四日目の特典は、冷たい水でした
【前回までの人物】
・ハルト:毎日一つの特典を選ぶ旅人。靴・収納鞄・魔法の制御補助を得て、初依頼の報酬で仲間と夕食を楽しんだ。
・ルカ:護衛を務める剣士。自分の稽古と旅費の予定を持ち、ハルトと食事や軽口を交わす。
・ミア・リーネ:講習助手。現場で使ったことも残せる魔法の実践書を作りたいと話した。
・ロッタ・ヴェイル:風見亭で修業中の狼獣人の料理人。覚えた味を実家の宿へ持ち帰ろうとしている。
四日目の朝、俺は、ほとんど空の水筒を持って目を覚ました。
正確には、寝台の脇へ置いてあった水筒に手を伸ばした。昨日、靴を洗ったあとに飲み、夜にも少し飲んだ。振ると、底で薄い音がする。
窓の外では、朝の荷車が石を踏んでいた。
起き上がった脚は、まだ、昨日歩いた道を覚えている。
でも、頭に浮かんだのは、今日は何が届くだろう、だった。
最初に特典を受け取った時刻を過ぎると、目の前へ淡い文字が浮いた。
昨日の分を選び直す窓ではない。
四度目の三択だった。
飲み水生成。
布乾燥。
手元灯。
下の二つも、十分欲しい。
昨日の湿った靴を思い出せば、布を乾かせるのは魅力的だ。暗い道で両手を空けられる灯りもいい。
それでも俺は、いま手にしている水筒を、もう一度振った。
村への道で、飲む分と、手を洗う分を別に考えた。次にもう少し遠くまで歩くなら、鞄へ入れる水の重さも増える。
「今日は、水にする」
誰もいない部屋で声に出してから、詳しい説明を開いた。
自分の魔力を使い、飲める水を器へ出す。一度に出せるのは一リットルまで、一日の合計は二十リットル。
温度は常温。氷も、お湯も、酒も作れない。
汚れた水を綺麗にする力ではなく、新しく水を出す力だ。
器の中身を消したり、満杯になったら勝手に止まったりもしない。
俺は、まず水筒の口を見た。
寝台の上で、いきなり一リットル出すのは、布乾燥まで同時に欲しくなる使い方だろう。
選んだ文字へ触れたあとも、手を開くのは待った。
下の水場で、やってみよう。
*
階段を下りると、焼いたパンの匂いがした。
サンナさんは、赤い前掛けへ手を拭きながら、空いた席を顎で示した。
「今日は、泥の方は部屋へ置いてきたね」
「はい。昨日、だいぶ裏へ返しました」
「朝は四銅。先に食べる?」
「お願いします。あとで、裏の水場を少し借りたいんですが」
彼女は俺の水筒を見た。
俺は、今朝、水を出せる特典を選んだと伝えた。宿の飲み水を全部置き換える相談ではなく、まず自分の器で試したい。
サンナさんは、すぐ厨房を呼ばなかった。
「こぼす方の場所も、先に選んでくれると助かる。桶の横なら、午前は空くよ」
「こぼすとは、まだ」
「言ってない顔だね。水を出す人より、床を拭く人は長くやってるから」
負けた。
俺は四銅を払い、パンと卵の皿を受け取った。
昨日の夕食までで百五十六銅。残りは百五十二になる。
水が出るから、朝食まで無料になるわけではない。それでも、昨日、自分で稼いだ分で食べる朝は、少し贅沢な気分だった。
卵の端をパンへ載せた所で、ルカが下りてきた。
赤茶の髪を高めに結び、剣帯はまだ付けていない。俺の皿を見ると、すぐ隣へ座った。
「今日は、待たなかったんだ」
「約束してない朝まで待つと、卵が冷える」
「正しい。私の分も、冷えないうちに頼もう」
自分の四銅を出し、彼女が皿を待つ。
その間に、俺は今朝の特典を話した。
ルカは水筒へ目をやり、それから、ちょっと楽しそうに俺を見た。
「じゃあ、稽古から帰ってきたら、飲ませて」
「水の方が、待っててくれるかは分からない」
「そこは、ハルトが待っててよ。水にまで予定を押し付けないで」
俺が笑うと、彼女も笑った。
今日も先に、剣の用事があるらしい。
朝食を食べ終えると、ルカは自分の部屋へ剣帯を取りに上がった。俺は、朝のうちに書いた短い伝言を、講習所のミアさんへ届けに行った。
見てもらえる時間があれば、裏庭で水を出してみたい、と。
*
ミアさんは、午前の片付けと午後の当番の間なら、と来てくれた。
