返事の速さが、厨房の人の声だった。
彼女は前掛けを外して掛け、自分の皿と匙を持って戻ってくる。俺が空いた椅子を引くと、先に小さく頷いてから座った。
三人で頼んだ夕飯が、四人の席になった。
*
ミアさんは、最初、手帳を開かなかった。
村で会った薬師のことを、指に残った緑の粉の話から始める。外の葉は乾いていても、中の茎は柔らかかったこと。札の色だけで全部を同じにしたら、間違えること。
ロッタさんは、豆を一匙食べてから頷いた。
「それ、鍋でもあります。表面だけ見て火を止めると、真ん中の芋が、まだ食べたくない顔をするので」
俺は、匙の先で自分の皿の根菜を示した。
「今日の芋は、食べていい顔ですか」
「はい。私が先に、ちゃんと食べました」
「そこ、いちばん信用してる」
ルカが返し、ロッタさんが笑った。
ミアさんも匙を動かす。魔法の話が終わるまで食べられない席ではなかった。
ミアさんが、手帳を見てから顔を上げた。
「私、実際に使ったことが分かる本を作りたいんです。読んだ通りに出来なかった時、どこを見たらよかったかも」
「今日の村の分、もう一頁あるんですね」
「はい。でも、あの方の言葉を全部、自分の発見みたいには書けません。次に見てもらいたい所も、出来ました」
ミアさんが、ようやく手帳へ手を置いた。
開く前に俺たちを見て、ちょっとだけ笑う。
「今日は、夕飯の頁までにします」
「俺の顔の余白は、どっちですか」
昼の屋根の下で、私用にすると言われたのを思い出して聞くと、彼女の指が止まった。
ルカがこちらを見る。
「顔まで研究されたの?」
「雨に負けた顔を、少し。今のは、載せない方です」
丁寧に答えられたせいで、俺の方が照れた。
ロッタさんが俺の皿を見て、笑いを含んだ声を出す。
「今は、ご飯に勝ってる顔ですね」
「今日、顔の勝敗が多いですね」
「最後に勝てば、いい日でしょ」
ルカは最後の肉を、惜しそうに豆の横へ寄せた。
まだ食べたくないのかと思ったら、最後に一緒に食べるためだったらしい。
俺も真似して、小さな肉と煮汁を、同じ匙へ載せた。
*
ロッタさんは、修業先で覚えた味を、実家の宿へ持ち帰りたいと言った。
遠い料理を全部同じ鍋へ入れたいのではなく、道を歩いて帰ってきた人が、また食べたいと思う物を増やしたいのだという。
ミアさんが、村の葉の名前は次に確かめてから伝えると答えた。似た匂いだけで、食べる葉を決めはしなかった。
俺はその横で、祖父が旅先の食事を話す時、必ず椅子や窓のことまで言っていたのを思い出していた。
味だけを持ち帰ったのではなかったのだ。
「俺、見に行きたい海があるんです。虹の海って呼ばれる所。まだ、そこまでの道も、ちゃんと知らないんですけど」
言うと、三人がこちらを見た。
次の依頼を聞かれたわけでもないのに、自分から目的地を口にしていた。
「じゃあ、そこのご飯も調べないとね」
ロッタさんも、食べ終えた匙を置いて顔を上げた。
「虹の海。どんな魚がいるんでしょう。そこの港で聞けたら、私も知りたいです」
ミアさんは、紙の端へ視線を落とした。
「私も、ここから先を歩く本が欲しいです。……作る方でも、読む方でも」
全員で明日出発しよう、とは誰も言わなかった。
ルカには剣の予定があり、ミアさんには講習と次の試用がある。ロッタさんも、今夜の持ち場へ戻る。
その人たちへ、行きたい所があると言えただけで、景色が少し近くなった。
サンナさんが空いた皿を受け取りに来た時、ロッタさんが先に立った。
休憩の終わりだ。自分の皿を運び、紺の前掛けを結び直す。
「今日の村の名前、あとで紙に書いてもらえますか。行きたい所の方へ、入れておきたいので」
「はい。乾燥棚の所も、分かるように」
ミアさんのペンが、手帳ではなく、渡すための小さな紙へ向いた。
俺は財布の口を結んだ。
今日稼いだ一枚は、もう、そのままの形では入っていない。
代わりに、明日まで泊まれる部屋と、温かい食事と、次に聞いてみたい話になっていた。
「報酬のあと、どう?」
ルカが、帰り道でしたのと同じ問いを投げる。
俺は、迷わず答えた。
「先に誘っておいて、正解だった」
窓の外は、もう夜だった。
明日の特典は、まだ来ていない。
今日もらった物だけで、夕飯の席は、こんなに賑やかだった。