紺の上着の袖を留め、筆記具は濡れない方の腰へ寄せている。
俺が桶の前で待っていると、最初に、空の器を覗いた。
「まだ、出していないんですね」
「はい。一人で部屋へ川を作る前に、降りてきました」
「それは、川になる量を出す前に止めたいです。最初は、コップ一杯くらいで」
昨日教わった火種とは違う。
水を作る魔法を、俺が一晩で覚えたのではない。選んだ能力が、自分の魔力を使って働く。制御補助があるからといって、まだ知らない魔法を全部使えるようにはならなかった。
ミアさんは説明の文字を俺に読んでもらい、そこで、持ってきた計量用の器を台へ置いた。
「これは、講習の道具です。使ったあと洗って、今日返します。まず、この線までなら四分の一リットル」
「手は、こうでいいですか」
器の真上へ、掌を向ける。
水を出す、と意識した瞬間、指の先へ冷たい感触が来た。
水が、落ちた。
細い流れが器の底を叩き、透明な輪を広げる。
「出た……」
「止める方も、今です。線、そこ」
俺は手を閉じた。
流れが切れ、最後の雫が爪から落ちた。
器の中に、水があった。
誰かに井戸から汲んでもらったのでも、鞄へ隠しておいたのでもない。さっきまで空だった所へ、自分の手から。
嬉しくなって、ミアさんを見た。
彼女も、水面を見て、少し口を開けていた。
「本当に、出ましたね」
「ミアさんも、初めて見るんですか」
「この出方は。知っている術と、同じ所も、違う所もありそうです。……でも、いまは、飲む方が先でしょうか」
彼女が器を持ち上げ、俺へ渡した。
俺は、一口飲んだ。
冷たかった。
氷の入った飲み物の冷たさではない。朝の水筒を頬へ当てた時のような、日向の舌にはっきり分かる冷たさだ。
塩気も、草の匂いもない。
喉へ通ってから、俺はもう一度、空の掌を見た。
「これ、道で飲めるんですね」
「はい。器があれば。ハルトさん、顔が、昨日の銀貨の時と同じです」
「今日は、手元で増える方なので」
ミアさんが、声を立てて笑った。
*
二杯目で、俺は、サンナさんの先見の明を知った。
器へ向けたつもりの手を、ミアさんへ少し向けたままにしていた。
流れの端が器を外れ、彼女の袖口へ跳ねる。
「わ、冷たい!」
「すみません、止めます!」
すぐ手を閉じた。
床へ落ちた水が、石の継ぎ目へ走っていく。ミアさんは袖を押さえ、次に、濡れなかった手帳を見て息を吐いた。
「台を見てください。私を見ながら、出さなくていいです」
「はい。返事する時も、手は器の方に残します」
「そうです。……びっくりした。でも、熱い方じゃなくて、よかったです」
彼女が袖を広げ、風へ向ける。
俺は布を取り、台と床を拭いた。
水を出せるようになっても、拭く手間は減らない。ついでに汚れを消す能力も、付いていなかった。
それでも、失敗したから使うのをやめたいとは思わなかった。
今度は、器だけを見る。
表示された使用量は、合計で半リットルだった。器に残った分だけでなく、袖と床へ跳ねた分も、出した水に入っている。
二度目の分は、飲む方へ回さず、拭いた布を洗うのに使った。
ミアさんが線を確認し、俺は、水筒へ入れる分を次に出した。一リットルの所で止める。
胸の内側が、火種を続けた時のように、少し重くなった。
水筒を持ち上げると、腕には、いつもと同じ水の重さがある。生成したから、入れたあとの一キロまで消えるわけではない。
ただ、道へ出る前に二十キロ分を全部抱える必要はなくなる。途中で休み、自分が飲む分を出せる。昨日の鞄と今日の水が揃うと、遠い道の考え方が、少し変わった。
虹の海までの距離は、まだ知らない。けれど、何日分も、喉の渇きを先に背負っていく想像ではなくなっていた。
まだ出せそうだと思っても、今日二十リットルの上限まで、一度に試す理由はない。
「ここで、少し休みましょう。水を飲めても、使った魔力まで戻ったことにはなりません」
「はい。空の水筒より、俺の方を先に満たす必要がありました」
桶の縁へ座りかけると、彼女が、そこは濡れています、と指した。
俺は立ち直り、二人で笑ってしまった。
*
ルカが戻ってきた時、俺たちは、乾いた台の端へ座っていた。
彼女は額へ張り付いた髪を払い、手拭いを首へ掛ける。頬が赤く、呼吸はまだ深い。
「待っててくれた?」
「俺は。水も、一応」
「じゃあ、両方にありがとう。どれで飲んでいい?」
ルカは自分の空の水筒を差し出した。
俺は、休んでから出した一リットルを、その中へ注いだ。彼女が口を付け、二口、続けて飲む。
目を閉じてから、肩を落とした。
「……いい。これ、稽古場の向こうまで井戸へ行かなくていいんだ」
「いつでも無制限に、ではないです。今日の分と、本人の疲れはあります」
「うん。だから、飲める時に飲みたい。ハルト、残りまで全部出して、倒れないでね」
「まだ、二リットル半。今日は、その辺でやめておく」
自分の一リットルと、試した半リットル。今、ルカへ渡した一リットル。
合計を口にすると、どの水を何に使ったかまで思い出せた。
残り十七リットル半を出せる枠があることと、俺が今から全部出して平気なことは、別だった。
ルカが、水筒の蓋を締める。
濡れたミアさんの袖へ目をやり、俺を見た。
「そっちは、水浴びの特典も付いた?」
「付いていません。手の向きを、少し」
「俺が、よそ見した」
「じゃあ、次に私と打ち合う時も、水はなしね。剣より先に袖を狙われたら、笑うから」
「普通に構えたら、笑わない?」
「そこは、見てから」
彼女は悪びれず笑った。
明日の稽古へ来ていいかと聞くと、午前のうちに少しなら、と返る。今日、自分の練習を済ませた人の予定へ、俺も入れてもらえた。
*
ロッタさんは、昼の仕込みの間に、小さな鍋を持ってきた。
蜂蜜色の耳が、俺たちの笑い声へ向いている。
俺たちの器を見てから、彼女は空いた所へ鍋を置いた。
「飲んだんですね。どんな味でした?」
「水の味です。でも、今までで、かなり嬉しい水でした」
「それなら、茶にしてもよさそう。これは私の休憩用なので、味見してから、飲みたい人へ」
俺は、自分の水筒から四人分を少しずつ鍋へ移した。
新しく出してはいない。水筒の残りは、その分だけ軽くなる。
ロッタさんが火の方へ戻ると、サンナさんが空いた桶を通路の脇へ寄せた。
「厨房の桶まで、今日から全部頼む話にはしないよ。毎朝いる客かも、まだ分からないんだから」
「はい。宿の仕事を、勝手に俺の予定へ入れないようにします」
「自分が飲める水を持って出られるだけで、旅には十分大きいだろう」
その通りだった。
井戸は、宿に残る人にも、ここを通る人にも必要だ。俺が町を出たら、なくなる水へ、店の一日を預けるわけにはいかない。
便利な物が一つ増えても、町の仕事を全部取り上げる必要はなかった。
やがて茶の匂いが来た。
ロッタさんが、湯気の立つ器を四つ並べる。
「熱いです。いまなら、冷たかった分も戻せます」
ミアさんが、まだ少し湿った袖を見た。
「こちらは、自然に乾く方で待ちます」
今度は、俺たち三人が笑った。
茶を飲むと、葉の苦さのあとに、喉へ甘い匂いが残る。
さっき出した水が、誰かの手を通って、違う飲み物になっていた。
ミアさんは器を空けると、時計を確かめた。
午後の講習へ戻る時間だ。
ロッタさんも鍋を持ち、厨房へ戻る。ルカは午後の手入れを済ませてから、南へ向かう道の話を聞きに行くという。
全員が、俺の新しい特典の周りへ、一日中座るわけではなかった。
「ミアさん。次は、袖じゃなくて、ちゃんとコップに入れます」
「お願いします。それなら、また飲みたいです」
返ってきた言葉が、思ったより嬉しかった。
俺は空いた器を洗い、借りた計量用の道具を彼女へ返した。
水筒には、まだ、道へ持っていける水が残っている。
財布は百五十二銅。鞄に、まだ新しい食料はない。
明日の稽古へ行く約束と、次の道を聞く予定は出来た。
四つ目は、派手な剣でも、炎でもなかった。
それでも、喉を通った最初の一口を思い出すと、俺は、今日の選択に、もう一度頷けた。




